5.婚約者
何度も書き直していたら遅くなりました。
「妻」という問題発言に固まってしまったわたしに、ニヤニヤと意地の悪い顔で見下ろすクイード。
「何しているの、2人とも」
微妙な空気の部屋に入ってきたのは、数日ぶりに顔を見せる長兄・カインだった。
「ああ、婚約のこと? 確かにクイードも候補に入っているね」
状況を把握したカインはあっさりと認めてしまう。
しかし気になるのは「クイードも」という言葉だ。それでは他にもいるということではないか。
「ほら、2人とも高レベルの鑑定スキル持ちだろう?
スキルは、両親共に同じものを保有していると子供に高確率で遺伝するんだよ。加えて両親とも高レベルのスキル保持者なら、子供にも高レベルのスキルが発現する確率が高い。
クレイナート王国としては高レベルの鑑定スキル保持者はできるだけ維持したいからね。かと言って、クイードとレティーでは身分が違う。クイードはレティーを娶ることができても、他に夫人を迎えることは出来なくなる。
だから2人を婚姻させるか、それともクイードに別に多くの夫人を迎えてもらうか、王家はどう動くべきか見計らっていた…って感じかな」
お道化るように肩をすくめて見せたカインに対して、クイードはそれまでの雰囲気を一変させて見た目だけは綺麗な笑みを浮かべた。
「私としては、レティシア様を妻に迎えられるのが1番都合がいいんですがねぇ。
一体何人の妻を娶らされることになるのか、今から憂鬱でなりませんよ」
「都合がいい…ね。とりあえずレティー自身ではない付属品に価値を見出す相手に、この子を嫁がせる気はないよ。
幸い、父上にその件に関しての裁量も与えられたことだしね」
「ああ…そういえば婚約されたのだとか。おめでとうございます」
「ああ、ありがとう。これで皆が立場をわきまえてくれることを祈っているよ」
わたしはこれらのやり取りを見て首を傾げる。
短い間ではあるがカインが部屋に入ってきてからの2人のやり取りを見て、2人の関係はそれなりに良好なものであったはずだ。
人見知りを自称するクイードが、いきなり登場したカインに怯える様子がなかったのが何よりの証拠であろう。何しろわたしの世話係が入室しただけで、クイードは明後日の方向を向いて口を開こうとはしないのだから。
だというのにこの場の雰囲気の悪さと言ったらなんだろうか。
手っ取り早くこの妙な空気を払拭するために口を開いた。
「カイン兄様、本日はどうしてこちらへ?」
その口調はここ数日クイードと喋り続けたことで、だいぶ流暢なものとなっていた。といっても幼児の短い舌では発音しづらい言葉もあり、舌ったらずな口調になるのは否めないのだが。
カインはクイードとのやり取りを一方的に中断すると、わたしの座るソファの隣に腰かけた。わたしの頭を撫でながら、牽制するように正面に立つクイードを睨む。
「鑑定スキル持ちがレアだというのは聞いたかい?」
カインの問いに、わたしは2人を見比べながらも頷く。
カインはわたしの黒髪を指に絡めるようにもてあそびながら、面倒そうに空を睨んで息をついた。
「まぁ利用価値の高いスキルだからね、これからレティーには色んな誘いが掛けられると思うよ。その1つが婚約の申し込みだったわけ。他にも鑑定依頼が来るようになるんじゃないかな?
幸いレティーは2歳児とは思えない思考を持っているから、鑑定スキル持ちだと周知される前に身を守る術を、1つでも多く身に着けてもらおうかな…と。その全権をぼくは任されたんだ」
ぼんやりとしながらも説明していたカインだったが、わたしの髪をいじる手はそのままにクイードへと視線を向ける。
「それで? レティシアのスキルはどの程度のものなのかな?」
そう問いかけるカインの声は固く、瞳に力がこもっているのがわかる。
それまでもソファに座る2人の前に姿勢よく立っていたクイードだったが、その問いにスッと背筋が伸びたように感じた。
ジッとわたしを見つめたクイードだったが、その真剣な表情をそのままカインに向けて説明を始める。
「レティシア様のスキルはかなりの高レベルであると考えます。
私がレティシア様と同等のレベルまで鑑定スキルを熟練させるには、何年かかるものか…想像がつきません」
「…そんなに?」
「はい。おそらく見えている項目・範囲については私の方が多いはずです。ですが汎用性の高さで言えば私のスキルはレティシア様に及ぶべくもありません」
ここ数日のクイードの授業の合間、わたしはクイードの持ち込む物や窓から見える風景、世話係やクイード自身を鑑定し、見える項目を聞き取り調査されていた。
それで判明したのは、同じ鑑定スキル持ちといえども見えているものは違うということだ。クイードの言う通り、わたしよりクイードの方が多くのことが見えているようである。
またクイードは視界の及ぶ限り、なんであるのか視力では判別できない遠くにある物でも鑑定スキルを発動させることができるのに対して、わたしはある程度の全貌が明らかになっているものでなければスキル自体が発動しないという差もある。
逆にわたしは、1度鑑定スキルを発動させると集中力の続く限り1回のスキルとして鑑定を続けることができる。対して、クイードは1つの物に1回のスキル。毎回新たにスキルを発動し直さなければ鑑定することができない。スキルを使うためのSPに上限があることもあって、クイードが1日に鑑定できる数はそう多くはない。
「こうなるとレティシア様が西区、それも侯爵令嬢として生を受けたのは、レティシア様にとってこれ以上ない幸運だったというしかないでしょうね。ここまで汎用性の高い鑑定スキル持ちなど聞いたことがありません。
この国では力が全て。他にない技術や能力も、この国では力です。これだけ幼ければ利用されるだけの傀儡に堕ちる可能性もあったのでしょうが…幸い、幼い御身を守る高い身分がある。
それにカイン様、ミネット様、ユージン様、ハルティア様と先のご兄弟は全てレアスキルに目覚めて、保護や教育に対するノウハウもある。つくづくアークハルド家を敵に回すことが愚かであるとしか思えませんよ」
それらの説明を聞いたわたしは勢いよくカインを振り仰いだ。
わたしのレティシアとしての世界はこの部屋のみで、交流がある兄弟も部屋を訪れるカインやユージンだけだった。それ以外の兄弟も、兄弟たちの能力も、わたしは何も知らないのだ。
ただ同腹と異腹の姉がそれぞれ1人ずついるとは知っていたので、それが名前の挙げられたミネットとハルティアであるのだろうと察せられた。
わたしが兄弟たちへの好奇心に瞳を輝かせて見上げていると、カインは苦笑して落ち着かせるように頭を撫でてくる。
「ハルティアは第二夫人の子で、レティーの同腹の姉に当たる。ミネットは第三夫人の子だ。
2人は確かにレアスキルに目覚めたけれど、ちょっと特殊なスキルでね。他人に強く影響を与えるスキルだから、2人とも面会を制限されているんだ。レティーが会えるのはまだ先になるかな」
わたしは落ち込むとともに少しばかり納得もする。
軟禁に近い生活を送っているわたしではあるが、それはわたしばかりではないらしい。姉2人が特殊なスキルに目覚めたとなれば、わたしにもそういったスキルに目覚めるかもしれないと思うのも当然のことだ。
そう自分なりに結論を出し納得しようとしていたところで、その考えは覆されることになる。
カインは衣服の下につけていた首飾りを外しながら続けたのだ。
「レティーが外に出されないのは黒髪だからだね。しかも青い瞳だって言うんだから尚更だ」
それは初耳である。
黒髪には何か因縁があるのだろうか。確か父親も黒髪であると聞いたのだが。
「黒髪は不吉なのですか?」
「違うよ、逆。
黒髪はとても珍しくて、神竜の眷属たる竜族に連なる色だと言われている。たぶん王都…下手をすると国内にも5人もいない。
そして断言してもいい、そのうち女性はレティー1人だけだ。黒髪の女性なんて、記録上でもおよそ300年ぶりだからね」
カインはわたしの頬を撫であげる。改めてわたしの瞳の色を確認するように覗き込んでくる。
ジッと見つめてくるカインに反して、それまでの言葉をクイードが継いだ。
「それに玉色と言って、特に美しいと言われる色の組み合わせがあるんですよ。
そのひとつが白い肌に黒髪、青い瞳。まさにレティシア様の持つ色です。
またこの黒髪の玉色は竜色と呼ばれるくらい、とても珍しい組み合わせでここ何十年も報告されていません。もし外に漏れれば、それだけで大陸中の注目を集めることになります」
クイードの視線がわたしからカインに移る。
カインはクイードに頷き返すと、再びひたとわたしの瞳を見つめた。
「だからぼくがレティーの側にいるんだ」
カインの瞳に今までと違う色を見て取って、ピンと背筋が伸びる。
その際に鑑定スキルを発動させるように促されて、カインに対してスキルを発動させた。
カイン・アークハルド Lv.29
種族:ヒト 性別:男 年齢:14
所属:クレイナート王国 アークハルド侯爵家
職種:職人見習い
HP:335(335)
MP:222(222)
SP:99(99)
スキル:天啓 状態異常耐性 擬態 礼儀作法 身体補整
火魔法 水魔法 光魔法 剣技 錬金 性技
賞罰:-
その結果に驚きで目を見張る。
この短い期間で1つレベルが上がっていることもそうだが、以前には無かったスキルが4つも増えているのだ。この短い期間に習得したというのだろうか。
そこでハッとする。
今はカインの手に握られている首飾り。説明の途中でわざわざ外して見せたのは理由があるのではないか。
わたしが首飾りを見たのに気付いて、カインは満足そうに微笑んだ。
「そう、これは砂漠の迷宮から発掘された魔道具だ。効果はステータスから選択した一定のスキルを隠蔽すること。
毒や麻痺といった状態異常にかかりにくくする『状態異常耐性』。
人の姿を偽ることのできる『擬態』。
身体バランスを整え、武術を始めとした体を使うスキルやアビリティに取得補整の掛かる『身体補整』。
取得が難しいとされる『光魔法』。
このどれもがレアスキルと言われるものだ。人のステータスを見る方法は鑑定スキルだけじゃないからね。この魔道具は重宝させて貰っているよ」
そうして首飾りをカインが身に着けたとたんに、カインのステータスからそれらの表記が消える。
カインはわたしの頭を撫でながら、にっこりと微笑んだ。
「ぼくがレティーのことを任されたのは、ぼくが『擬態』スキルを持つからだ。
レティーが外に出るときには、ぼくがレティーの色を変える。だからぼくから離れたらいけないよ?」
「そのためにわざわざ婚約までされたんですものね?」
カインの言葉を真面目に受け取り、頷こうとしていたところにクイードが水を差した。
話の統合性がつかめずキョトンと2人に交互に視線を移すと、クイードが不自然なほどにこやかな笑みを向けてくる。
「そういえば言っていませんでしたね。
レティシア様、婚約おめでとうございます」
「…は?」
「確かにお2人は婚姻関係を結ぶことはできますが、実際に至るかどうかはまだわかりませんよね。
もし他に婚約者を求められた際には、私のことを思い出していただけると助かります」
クイードの言っている言葉の意味がイマイチわからない。
疑問を顔一面に浮かべてカインへと視線を移すと、苦笑しつつ衝撃の言葉を口にした。
「まぁ端的に言うと、ぼくとレティーが婚約したんだよ。婚約者なら行動を共にしていても不思議じゃないからね」
「…は?」
頭がついていかないわたしに気づいているだろうに、クイードはそんなわたしの様子が面白いようでニヤニヤと意地悪く笑いながら畳みかけるのだ。
「一応言っておきますが、母親さえ違えば兄妹での婚姻も可能です。
この場合はアークハルド侯爵家がレティシア様を外に出す気はないという表明パフォーマンスとも言えますが」
カインはしたりと頷いて、わたしにもわかるようにかみ砕いて説明してくれた。
「もし既に婚約者のいる人を欲しいと思えば、その婚約者の同意を得なきゃいけない。たとえ王族でも身分を笠にきて、婚約者のある人を手に入れようなんて以ての外だ。あまりにも外聞が悪いからね。
つまり他の誰かがレティーを得るためには、どんな立場の者であっても最低条件としてぼくの同意が必要になる。
ぼくが婚約破棄に同意する条件は2つ。1つはレティーの同意を得ること。もう1つはアークハルド侯爵家に利のある相手であること、だ」
「つまりレティシア様の父上である公爵は、将来的に嫁がれて他家に移ることになるだろうレティシア様も、アークハルド家の傘下から出す気はないと宣言したも同然だということです。
加えて将来的に破棄する可能性が高い婚約であるとわかりきっていても、今は婚約者がいるという事実に変わりはない。既に婚約者がいる女性に婚約の申し込みなど出来ようはずもない。
結果的にこれから多く寄せられたであろう婚約の申し込みの牽制になります。水面下では破棄後を見越して駆け引きがあるでしょうが、表面化しないだけマシでしょう。
お2人ともが、それぞれに対しての強力な虫よけなんですよ。破棄を前提とした婚約だとわかっていますから、実際に婚約を破棄したとしてもお2人に関してはあまり不利になりません。
それでも思い切った手段ではあります。婚約破棄が不利にならないだけ、お2人が将来有望であるということですから」
お互いがお互いにとっての虫よけ。
身内だけで収まるのなら、それはそれで有効であると納得することができる。
しかしクイードの言いざまからしても、さすがのクレイナート王国においてもあまり褒められた手段ではないのだろう。
汎用性の高い鑑定スキルを持つわたしと、多くのレアスキルを持つカインだからこそできることだということはわかった。
「でも兄様にとっても、わたしは虫よけとしての効果はあるのですか?」
父に3人の夫人がいるように、きっとカインも複数の妻を娶ることになるはずだ。
配偶者は1人であると決まっている女性より、効果は低いように思うのだが。
「ぼくにしてもレティーを婚約者にすることで、婚約の申し込みを断りやすくなるんだよ。
異腹とはいえ妹を、次期侯爵と目されているぼくが第一夫人に迎える用意がある。それだけレティーには価値があって、同等の価値を示さなければ必要ないとアークハルド家が考えていると、周囲は判断するだろうからね」
つまりはわたしもちゃんと虫よけとして機能するということか。
「まぁレティーが他に結婚したい人がいないっていうなら、そのままぼくと結婚してもいいんだけどね。
せっかく自分で結婚相手を見つけてもいいってお墨付きを貰ったんだ。これから色んな人を見て考えていけばいいさ」
公爵令嬢という立場において、自分で結婚相手を見つけてもいいという利点。
そう締めくくったカインに、確かにその利点は有効に活用すべきだと思いながらわたしは頷いたのだった。