互いの思惑
普段、貴族の子供は家にこもっているばかりではない。特にこの国の貴族はそうだ。
レイダリアにも大きな魔術学院はあるが、一般の生徒も多く学んでいて冒険者育成の意味合いが強い。ミリューの学院は、いずれ親の研究を引き継ぐための方法論を学ぶ色が強い。
もちろん、実技も必要だから座学だけよければいいってわけでもないけど。
「はぁ」
俺は、その日何度目かの溜息をこぼした。
王立ケレノア魔術学院。通うのはミリューの貴族と一部の奨学生のみだ。ケインさんの葬儀や後処理も終わり、俺は学院へ復帰していた。いや、復帰というのは違うか。本当は今頃留学しているはずだったわけだから。
昼食を食べ終わり、今は教室にいた。他の生徒たちがそこかしこで談笑する中、俺は一人机に突っ伏していた。
「浮かない顔ですわね、オルド様」
心配そうに声をかけてくるのはマリーヌだった。
「あぁ……」
「悩み事なら私が……」
言葉が途中で途切れた。マリーヌだけじゃない。教室にいた生徒が、おしゃべりをやめて入り口を凝視する。
「オルド様!」
空間に花でも散っているのかってほどの笑顔。今まさに俺の頭を悩ませていた原因、キャロラインだった。
「キャロライン様」
マリーヌが辛うじて名を口にするが、おずおずと進路を明け渡す。キャロラインは微笑むと、俺の目の前に立った。
さすがに、俺も立たないとまずい。慌てて立ち上がると、キャロラインの瞳とかちあった。
「先日はありがとうございました。私、あんな体験は初めてでした」
教室からどよめきとひそひそ話が聞こえる。
わざとやってるのか?
頭を抱えそうになるのを耐え、俺は作り笑いを浮かべた。
「いえ、あの程度ならいつでもお作りしますよ」
側にいたマリーヌには、それでわかったらしい。焼菓子の件だ。
こんな時、俺の趣味が家事全般でよかったなと思う。ケインさんに感謝だ。
生徒たちの何人かも、俺たちの会話を聞いて納得したようだった。
「それで、他にご用件は?」
「まあ、怒っていらっしゃるの? それとも、わざと冷たいことをおっしゃるの? 酷い人です」
言葉とは対照的に、キャロラインはくすくすと笑う。舞踏会での一件を見るに、彼女があの場で緊張していたのは……まぁ、本当だとしてもだ。
ここまでくると、これは絶対にわざとだ。本当に俺を好きかは別として、強引に俺を……。
だとしたら、相当性格悪くないか?
「あら、珍しいわね」
吐き捨て、汚物でも見るような目。だがこの日ばかりは、救世主のようだった。いや、遠くクレイアイスの聖女のごとく。今はなんでもいい。とにかく、そこにはレティスが立っていた。
「レティス!」
安堵から、思わず笑顔になってしまう。
レティスが不機嫌そうに俺を睨んだ。
「ちょ、ちょっと! 慣れ慣れしく呼ばないでったら!」
ぷりぷりと怒っているが、そんなことはどうでもいい。俺はこのチャンスをものにするしかない。
「申し訳ありません、キャロライン様! ちょっとレティスに用事があるんです。それではまた。マリーヌも後でな」
会話を打ち切り、レティスの腕を掴み歩き出す。レティスが文句を言っているが、今は取り合ってる場合じゃない。あの場にいるよりは、レティスの罵倒に耐える方がマシだ。
「ちょっと! いい加減にして!」
閑散とした中庭で、怒声と共に腕を振り払われる。顔が怒りで真っ赤だった。
「な、何を考えているのよ!」
甲高い声で叫ばれ、耳鳴りがする。
「ごめん」
俺が謝ると、レティスは一瞬悲しげに顔を歪めた。
「キャロライン様と何の話をしていたのか知らないけど、私を利用しないでよ」
「だからごめんって。なんかさ、キャロラインが俺の事を好きらしくて」
「はぁ?!」
レティスが眉を吊り上げる。
「そんな理由で?」
レティスの冷たい視線が痛い。もっと罵倒されるものと思っていたんだけど。
「気を悪くしたなら謝る」
「謝罪は結構よ」
ぴしゃりと言い放つ。こんなレティスは見た事がなかった。
「おい、だから連れ出した事なら……」
中庭に、乾いた音が響く。遅れてやってくる、頬の痛み。
「私がなんで怒っているかもわからないくせに。馬鹿にしないで。不愉快だわ……」
レティスはそれだけ言うと、足早に去っていった。
残された俺は、幼馴染みの初めて見る姿に呆然とする他なかった。
「なんでお前が泣くんだよ」
思わず口をつく言葉が、虚しく中庭に消えていった。
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憂鬱な気持ちでアペンドック家に帰ると、エリスさんとノエルが出迎えてくれた。
「オルド、大丈夫?」
エリスさんの問いを適当にいなし、俺は夕食の準備をする。
最近は忙しいエリスさんの代わりにノエルの相手もするから、なんだか主婦にでもなった気分だ。
でも今は、逆に気が紛れていい。
不可解な事はいっぱいある。キャロラインの態度はまぁいいとして。いや、よくはないけど合点はいく。
問題は、レティスだ。無理矢理教室から連れ出した事を怒っているようではなかった。
「うーん、わからん」
いくら考えてみても、レティスの思考がわかるわけもない。俺は溜息をつくと、大鍋をかき混ぜた。
「まぁ、明日もう一度謝ろう」
許してもらえそうもないけどな……。もう一度深い溜息をこぼすと、俺は翌日の学院の気まずさを想像し肩を落とした。