朱に染まる
以前グラーゼと会った時、彼は言っていた。この剣は俺とグラーゼを結ぶものなのだと。
いま彼は、確かに目の前にいるのだ。だけど、その姿は実体があるようには見えない。
「……神でないお前に、神の力を得た私を倒せると?」
「貴様は魔術師のくせに、物事の本質を見る目が曇っているらしい。モルドを本当に御しきれていると?」
ランドルの問いに、問いをかぶせる。プライドの高いランドルの顔が、忌々しげに歪む。
「ランドル、俺もグラーゼと同じ意見だ」
「ふん、お前のような矮小なものに何がわかる」
「わかるよ。過ぎたる力は身を滅ぼす。何事にも、分相応っていうものがある」
アデライドが俺に言った言葉の意味が、今なら分かる。今のランドルは、明らかに自分の分を逸脱している。なまじ才能と頭脳に恵まれていたからか。俺にはわからないけど。
「生意気だよ、君は本当に生意気だ。リルハやケインを思い出して……反吐がでる」
「奇遇だな、俺もお前の話を聞いてると気分悪い」
ここまできたら、もう会話に意味なんてない。人ですらなくなったこいつを、人の法で裁くことは意味のないことだ。それならもう。
「お前を倒して、ネージュの身体も返してもらう!」
「力を貸そう、オルド」
俺にというよりも、剣になんだろう。駆け出した俺に、グラーゼがついてくる。変な感じだ。
「そんな剣が何度も通じるか!」
漆黒の大鎌が、ランドルの手に顕現する。上段に構えた剣を振り下ろすと、ランドルの大鎌と派手な音を立てて鍔迫り合いになる。耳障りな魔力の衝突が、俺の耳朶を震わせた。
「おいおい、相手がオルドだけだと思うなよ……っと!」
いつの間に移動したのか、ファブリスが横合いからハンマーを振るう。舌打ちとともに後退したランドルの背を、クラレットの爪が薙いだ。
「くっ……この!」
背中を削がれても、ランドルはすぐに体勢を立て直す。そこへ、アデライドの魔術が降り注ぐ。紫電が空を裂き、ランドルの胸を貫いた。
それでも無傷なあたり、やっぱり人間やめてるだけのことはある。
だがここで、追撃の手を緩めるわけにはいかない。俺はすぐさまランドルに駆け寄り、下から剣を斬りあげた。
アデライドの魔術で仰け反っていたランドルの胸を、グラーゼの剣が切り裂く。
「ぐ……あ、あ!」
本来血が出るはずの胸からは、やはり黒い霧が漏れ出す。胸を押さえて数歩後ずさったランドルが、苦悶の表情を浮かべて片膝をついた。
「おのれ……こんな……」
傷を治すつもりなのか、ランドルが何かを唱え。すぐに驚愕の表情を浮かべる。
「そ、んな……ひ、ぐ……やめ……」
苦しそうに首を掻き毟るランドルを、俺たちが見守る。異様すぎるランドルの様子に、アデライドが俺の肩をつかんだ。
「御しきれぬものに侵されれば、末路はああだ」
ランドルの胸から、這い出てきたもの。それは、ネージュを腕に抱いた死霊の王モルド。
「ぉ、お……ご……」
死霊の王の腕から、ネージュが投げ出される。死霊の王はそのまま、ぱっくりと裂けたランドルの胸から完全に這い出ていた。
無様に転がるランドルを、死霊の王が摘み上げる。ランドルの顔が、恐怖に歪んだ。
「い、いやだ……死にたくな……」
懇願も哀願も、死霊の王には意味のないものなのだろう。生贄にされた少女たちと同じく、呆気ないほど。ランドルの胸に、深々と死霊の王が牙を刺す。びくんびくんと身体を痙攣させ、絶望と驚愕を張り付かせたランドルが絶命した。
死霊の王は、ランドルを無造作に口へ投げ込むと、何事もなかったかのように佇んでいた。
「死霊の王モルドよ」
動けないでいた俺の代わりに、グラーゼが声を掛ける。死霊の王はグラーゼの言葉になら反応するのか、緩慢にグラーゼを見遣った。
「……感謝する」
何か会話があったのだろうか。グラーゼがそれだけ言うと、死霊の王はゆっくりと霧散していった。
あまりにも呆気ない幕切れ。何が起こったのか理解が追いつくわけもない。だけど、一つだけ。
「……信じられぬ、息がある」
「ほ、本当か?!」
固く双眸を閉じているものの、ネージュは無事だった。そういえば、ネージュだけはあのモルドの口に入れられていなかった。
「クラレット、ファブリス。ネージュを介抱してやってはくれぬか……」
「あぁ、そうだな。行こう」
「はいですニャ……」
クラレットとファブリスが、ネージュを連れて出て行く。
残されたのは、俺とアデライドとグラーゼだ。
「無茶をする……」
寂しそうに呟いたのは、アデライドだった。
「すまない」
「お主はいつもそうだな……」
寂しげに笑うアデライドは、辛そうだった。俺も席をはずすべきかと逡巡すると、アデライドが首を横に振る。
「……オルド。よいのだ」
「でも、積もる話もあるだろ」
「その時間は残念ながらない」
グラーゼの言葉とともに、彼の輪郭がおぼろげになっていく。
「いってしまうのか」
「いつか……また」
「今度こそ約束を破るでないぞ」
「あぁ」
アデライドを抱き締めようと、剣から手を離したグラーゼが。光の粒子となって消えていく。
アデライドの腕の中で笑みを浮かべて消えるグラーゼは、何を思うのか。俺にはわからない。名残惜しそうに見送るアデライドを見つめながら、俺は静かに空を見た。
白み始めた空は、激戦の後を忘れさせるほど美しいもので。ひとつの脅威が過ぎ去ったことを、やっとじんわりと自覚できたのだった。
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事後処理というものは、得てして面倒で大変な作業である。
死霊の王の顕現、ランドルの計画。そして俺たちへの聞き取り。休む間も無く一日中拘束され、解放されたのは昼過ぎだった。明日もまた聞き取りは続く。
女王陛下とキャロラインの命に別条はなく、数日すれば体調も戻りそうとのことで安心した。
「グラーゼはな、クレイアイスの人々から建国王として崇められ、神性を得ておったのだ」
レギんバッシュ邸で、アデライドが告白する。
「新たな生を望まなんだのは、儂を待つためであろうが……それも此度のことで失ったようだ」
転生も神としての存在も投げうって、俺たちを助けるために出てきてしまった。そういうことらしい。
剣を触媒にしての顕現だったからか、その存在が消えたわけではないようだけど。どちらにしても、もうあの剣はアデライドに返還済みだ。やっぱり、夫婦は一緒にいるべきだし。
「どうして男って、無茶ばかりしたがるのかしら」
ご立腹なのはレティスだ。アデライドの事情を聞き、憤慨している。
「おぉ、レティスもそう思うか」
「もちろんです、アデライド様。女を守って格好つけたいのか知らないけど、待つ方の身になっていただきたいと思いません?」
「そもそも、女がただ守られるだけのか弱き存在であるというのが解せぬ故な。儂とて、肩を並べたいと何度言ったことか」
「そうですよね?! 本当に……聞いているの、オルド!」
「聞いてます……」
ここは大人しく頷いておこう。
なんだろう、なんでグラーゼの話から、俺に矛先が……?
「大体、死霊の王に真正面から挑むなんて……」
たっぷりお説教タイムに突入してしまったようだ。それだけレティスには心配をかけたってことで、ここは大人しくきいておかないといけない。
「反省してる。けど……レティスを怖い目に合わせたあいつを、許しておけなかったから」
「またそうやって誤魔化す!」
逆効果だったようです。
まだしばらくは、レティスのお説教も続きそうだった。でも、不思議と嫌な気はしない。
結局、この手で決着をつけることはできなかった。それでも、今は。グラーゼが犠牲にしてまで与えてくれた平穏を、享受してもいいよな?
「もう、何笑ってるの」
頬を膨らませるレティスの手を取り、引き寄せる。ふわりと花の香りが鼻腔をくすぐる。不思議と疲れが癒えていく気がした。
驚いて目を見開くレティスの唇に口付けると、レティスの顔がみるみる真っ赤になった。
「おぉ、熱いことだのう」
アデライドの笑いを含んだ言葉で、そういえば二人っきりじゃなかったことを思い出して。俺まで真っ赤になったのは、言うまでもないと思う。




