3.溺愛
ずっと不思議だったことがある。
それはわたしに与えられる遊具だ。
小さなハンマーだったり鉱物だったり角材だったり。本来は遊具としての機能を持たない、ともすれば道具でさえない物が与えられる。
フリッカーとしての記憶を取り戻すまでのわたしは、子供らしく試行錯誤しては新しい遊びを考案していた。本来の使い方でなくとも使用人たちは見守るだけで、危険だと判断されたときだけ手を出される。
何故こういった物を与えられるのだろうと考えて、もっともらしい推測はわたしの家がこういった物を扱う家であるということ。物心つく前から道具に慣らしておこうという意図ではないだろうか。
しかし統一性がない。
最初のうちは鍛冶師かと思っていたのだが、次第に薬品を扱うだろう道具が混ざり始める。
ほとんどが繊細な道具で、わたしがおとなしく遊んでいる普段の様子を見て、渡しても危なくはないだろうと判断されて遊具に追加されたのだろうと思う。もっと進めば刃物なども渡されるようになるのではないだろうか。
今もわたしは与えられたピンセットのような道具で、小さなガラス玉をつまんでは別の容器に移すという作業を繰り返していた。
指が太くて短くてふくふくとした幼児の手は、細かいことをするのに向かない。今からこうして指先の器用さを鍛えているのだ。
幼児である今、体を鍛えることは周囲に不信感を与えるだろうし過剰な運動は成長を阻害することにもつながる。
何か訓練になるものはないかと考えて、遊びのように見えるものを取り入れるようにしていた。何らかの制作に関連する家なら、無駄になることもないだろう。
そしてどうやらその推測は外れてはいないらしい。
「レティーは手先が器用だな。今度、装飾系や薬品系の工房見学に連れて行ってみようか」
そんな言葉が頭上から聞こえる。褒めるように頭を撫でることも忘れない。
わたしは作業の手を止めて、わたしを膝の上に乗せている人物を見上げた。
「おや、やっとぼくの相手をしてくれる気になったのかい?」
そう言って目を細めてとろけるような甘い笑みを向けてくれるのは、フリッカーの記憶を取り戻して初めて会うことになる長兄だった。
褐色の肌に暗い赤髪と金色にも見える明るい色の瞳。わたしと兄妹に見えない色味を持つ彼は、母親が違うということを物ともせず、わたしを溺愛しているらしい。
しばらくぶりに姿を見せた兄は一人で遊ぶ私を視界に入れたとたん、無言で抱きしめ額に口づけ膝に抱えて、ただ頭や頬を撫で続けていた。相手にするも何もない。無言で黙々と自分を愛でる兄に、どう反応すればいいのかわからなかったのだ。
「カインにいさま、ずっと来なかったの」
「ああ、さびしい思いをさせたかな。
父上に命じられてね、サロワ爺のところに行っていたんだ。これからは定期的に全部の工房を回ることになるんだよ」
「こうぼう?」
「そうか、レティーはまだ行ったことがないのか。
父上にお願いして、1度全部の工房を見学に行ってみようか。レティーの年なら、ひととおり見るだけでも意味があるだろうし」
「いっぱいあるの?」
「アークハルド家は国全ての工房を管轄する役目だからね。1日で回り切れないくらい、いっぱいあるよ」
さすがに全部とは予想外だった。制作を一手に任されるなら、アークハルド侯爵家とはそうとう大きな家なのではないだろうか。
もしかしたらこの国には、公爵や侯爵といった高位貴族が少ないのかもしれない。
そのとき、バンと大きな音を立てて部屋の扉が開いた。
驚いてそちらに顔を向けると、長兄と同じ色合いを持つ少年が肩を怒らせて立っていた。
「こらユージン、あまり大きな音を立てるな。レティーがびっくりするじゃないか」
「よくもそんなことが言えましたね、兄上!
研修の間自分は会えないのに、ぼくだけレティーに会えるのはズルいとか言って禁止しておいて! ちゃっかり1人で会いにくるなんて!」
飄々と言い放つカインに、ズカズカと歩み寄ってきながら次兄・ユージンは怒鳴る。
その内容に目を丸くする。思わず2人を見比べてしまった。
わたしの視線に気づいたカインはバツが悪そうに苦笑して、わたしを抱き上げると立ち上がり、無造作にユージンの頭を撫でながら部屋を出るように促す。
「悪かったよ、ユージン。ほら、レティーと一緒に散歩でもしようか。
まだレティーは部屋から出る許可がないけど、ぼくが一緒なら大丈夫だから。ユージンが来るのを待っていたんだから、それ以上怒らないでくれ」
その言葉は効果覿面だった。
まだ不満そうにしながらも押し黙ったユージンは、それでもわたしを部屋から連れ出すことが嬉しいらしく、先導して部屋の入口へと向かう。
それにしても記憶を取り戻してからひと月近く経つが、未だ部屋から出たことのなかったのも意図してのものだったらしい。
まだ幼児であるし、わたしが普段いる部屋は充分広い。幾人もの使用人が十分な世話をしてくれる。2歳児でしかないわたしに知り合いがいるわけもなく客も来ないため、使用人以外に部屋の出入りはない。
この状況であれば部屋から出たことがないのも不思議ではないのかもと思っていたのだが、わたしは部屋から出ないようにされていたらしい。
すると理由は何なのだろうか。それにカインが一緒なら部屋を出られるということの意味は。
この日初めて、わたしは鑑定のスキルを発動させた。
カイン・アークハルド Lv.28
種族:ヒト 性別:男 年齢:14
所属:クレイナート王国 アークハルド侯爵家
職種:職人見習い
HP:320(320)
MP:211(211)
SP:31(97)
スキル:天啓 礼儀作法 火魔法 水魔法 剣技 錬金 性技
賞罰:-
へー、12も年が離れていたのか。今まで見た使用人と比べても、まだ14歳にしてはレベルもステータスも高いなー。英才教育ってやつか。スキルも多いよね、そうそう14歳とは思えない。うん。天啓ってどういうスキルなんだろう。
…なんて現実逃避をしてみたのだが、それも無駄に終わる。そう、14歳にしてスキル:性技ってなんやねん。兄を見る目が変わりそうである。
気を取り直して次兄、ユージンを見る。
ユージン・アークハルド Lv.9
種族:ヒト 性別:男 年齢:7
所属:クレイナート王国 アークハルド侯爵家
職種:-
HP:92(92)
MP:90(90)
SP:63(63)
スキル:相場 礼儀作法 算術
賞罰:-
そしてこちらは随分とMP、SPが高めだ。
相場、算術とスキルがあるから、将来はお金に関する仕事に就くのだろうか。カインの補佐として育てられているのなら、そういう技術を今から仕込まれているのかもしれない。
せっかく鑑定を発動させたので訓練と情報収集を兼ねて、そのまま周囲を観察する。
鑑定を発動させると大きな脱力感に襲われ、維持にも集中力が必要なのだ。それは経験上知っていたため、少しでも早く体に慣れさせるために毎日少しずつ発動させる時間を増やしている。
キョロキョロと忙しなく周囲を見回しているが、初めて部屋を出るということなら不自然でもない。実際、抱き上げているカインからは微笑ましいものを見る視線を向けられていた。
すれ違うのは使用人たちばかり。彼らはわたしたちの姿を確認すると、道を譲り通り過ぎるまで頭を下げる。
それにしても、やはり使用人たちが持つのは物騒なスキルが多い。たまに錬金や調合といった生産系のスキルを持つ人がいるのも、工房を管轄する役目とやらの影響なのだろうか。
そんな中で、気になる人を見つけた。
レイ Lv.19
種族:ヒト 性別:女 年齢:20
所属:クレイナート王国 マッケラン侯爵家
職種:諜報
ステータス数値が見えない使用人がいたのだ。
これも経験上、知っていた。
引き継いだ能力の使い方は覚えていても、転生した体は使い慣れていない。そのことからスキルレベルが下がったのと同じ状態になるのだ。
だから今のわたしはまだ、他人のスキルの詳細や状態異常といったいくつかの項目、そして味方ではない人間のステータスの詳細が見えないのである。
そして彼女の所属の「マッケラン侯爵家」と職種の「諜報」。そのことから彼女はスパイなのだろうと容易に推察できる。これはどうするべきなのだろうか。
カインの言う散歩は屋敷といっていい広さの家から出ることなく、見晴らしのいい通りをぐるっと回って戻ってくるコースだった。
途中で寄ったバルコニーから見えた景色は、市街地と街を取り囲む塀、その向こうは果てのない森林で圧巻であったと述べておく。
そして1つの収穫があった。
視界に入った地理を把握しようとしたときに、またも鈴の音が聞こえたのだ。
『スキル:地図作製を発現する条件が整いました。フリッカーへと付与します』
オートマッピング機能である。
スキルが発現した瞬間から、部屋へ戻るまでの地図がはっきりと描かれ、視界に入った場所が朧げに補完する形で描かれる。といっても建物の形からなんとなく道の予測ができる近い場所だけだ。
地図の名前は「アークハルド侯爵家邸宅・3階」と、朧げな地図ながらも「クレイナート王国・王都(西区)」の地図。今いるのが王都で、周囲を取り囲むのがホーツ大森林なのだろう。森林は距離があったことから地図は手に入らなかった。
地図は任意で視界を占める大きさを変え、また消すこともできた。行動範囲の狭い今は、役立つこともないので視界の隅に小さく表示させておく。
地図上に動く小さな白い丸は、私が存在を把握する人間だろう。もっとこのスキルを使い慣れれば、持っている地図上の全ての人物を把握し、任意で目印をつけたり、それが誰であるかも把握できるようになるのであるが。
散歩から戻って直ぐ、ユージンは使用人が迎えに来たため部屋に戻ってしまった。
カインはわたしに水分を取らせてから、部屋を出る前に、続き部屋にいるわたしの世話係を部屋に呼び戻そうとする。
切り出すには今しかないだろう。他に人がいない間に、わたしはカインへと声を掛けた。
「カインにいさま。マッケランとはどういう家ですか?」
動きを止めたカインは不思議そうにわたしを見つめた。
部屋の外へ呼びかけようとしていた足を止めて、再びわたしを抱き上げると膝の上へと乗せる。
「レティー、どうしてマッケラン侯爵のことを知っているんだい?」
「マッケランのひとがいました」
それにカインは訝しげな表情をする。
今日、初めて部屋を出たわたしがそういったことを把握できるわけがない。わたしはレイというメイドがマッケランの人間であったことを告げた。
「待って。もしかしてレティーは見て、人の名前とかがわかるのかい?」
「はい。なまえと、としと、レベル、そのひとのいえがわかります」
「そうか。レティーは鑑定のギフト持ちか…」
ギフト持ちとはスキルを持って生まれてきた人間であるらしい。
確かに幼児が鑑定のスキルを持つなど、生まれつきであるとしか考えようがないだろう。わたしはカインの勘違いを訂正することなく、不安げに見えるように兄を見つめる。
「ああ、ごめんねレティー。そのレイってメイドのことはぼくに任せてくれていい。
それと人の情報が見えるってことは、これから誰にも言うんじゃないよ? 傍についてくれているメイドたちにもだ」
わたしの表情に気づいたカインは、頭を撫でながらわたしに注意する。
能力を知られることはわたしにとってもリスクでしかない。兄の言いつけを守るという形にしたほうが、2歳児が自分の能力について口にしないという行動に説得力が出るだろう。
わたしは素直に頷いた。
「レティー、明日からできるだけ時間を取って出掛けようか。
父上にも話して許可を取って来るよ。鑑定持ちなら、できるだけ多くの物を見たほうがいいからね」
そう言い残してカインは部屋を後にする。
入れ替わりで戻ってきた世話係に果物を貰いながら、どうやらやっと部屋を出る機会が得られそうだと、楽しみができたことにわたしは上機嫌だった。
やっとメインキャラクターが登場しました。
早く国の構造とか説明したいんですがね、もう少しお待ちください。