宣戦布告
オルドくんのお菓子教室。
キャロラインがやってきた。召使いを二人と、護衛の人間を二人。いずれも若い女性だった。
召使いたちには客間で待機していてもらい、俺たちは厨房へとやってきた。
キャロラインの服装はいつもの豪勢なドレスではなく、動きやすそうなドレスだった。それでも使っている布地は最高級なんだろうな。
俺はエプロンをキャロラインに渡すとつけるように促した。既にノエルと俺はつけている。
「まあ、本当に全て手作りなんですね」
厨房内に用意してある道具や材料を見渡し、キャロラインが楽しそうにしている。
うん、悪い子ではないんだろうけどなあ。
「まずは、そこで手を洗おうか」
予め桶には手洗い用の水を用意してあった。キャロラインとノエルが楽しそうに喋りながら手を洗う。
「できたよ!」
ノエルに微笑みかけると、俺は用意してあった小麦粉の袋を持ち上げた。
「じゃあ、始めようか」
材料はどれも、遠方で菓子用にと流通されているものだ。ミリューではあまり使われないが、ケインさんが頻繁に使うので卸してもらっている。俺もその恩恵に預かっている感じだ。
始めに粉をふるいにかける。この作業をやるかやらないかで、かなり出来上がりに差が出る。最初は俺が、残りをノエルとキャロラインに引き継いだ。
粉が舞うから静かに、な。
「できました!」
おいおい、二人とも顔中粉だらけですけど。俺は苦笑いしつつ、皿の上で溶かしてあったバターを脇に避ける。これも希少なものだ。レイダリアなどでは貴族の料理に使われることが多い。
ごくごく低威力の火の魔術か、湯煎するのがいいかな。
「卵割ってもいい?」
ノエルが卵を二つ、手に持っている。俺が頷くと、一つを慎重に割った。
「あー……」
ノエルの悲しそうな声が響く。どうやら殻が少し入ってしまったようだ。
「卵を割るとき、平らなところにぶつけるといいよ」
「うん、がんばってみる」
もう一度、今度はさっきよりも慎重に。
「できた!」
ノエルが歓声を上げる。
「上手になったなあ」
破片を取り除くと、卵が二つ分ボールに浮かんでいる。うん、いい卵だ。
黄色というより濃いオレンジの黄身。透き通った白身。完璧だ。
「よし、軽く卵を崩してこれを入れて」
砂糖を取り分けてあった器を指す。今度はキャロラインがやるようだった。
最初だけやり方を教えると、意外にも手際よくやっている。なかなかやるな。
「よし、次は粉とバターだ」
コツはさっくりと混ぜること。うん、悪くないな。
「これが、先日食べたものになるんですか……」
キャロラインは半信半疑のようだ。無理もないか。まだ見た目は不透明なスライムに似ているし。
おっと、隠し味に酒を入れるのも忘れない。
「よし、型に入れようか」
用意してあった型は二つ。これには、燃えにくい紙を敷いてある。ケインさんの研究の賜物だ。これを敷かないと焦げ付く。
まずは生地を半分ずつ入れ、間にジャムとナッツを入れる。少し落としてならして、もう一度上から生地を流し込む。上に野菜の種を散らして、もう一度型をトントン落として終わりだ。
「そろそろオーブンも暖まったかな」
アペンドック家に、オーブンは二つある。両方を魔術で暖めてあった。
「早く焼けないかな」
ノエルは大層ご機嫌だ。
「まだパンを焼くんだけどね」
食材を貯蔵するための樽には、クレイアイスから輸入した氷が入っている。あいにく俺は魔術で氷を作れないからな。仕方ない。
樽の中から俺が出したのはパン生地だ。これを適当な大きさに成形していく。
「最後に卵黄を塗ろう」
ハケで丁寧に塗っていく。照りが出て見た目も綺麗になる。
並べてオーブンに突っ込めば、あとは焼き上がりを待つのみだ。
「少し休憩にしましょうか」
今日は厨房にいたことだし、アイスティにした。薄切りのレモンを浮かべた爽やかなやつだ。
少しはしたないけど、厨房に椅子を持ち込んで飲む。まあ、俺はいつものことだけどね。
「おいしいです」
どうやらキャロラインは満足のようだ。
キャロラインとノエルが世間話に興じている間、俺は簡単な片付けを済ませた。
次第に、厨房内にいい匂いが漂ってくる。
「できたかな」
取り出してみると、申し分ない出来だった。焼菓子は少し冷めるまで待たないとな。
「先に客間に戻っていていいですよ」
俺が声をかけると、ノエルはそれで理解したらしくキャロラインの腕を引いた。
「先に行こう」
「え、ええ」
キャロラインは慌てたようにノエルの後を追う。
二人を見送ると、俺は焼き上がったパンを取り出して微笑んだ。
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立派な銀のワゴンに、ティーセットと焼いたパン、それに何種類かのジャム。あとはバターやチーズ、ハムなんかものせた。もちろん焼き菓子もだ。
「お待たせ」
客間に入ると、キャロラインだけではなく召使いと護衛二人も驚きの表情を浮かべている。普段どんなもの食べてるの、一体。
「ありあわせだけど、よかったらみなさんもどうぞ」
紅茶を注ぎ、パンを勧める。言っちゃなんだが、ハムは自家製だ。自信作だ。
「間に挟むといいですよ」
「こうやるんだよ」
ノエルがお手本を見せる。小さな手でパンを二つに裂き、間に好きな具を詰める。
「おいしい!」
ノエルの感想を皮切りに、キャロライン達も恐る恐る手を伸ばす。その表情が、途端に驚きに変わる。
「や、柔らかい……」
うん、そうだろうね。俺はその反応に満足した。表情を見ていればわかる。みんな、実に幸せそうな顔をしている。
「じゃあ、こっちもどうぞ」
切り分けた焼き菓子を並べる。
「す、すごい……これ、お嬢様がお作りに?」
召使いが困惑する。キャロラインは頬を紅潮させ頷く。
「おいしいね」
ノエルが今日一番の笑顔で言った。
「パンと焼き菓子はお土産に包んであるので、持って帰ってください」
俺が言うと、キャロラインは感激したようだった。
「あぁ……お優しくてこんなに素晴らしいものを作れて……私、本当にオルド様のこと……」
「いや、あの。俺はなんていうか」
うん、きつくお断りできないのは、キャロラインが「ノエルのお友達」だからだ。
「……決めました。絶対に、オルド様のお心を手に入れてみせます」
高らかに宣言された。いや待て。召使い達も拍手をするんじゃない。
「お、俺は心に決めた人が」
出まかせだったが、なんとかそう言う。キャロラインの表情が曇る。
「だ、誰ですか? レティス様? それともマリーヌ……」
「さ、さあ……」
「あ……まさか……」
恐ろしいものを見るように、喜色満面で焼き菓子を頬張るノエルを見下ろす。そして、俺を見つめる。
視線が痛い。なんだその、可哀想なものを見る目は。
「く……ですが、負けません! 絶対にその邪悪な恋から解き放ってみせます!」
「いや、だから」
「いいえ、何も言わなくて結構です! 失礼しますわ!」
鼻息も荒く、客間を出て行くキャロライン。慌てて召使い達が後を追う。お土産はここの召使いが渡してくれるからいいだろうが……。
「これはまた、面倒なことになりそうだな……」
盛大な勘違いをされてしまった。また色々と身辺が荒れそうな予感に、思わず俺は盛大な溜息を零していたのだった。
ノエルだけが、ニコニコ笑顔なのだけが救いだ。本当に。