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笑顔

微妙にグロ注意です。

 ピクリとも動かない女王陛下を助け起こすもの、アデライドの魔術で薙ぎ倒された衛兵を下がらせようとするもの。

 室内は騒然となり、睨み合うネージュとランドルだけが静かに立っていた。

 俺とファブリスが武器を手に、ネージュ背後へと辿り着く。怒りで肩を震わせたネージュが、息を吸い込んだ。


「あたしの血を……使ったの」


「えぇ、まぁ。さすが始祖に連なる血だ。あの双子も思わぬ役に立ってくれたよ」


「二人を利用したのか……! お前が、安全に吸血鬼になるために!」


 ランドルの瞳が、剣を構えた俺を見つめる。その表情には哀れみすら浮かべて。心臓が痛い。怒りで息が上がり、ギリリと奥歯を噛み締めて必死に飛び出さないように耐えるしかできない。多分初めて……こいつを、ランドルを殺してやりたいって思った。

 同時に、俺は今までなんて甘いことを考えていたんだと。自分自身への怒りが湧いて、剣を握る手にもいっそう力が入る。

 女王陛下の厳正な裁き? 更生できるならそれでいい?

 そんな段階は、もうとっくに過ぎていたじゃないか。俺は今まで一体、こいつの何を見てきたっていうんだ。


「……ここまでお膳立てをしてくれたことには感謝しているよ、オルド。随分と長い年月がかかってしまったが、それももう許そう」


 笑みすら浮かべ、優しく両手を広げる。そんなランドルに、衛兵のう数人が魔術を見舞う。ランドルは視線すら移さず、それを無造作に払って見せた。相殺された魔力が霧散し、衛兵たちが顔色を変える。


「狼狽えるな!」


「し、しかし……グエリンデル卿!」


 衛兵が、美少女……グエリンデル卿に抗議する。グエリンデル卿は深い溜息をつくと、ランドルに向き直った。


「ランドル・アシェットよ。貴様は、この国の魔術師全てを敵に回す覚悟があるということだな?」


「今更何のお話かと思えば。所詮烏合の集まりでしょうに」


 にこりと笑うランドルが、素早く呪文を唱える。


「さぁ……顕現せよ。終端と永劫の王、楔を解き放ってやる!」


「だ、ダメ……そんな中途半端な術式では……!」


 ネージュの悲鳴が、次に聴こえた膨大な量の怨嗟の声に掻き消される。

 周りを見れば衛兵の中で特に美しく若い娘たちが、苦悶の表情を浮かべ倒れていく。それを抱きとめたのは、いずれも漆黒の霞だった。

 少女たちを取り込むように一箇所に寄り集まった霞が、やがて形を作っていく。白骨化した無数の腕。闇と血を混ぜたかのようなボロボロのローブ。足がある部分には、悍ましい悲鳴をあげる亡者の嘆きの顔。本来ならば顔が見えるであろうフード部分には、暗澹とした闇が覗いているーー……。


「モルド、様……あぁ……」


 畏怖と敬愛。複雑に入り混じった声をあげたのは、ネージュだった。切なげに腕を伸ばしかけ、ややあって首を横に振る。

 俺はただ、目の前で起こった現象から目を逸らさないでいることしかできなかった。


「女王陛下をお連れしろ!」


 こんな状況でも正気を失っていない人間は、限られていた。なんとか動ける衛兵たちが、女王陛下を、エリスさんやメリアドールを連れ出していく。


「キ、キャロライン様……!」


 声に我に帰る。慌てて声の方を向けば、意識を失ったキャロラインが、あの霞に囚われているところだった。


「キャロライン!」


 思わず、ほとんど反射的に駆け出した俺の眼前に。ランドルの涼しい顔が割り込んだ。


「ソレで供物は最後なんだよ、オルド」


「は……?」


 何を言っているのか理解が追いつくより先に、俺の身体は引き飛ばされていた。壁に叩き付けられ、息が一瞬止まる。遅れてやってきた鳩尾の痛みと嘔吐感に、目の前がチカチカした。ハッキリしない視界の向こうで、キャロラインの細い身体が死霊の王へ絡めとられる。


「や、め……」


 掠れた声が。力のない自分をどんなに呪っても、俺には彼女たちを救う手立てがなかった。

 ファブリスのハンマーが死霊の王を穿つ。だがそれは、死霊の王のローブへ触れることすらできない。霧のようにすり抜け、ファブリスが数歩たたらを踏む。

 アデライドが、クラレットが。魔術を打ち込んでも結果は同じだった。


「さて、頃合いか」


 ランドルの言葉が合図であったように。死霊の王モルドのローブが開く。醜悪で悍ましい、赤黒い口がそこにはあった。鉤爪のような牙が蠢き、少女の身体を刺し貫いていく。ビクリと身体を震わせた少女が、絶命したのは明らかだ。

 一人、また一人と捕食していく死霊の王を、止められるものはいなかった。誰もが絶望しかけたとき、その前にネージュが躍り出る。キャロラインを串刺しにすべく、死霊の王が動いたときだった。

 嫌な予感がした俺は、呼吸を整えながら立ち上がる。声が震え、うまく発声できない。それでも。


「ネージュ……!」


 ほんの一瞬。ネージュが寂しそうにこちらを振り返った。手を伸ばした俺からすぐに視線を外すと、ネージュがゆっくりと膝を折る。


「……モルド様。どうか、巫女たるあたしの身をお使いくださいませ。その娘の代わりに……」


「やめよ、ネージュ!」


 アデライドの叱責にも、ネージュが顔を上げることはなかった。死霊の王の腕が、キャロラインを投げ捨てる。ネージュが安堵したように顔を上げ。


「……ごめんね、オルド」


 あの子達をお願い、と。ネージュが笑う。


「あ……あぁ……ネージュ……!」


 伸ばした手が、空を掴む。あと一歩というところで、ネージュの腹に深々と。死霊の王の牙が穿たれた。


「素晴らしいよ、ネージュ。ここまで予定通りに進むとは。さぁ、死霊の王。私にその力を寄越すんだ」


 ランドルの声に。俺の理性が吹き飛びかける。

 ネージュが、どんな気持ちで我が身を犠牲にしたのか。自分の妹すら利用し尽くすこの男を、俺はもう生かしておくつもりはない。

 グラーゼの剣が、俺の想いに呼応するように発光する。そうか、あなたも俺を助けてくれるんだな。それなら……。


「……決着をつけよう、ランドル」


「いいだろう、オルド」


 どんな手を使っても、ネージュの犠牲は無駄にしないから。

 死霊の王が、ランドルの側へと滑るように移動していくのを。俺は剣を握り直して見つめていた。

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