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首都蹂躙

 街は酷い有様だった。そこかしこで悲鳴や怒号が響き、避難する人たち、それを誘導するひとたち。そんな彼らに迫る亡者たちが、逃げ遅れた人間を手にした武器で無残に殺す。そこにはいかなる感情も挟まない、恐るべき軍団だ。


「くそっ……」


 既に何体目かわからない、骨と皮だけになった亡者を切り伏せる。筋肉を持たない亡者たちは、攻撃が当たりさえすれば倒すのは難しくない。カルラの扱きに感謝しつつ、俺は額の汗を拭う。剣を振るい慣れているカルラですら、アペンドック邸を目指しつつ進路を切り開くのには難儀している。


「おい、こっちへ!」


 カルラが唐突に声を上げる。見れば通りの向こう側から、子供の手を引いて赤子を抱いた女性が逃げてくるところだった。


「あぁ……騎士様!」


 女性が安堵の表情を浮かべる。王城に比較的近いこの辺りに亡者の数は少なく、市街地へ向けて騎士団が出ているのも見れた。


「……! 危ない!」


 刃こぼれの酷い剣を上段に振りかぶった亡者が、暗い眼窩を子供へ向ける。母親が悲鳴を飲み込み……意を決したように子供を引き寄せた。


「大好きよ、マリク」


 母親はマリクと呼んだ子供に赤子を抱かせると、ふわりと微笑んだ。俺の横を、カルラが風のように駆けていく。母親の背に剣が振り下ろされ。真っ赤な血が路地を汚す。

 カルラの剣が亡者を斬り伏せ、遅れて駆けつけた俺が子供と赤子を保護する。

 物言わぬ骸となった母親が、目を見開いて倒れていた。


「あ……あぁ……」


 マリクは母親の亡骸に、縋り付こうとして……抱いていた赤子を見た。ぐしゃりと顔を歪めると、震える唇を開く。


「にいちゃんが、ついてるからな……!」


 必死に唇を引き結び、気丈にもそう言ったマリクを。俺はぎゅっと抱き締めた。


「すまなかった……私がもっと早く……。いや……」


 今は、どんな謝罪の言葉も意味がない気がした。俺たちだって、必死に走っていたところなのだから。


「……マリク、まだ走れるか?」


「う、うん」


「この先に、もう一人助けを待っている女の子がいるんだ。悪いけど、一緒に来てもらうよ」


 マリクは素直に頷くと、一瞬母親を見た。カルラが上着をかけてやっているところだった。


「赤ん坊は俺が抱こうか」


 俺が尋ねると、マリクは首を横に振った。


「大丈夫。それに、母ちゃんが……」


「うん、そうだな」


 俺はマリクの頭を撫でる。マリクも頷くと、しっかり赤子を抱き直した。


「そう言えば、赤ん坊の名前は?」


「シャーロット」


「いい名だね」


「母ちゃんがつけたんだ」


 マリクは嬉しそうに笑い、シャーロットを大事そうに見つめた。見たところ、マリクは十二歳ほど。シャーロットを抱きながらでも、ある程度は走れるだろう。

 シャーロットはといえば、スヤスヤとよく眠っている。こんな現実、いかに赤ん坊といえ見せるべきじゃない。早くなんとかしないと。


「……そろそろ行くぞ」


 立ち上がったカルラに頷き返すと、俺とマリクは駆け出した。俺が先頭でカルラが殿だ。

 やはりというか、相当数の騎士団が駆り出されているようだった。貴族の屋敷が立ち並ぶこの辺りが、王城への最終防衛地点なんだろう。

 この辺りまでくると、亡者の姿はほとんど見られなかった。ほとんどが、騎士たちによって倒されているんだろう。


「オルド様!」


 俺の耳に飛び込んできたのは、ナルの声だった。


「ナル!」


 屋敷の二階の窓から、ナルが身を乗り出す。手には湾曲したナイフが握られている。そういえば……ナルは機械都市の貧民街出身。荒事にも慣れているのか。


「ノエルは……ニナや他のみんなは!」


「ニナには、使用人の避難を任せました。当家は馭者が出払ってますから……」


 そうだ。たった一人しかいない馭者は、今はエリスさんを王城へ乗せて行っている。あいにくと余計なものがないアペンドック邸は、馬車も一台しかない。

 亡者の蔓延る王都を、幼女を連れてナルだけで歩くのは危険か。


「カルラも来てくれたから、降りてきて」


 俺の言葉にナルは引っ込み、ややあってノエルを連れて出てきた。

 ひらひらとしたお嬢様らしいドレスではなく、ノエル用の乗馬服だ。髪も、いつものようなふわふわくるくるではない。後頭部で綺麗にお団子にしている。

 そのノエルの腕には、宝物のセバスチャン人形が抱かれている。ケインさんとの大切な思い出だから。


「お待たせいたしました。……そちらは」


「あぁ、市民街でちょっと。マリクと、妹のシャーロットだ」


「よろしくね!」


 ノエルが微笑む。マリクはふっと目を逸らし、小さく頷いた。


「……なんだよ、にいちゃん。貴族か」


 明らかに落胆した様子のマリクのケアは、後回しだ。王城へ避難し、レティスの無事を確かめないと。


「そろそろ行こう」


 俺たちは頷きあう。

 走り慣れていないノエルを連れての逃避行は、早くはない。だが、王城へ近づくごとに警備の騎士たちが増えていく。

 石畳を駆け抜け、ノエルとマリクの息が上がり。これ以上走らせるのは酷だなと思った頃、やっと城門へ辿り着いた。


「おぉ、カルラ殿……こちらへ」


 門を守っていた騎士たちが、俺たちを城門の横にある扉へと案内する。中に入ると、城の前の広場は避難してきた民たちでごった返していた。

 家族との再会を喜ぶ者、泣き崩れる者、騎士たちに詰め寄る者。様々だが、みんな疲れ切っているようだった。


「オルド先生!」


 俺の側に駆け寄ってきたのは、希望の丘の子供たちだ。彼らは若草騎士団の宿舎にいたのだから、そこまで心配はしていなかった。それでも無事を確認できてよかったけど。


「みんな無事でよかった」


「先生も……あれ、その子は」


「あぁ、マリクとシャーロットだ。マリク、俺は他の避難した人を確認するから、この子たちといてくれるかな」


 遅れてやってきたシスター・レインを見ると、彼女は力強く頷いた。

 ちょうど、周りの騒がしさのせいかシャーロットが目を開け、泣き出した。


「お任せください。まぁまぁ……シャーロットというのね、お腹かしら。それともおしめかしら」


 シスター・レインは微笑み、戸惑うマリクからシャーロットを抱き上げる。慣れた手つきであやすと、シャーロットがふにゃりと笑った。


「まぁ、いい子ね。そうだわ、誰かお乳が出る方から、分けていただきましょう」


 そう言って、興味津々の子供たちにも微笑みかける。


「あなたたち、お願いね」


「はい、シスター・レイン」


 子供たちは返事をすると、パタパタと駆けて行った。恐らく、おしめや必要なものを分けてもらいに行ったんだろう。

 シスター・レインの早業に、俺もマリクも驚いていた。だけど当然か。彼女は若いとは言っても、孤児院のシスターだ。赤子の世話をすることも、いままでに何度もあるんだろう。


「さぁ、マリクもいらっしゃい。まずは、ゆっくり落ち着けるところで休みましょう。シャーロットも疲れていてよ」


「う、うん。ありがとう……」


 マリクが、俺を見て頭をさげる。俺はマリクの頭を撫でると目線を合わせた。


「ごめんな、側にいてやれなくて。後で顔を出すから、シスター・レインたちといるんだぞ。そのうち炊き出しもあるはずだ」


「わかった」


「あの、マリク……」


 ノエルがマリクに、おずおずと話し掛ける。マリクが不思議そうにノエルを見つめる。


「この子、持ってて。シャーロットちゃんに」


「え、いいのか……?」


 見るからに上質な毛皮を纏うぬいぐるみに、マリクが驚きの声を上げる。ノエルはセバスチャン人形を差し出すと、無理矢理マリクの腕に押し付けた。


「夜は寒いんだよ」


「……う、うん。そうだよな」


 マリクは頷くと、セバスチャン人形を抱き締めた。

 そうしてマリクとシャーロットは、シスター・レインと共に広場の奥の方へと戻って行った。ここにいれば、少なくとも街中よりは安全だろう。


「オルド、待たせた。レティス嬢の居場所がわかったのでな。ご無事だよ」


 騎士たちに状況を聞いていたカルラが戻ってきた。


「貴族は王城か?」


「そうだな。たまたま街に出ていた貴族の一部が、戻っていないらしいが。それと、ファブリス殿と例のハインツと言ったか。あれも無事だ。現在は牢に入れてある」


「そうか……」


「テュリナとシャリナだが、彼女たちも無事だ。もっとも、吸血鬼である彼女たちを、件の亡者どもは襲わないらしいが……」


 声を潜めて言うカルラは、困ったような表情を浮かべる。


「だが、やはり日光には弱いらしい。少し火傷をしてな。今はレティス嬢の部屋に匿ってもらっている」


「わかった、すぐに行こう」


 俺たちは人混みを縫うようにして、王城を目指した。

 広場は混乱を極め、暮れ行く街は赤く染まっていった。もうすぐ夜が、訪れるのだ。

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