第31話 入れ替わり
――アブソリュートとアレクサンドルアルテュール、諏訪直樹とエミリー・アレクサンドル・ライラが邂逅してから翌朝。
「そういえばイレーザーはどうした?ここに着いてから見あたらないが…?」
アブソリュートは田辺に調教場に引き連れられながら尋ねた。
「そうか、お前ぐったりしていたから知らないか…。
イレーザーは飛行機降りてから、城だ、塔だ、何だ、でしゃぎまくって観光しているよ。今も。」
「今も!!?この暗闇の中???」
「だから完全に迷子になっていると思うから、お前を送ったら探しに行くよ。」
イレーザーは直樹所属の6歳牡馬でアブソの帯同馬。
帯同馬とは、遠征などで競走馬に帯同する競走馬のことである。 馬は慣れない土地に行くと寂しがる習性を持っており、帯同馬と共に遠征することでそれを緩和させる効果がある。
完全に立場が逆転しているが……。
現地での調教相手になるという目的もある帯同馬だが、今回アブソはロックエレクトロと、イレーザーは歩兵と調教予定である。
ちなみにイレーザーも凱旋門賞に出走予定。その実力は世界最高峰のレースに出走するには似つかわしくなく、GⅠ未勝利。それでも全成績掲示板(5着以内)に入っている。GⅠではあと一歩届かないでいるが、GⅡ、GⅢの舞台でGⅠ馬に勝ったこともある。
「よぉお…待ってたぜ~!」
アブソが調教場に着くとハワード調教師とロックがやる気マンマンで待ち構えていた。
「じゃあ俺はここで。」
田辺はイレーザーを探しに行った。
「じゃあまず、軽~~~~~く、馬なりでおしゃべりでもしながら走ろうぜ~!」
ロックのしゃべり口調からして嘘をついているように見えるが、本心である。
「俺はいつでも全力を出せるぞ!!!」
アブソはまだウォーミングアップをしていないのにもかかわらず、良い感じに体が暖まっていた。
「…ヘヘ、ヤル気なのはいいが、お前、洋芝は初めてだろ?アレクサンドル様に次いだ実力のオレに挑むには、ちょ~~~~~っと早すぎじゃあねえか~?」
日本の芝は、硬く、切れ味が増し、世界的に見ても速いタイムが出やすい。
ヨーロッパの芝(洋芝)は、深く、絡みやすく、ダートレース並のパワーが必要。
アブソの現在の能力値は以下の通り。
適正距離 →2000m~2600m
脚質 →自在先行
芝・ダート→ A・B
体力 → A
スピード → B
スタミナ → A
坂 → A
道悪 → A
瞬発力 → A
スタート → A
洋芝の能力値は(芝+ダート)÷2の値。ただし、あくまで目安。
芝・ダート・洋芝の能力値アップは走る速さに関係なく、走りこむこと。
「……………なるほど、確かにな。」
「意外と早く冷静になれるじゃあねえか~。昨日のお前を見た感じだと、もっと獰猛な野獣かと思っていたぜ~ぇ。」
そんなことをロックは言うが、互いに臨戦態勢は整っているようだ。
「ソレデワ、ハジメマショウ!」
ハワード調教師は日本語が苦手なようだ。
ハワードは手をパンパンと叩き、流暢なフランス語を話した。アブソはフランス語がわからず、ロックは受け答えた。
「今、お前んとこの調教助手がまだここに着いていないから、とりあえず鞍上無しで併せ調教しようぜって話だ!」
「わかった。」
――一方同じ頃。
少し離れた所でアレクサンドルアルテュールがアブソを凄まじい眼力で見ていた。そこに諏訪直樹がテクテクと後ろから歩いてきた。
「よう!アレックス!」
と直樹が話しかけると、アレックスは咄嗟に直樹の方に体ごと向き、明らかに警戒する姿をあらわにした。
馬は後ろから近づいてくる人、声をかけながらこない人に対して警戒心を持つ。が――
(諏訪直樹。全く気配がしなかった!!)
アレックスのスキル『千年王眼』で馬を凝視しているとき、無防備な状態になるが、周りにある程度の注意は促すことはできる。
「いや~、警戒心バリバリだねぇ~アレックス!」
「何のようだ。」
「いや聞いてるでしょ?エミリーから。アレックスの調教を一時的にすることになったのは。」
「ああ…そういえばそうだったな。昨日の今日で早いな。
それで?己にどのような調教を施してくれるんだ?」
「うっわ!期待ゼロ!俺、そんなに頼りないかな~~~?」
直樹は大げさにリアクションをとる。
「なぜそんなことを言うんだ?己はそのようなことを言っていなければ、そのような態度もとっていない。」
「ああ、言い方が悪かった。『アレックス自身の成長期待度ゼロ』かよ!」
やはり大げさにリアクションをとる。
「何が言いたい。」
アレックスは少し目を細めた。
「お前はとうに全盛期が過ぎてしまっているからこれ以上成長できないって思っているだろ?」
「正直に答えよう。エミリー様が己に諏訪直樹をつけたのは肉体維持のためだと思っている。だが、無駄だ。己は己自身を客観視して、どういう調教が最適かがわかる。
……………ああ、なるほど。それを見越して『期待ゼロ』と言ったのか。」
「それもあるがちょっと違うかな。さっきの雑な言い方をしたのはお前の心を揺さぶるためだ。」
「どういうことだ?」
「肉体の成長はお前もわかっているようにムリだ。じゃあ、どこを調教するのか………心だ。『心技体』は知っているか?『体を鍛え、技を磨き、心を燃やし、力となる。』俺の好きな言葉の1つだ。お前は技も体も極めた。あとは心。心っていうのは、向上心ややる気さえあれば無限に成長できる部分だ。その心を燃やして燃料にすれば技も体も十分以上に発揮するんだ!お前は常に《《冷静》》だよな。冷静なのに頂点に君臨しているんだから、心が燃えたときどんだけスゴい走りを見せてくれるんだ?
最強だったとしても『だりー』とか『どーでもいー』とか思っていたら、十分に力を出せないんだ。だからさっきの発言で少しでもイラッとしてくれればなぁ~、って思ったけど微動だにしないな。
怒りも心を燃やす原動力の1つだ。」
「………そんなことをしなくとも己は最強であり続ける!」
(微少だが少しは揺さぶれたようだな。)
「それはムリだな!アブソリュートこそ頂点に君臨する者。お前の時代は終わったんだ。時代最強馬アレクサンドルアルテュール!」
「………虚勢だな。その程度では己の心は揺れなければ、気も変わらない。」
「…じゃあ、何で《《見ている》》んだ?」
「……!」
「昨日の時点でもうわかっているだろう?アブソの能力値と成長速度―そして、アブソの全盛期の時期。
『アブソリュートのダートの能力値は昨日、Cだったはず。成長速度を加味しても早すぎる!』って、思ってもう一度見てるんじゃねえのか?
――……ハッ!その顔、図星じゃねえか!」
直樹はそう言うが、アレックスの表情はほとんど変わらないように見える。
「俺なら心を伸ばすことができる。肉体維持をしながらな。
どうする?信用できないなら断ってもかまわない。信用も心の1つだからな。いきなり来た人に教えを乞うなんてムリな話だ。」
「1つ…いいか?」
(おっ!いい傾向だ。)
「何だ?」
「心だの信用だの言っているが、己の心を伸ばすことの証明及び保証する根拠がない。」
「それが信用ってやつだ。いや、信頼か?どっちにしても1日2日で信用信頼を獲得するなんてムリだ。だからこれは賭けだ。競馬だけに(笑)」
「…仮に己が了承したとして、諏訪直樹、己と貴様は敵同士だ!己を潰すことが可能だろう?」
「それはお前のスキル『千年王眼』で見れば回避できるだろ?」
「だが諏訪直樹、肉体ならそうだが、心だ。己は心を見ることができない。」
「だから…《《賭け》》…だろう?」
「……………。」
アレックスは長考する。
(この諏訪直樹という男は交渉力がかなり乏しいのだろう。今のところ信用できない。…だが、どうも引っかかる。些細だが……ほんの些細だが諏訪直樹の『賭け』に乗ってもいいと思う自分がいる。なぜだ……………。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「見えぬのか?」
「ああ、俺の相馬眼じゃあ今見えている2つと、誰にも見せずに隠し持っているスキルがもう1つぐらいしか見えないな。」
「……!
フフ、フハハハ!
まさかもう1つあることに気付くとはな!
ハハハ!
いやはや、諏訪直樹の眼を侮っていたぞ!」
「ああ、もう複数個スキルを隠し持っているんだろうけど、正確な数はさっぱりだ。」
「……!!!
ほぅ……諏訪直樹、己は貴様を本当に侮っていたようだ。」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
……………そう、侮っていた。己の全13個のスキルの内、3つを見破られた。さらにもう数個開眼していることに気付かれた。そのことに気付いた者は、諏訪直樹ただひとり。己は諏訪直樹を未だに侮っており、諏訪直樹の相馬眼を信じていないのかもしれない。
賭け……か。)
「競馬はギャンブルではないが、いいだろう!諏訪直樹、貴様の『賭け』に乗ってやろう!!!」
1分ほどの長考だったため、直樹は絶対にムリだと思い、エミリーにあんなことやこんなことをされる覚悟をしていたが、了承を得たのでホッと一息ついた。
「よし!アレクサンドルアルテュール!!歴代最弱の王と呼ばれるお前を…歴代最強の王まで育ててやる!!!…そして、アブソリュートがそのお前をねじ伏せる!!!!!」




