月下のメダリオン
夕闇が、民の姿を無くした首都に影を落とす。ひしめく亡者の呻き声と、どこかで戦う騎士や冒険者たちの怒号。火の手が上がった一画を消化する、冒険者たちの声。
俺たちはそんな首都の中、人の姿も亡者の姿も比較的少ない位置を駆けていた。
アデライドの使い魔が、アンデッドの出現点を探り出してくれた。俺たちは少し遠回りになるが、騎士団が奴らを引き寄せている間に大外から回り込むことにした。
南側の城郭にほど近い、古い墓地。そこが渦中だ。俺たちは大通りに面した東側の商店の側、ちょうど小道になっている部分から慎重に顔を覗かせた。まだ墓地までは距離がある。大通りには、いまだおびただしい量の亡者がひしめいていた。
「駆け抜けるのは無理だろうな」
小道の奥へ引っ込むと、俺たちは顔を見合わせる。あの中を何の備えもなく突っ切れば、アデライドやファブリスは兎も角俺やクラレットでは命はない。
「……あたしに任せてくれる?」
ネージュが暗闇でも燦然と輝く真紅の瞳を、俺に向ける。
「危険なことをしないって約束するなら、いいよ」
「危険ではないけど、オルドたちには馴染みのないものかもね」
ネージュは薄く笑うと、大通りを見遣る。その瞳には、一見するとなんの感情も宿っていないように見える。だけど俺たちは知っている。ランドルの行動によって誰よりも傷ついているのは、ネージュだ。
俺はネージュの手を掴むと、ゆっくり頷いた。
「……無茶はするなよ」
「わかってる。テュリナとシャリナを、ふたりぼっちにはしない。やくそく」
「うん、それでいい」
ネージュは微笑むと、俺の手をやんわりとほどく。すぐに踵を返すと、大通りへ向けて歩き出した。
端を歩いていた数体が、ネージュの接近に気がつく。ネージュはそれを気にする様子もなく、軽やかな足取りで進む。手に持った粗末な武器を、亡者たちが振り被る。
警告の声を発するべきか。俺が逡巡したその時だった。
戸惑うことなく、ネージュが左腕を差し出した。亡者の剣はネージュの細い腕を軽く傷つけただけだが、その肌からは真っ赤な血が流れ出す。
「ネージュ!」
駆け出そうとした俺を、アデライドの腕が阻む。俺が睨むと、アデライドはゆっくりと首を横に振る。
「わからぬか、ネージュの側に渦巻く魔力が」
言われて、探るように精神を集中する。確かに、ネージュが何か詠唱しているのが聴こえてきた。
「哀れな子らよ、真なる主を頂くか。我が腕で永遠の眠りを望もうか。さぁ……」
ふわりと差し伸べられたネージュの腕が、不思議な魔力を帯びる。初めて感じる魔力の波だった。俺は助けを求めるようにアデライドを見つめる。
「……吸血鬼の操る闇の魔術だ。治癒の魔術が光、吸血鬼……というよりも、広義には魔族の操る魔術が闇。死や終焉、時すらも操ると称される術」
「あれは、どういう効果の魔術なんだ?」
そもそも、エルフや吸血鬼の魔術は人間が操るものとは基本的に違うものだ。もっと感覚的に使っているもの、らしい。それを人間である俺が理解するというのも、なかなかに難しい。
「見ておればわかる」
アデライドの言葉もそっけないものだ。
アデライドの言う通りネージュに視線を戻せば、あるいは崩れ落ち、あるいは行動を停止した亡者たちの姿があった。
「……これで、この一帯の亡者はあたしの眷属に入ったから」
「え、眷属に……」
ネージュが静かに頷き、既に完治した左腕を掲げる。
「あたしは死の王モルド様の巫女。血にはモルド様の加護が」
「ランドルの操る術より、ネージュの操る魔術の方が亡者どもにはより心地良いということだな」
ネージュのやった方法は、確かに人間には馴染みのない方法だった。普通アンデッドをどうにかするといえば、炎で燃やし尽くすか奇跡の術で消滅させるか。もしくは物理的に再起不能になるまで叩き潰すか。とにかく、活動できない状態で残しておくことはできない。
ネージュの術でも何体かは崩れて消滅してしまったが、それはモルド様には逆らわないが、ランドルも裏切れないという義理堅いアンデッド、らしい。アンデッドに感情があるのかといえばそうではなく、ネージュ曰く余程強い因縁があるか、生前ランドルと懇意にしていたか。そういう魂に刻まれた部分がさせることなのだという。
亡者の世界も色々あるらしい。
「……うし、そんじゃ行くか」
ファブリスが明るい調子で言う。俺も慌てて剣を握り直すと、頷いた。
結局、アデライドには俺が見ていた夢……というより、多分夢ではないと思うけど。そこで出会った彼女の夫、グラーゼのことは話せないままだった。
この戦いが終わったら、剣を返して。そして、彼のことを話すべきだろう。それはアデライドの為でもあるし、あんなところで一人きりでアデライドを待っているグラーゼの為でもある。
ネージュの眷属になった亡者たちは、大人しいものだった。俺たちが近づくと、ゆっくりと道を開ける。まるでそれが当然であるかのように。いや、感情がないんだから、彼らにとってはそれが普通のことなのかもしれないが。
大通りを歩き、やがて目の前に石造りの門が見えてきた。ネージュの眷属になった亡者たちに守られるようにして、俺たちはついにそこへと辿り着く。
激しい腐臭と、無残に掘り返されたかつて墓だった場所。その中心に、彼はいた。
「ランドル……アシェット……」
生暖かい風が墓地を吹き抜け、ランドルの身に付けた黒いローブがはためいた。いつもならついている魔術灯すら消えた暗い墓地。やけに明るい月の下、はっきりと光を照りかえしたのは。死霊の王モルドの、メダリオンだったーー……。




