ブサイク・ラプソディー
バーカウンターには、女がひとり。
深紅のワンピースドレスの上に憂いを纏って、流し込むのは琥珀色の酒。喉を流れ、胃の腑に落ちる熱さを染み入るように感じながら、彼女は時折目を瞑って物思いに耽った。
「お隣いいですか」
低い声に反応して振り向くとそこには、酷く不細工男がいた。
ーー美しさの基準というものは重さや長さのように定まってはおらず、それは人それぞれの価値観による。『酷く不細工』だと感じたのは女の価値観によるものだが、その男の風貌の描写を微に入り細を穿って書こうものなら「おや、それは『不細工』とは言わないのでは?」と思う者もあろうから、ここでは描写を割愛させていただき、読者諸君の価値観による『不細工な男』を想像していただきたい。
ーーしかし、声はバリトンの効いたすっきりとした声だった。女はそのアンバランスさを可笑しく感じ、思わず吹き出しそうになるのを必死で抑えて、それに気を取られて思わず「ハイ」と言った。
男はまるで色男のように慣れた所作で女の隣に座ると、バーテンダーに一言二言伝えて女に流し目を向けた。女は無表情のまま、まだ堪えている。まるで、お笑い芸人のコントの世界に突然押し込まれたようだ。
「お一人なんですね」
見りゃわかるだろ。思わず心中で呟くも、女はそんな乱暴な言葉を放ったことは生涯一度もない。
「私は思うんですけれどもね。今、人類は滅亡の危機に瀕していると思うのですよ。いや、私は正気ですよ。ごく、真面目に言っているのです。というのもですね、ごく最近、十数年前まで男はナンパやら合コンやらには必死で、文字通り命がかかっていたわけですよ。ところがどうですか、今の世の中は。少子高齢化社会なんていいますよね。私が思うにですね、これは自慰文化の発達によるものだと思うのですよ。インターネットの進化、パソコンやスマートフォンの浸透によって世の男たちはーーこれは隠語ですけれども、いわゆる『オカズ』をですね。いとも簡単に手に入れることができるようになってしまったわけですよ。前時代、男たちは街に出て、『狩り』に出かけなければ性的快楽を得られなかったし、その代替品であるところの『オカズ』を得るのだって一苦労だったわけです。……それが今やどうですか。縄文時代から一気に時代をすっ飛ばして家の裏手にコンビニができたようなもんです。ちょっと小腹が空いたな、と思えばカラアゲ棒だって鳥の軟骨入りつくね串だってすぐに手に入っちゃうわけですよ。大した手間も無くね」
ここまでまくし立てて男は、カウンターに置かれた酒をグイとやった。
「自慰文化の進化は目覚しいもので、それをサポートする器具にもハイテクなものが世に出回り始めています。結局、人って楽ができるんなら楽がしたいし、傷付きたくないないものなんですよ。男ってあなたが思っているよりもっと、弱いもんです。現代社会は一昔前までの型にハマったようなマジョリティ的『幸せ』を全人類に押しつけるようなことはやめて、あらゆる人たちのあらゆるカタチの『幸せ』を認めるようになりました。結果、生物としての本能であるところの子孫を残すということ、それをしない人生という選択肢すらも容認するようになりました。AIの発達した社会では擬似性行為のできるアンドロイドだってもちろんできるでしょうし、それによって人間同士の番は減るでしょう。結果、外見的、及び内面的劣性遺伝子を持った者は淘汰されてゆき、しまいには生き残った者達は皆優秀で見目麗しい者たちがこの世界を席巻するのでしょうね。それは避けられないと思います。私は」
男は喉を鳴らしてコップの中の酒を一気に飲み干すと、女に向き直って言った。「今後、私のような者と恋愛することは希少な経験になりますよ。どうです、私と子を作りませんか」
「イヤです」
女は間髪入れずに答えると黙って立ち上がり、静かに歩いて店を出た。
男がチラリとバーテンダーを見ると、サッと目を逸らされる。
フッ……。男が鼻で笑う。胸の内ポケットから小さな手帳を取り出すと、スピンの挟まれたページを開いた。
両開きのページの左半分には『正』の字がびっしり書き込まれていて、右のページを侵食しようとしている。右ページの上部にはまだ『正』の字は五つしかなくて、その横には一つ
『一』があった。
彼が手帳に挟まれた細いペンで短い線を加えると、『一』は『丁』となる。男は手帳をしまうと今度は財布を出して、札を一枚、取り出した。
「彼女の分と、私の分。そして、迷惑料だ。釣りはいらない」
そう言うと男は立ち上がり、店を出て行った。