亡者の行進
この数日の間は、希望の丘の子供たちを再度訪問するため、俺はシスター・レインと手紙のやり取りをしていた。
その合間にもクラレットと商売や貴族会議の綿密な打ち合わせや、貴族会議での具体的な動きをエリスさんを交えて詰めたりと、目の回る忙しさだった。
レティスも手伝いたいと言ってくれたが、いくら婚約者と言っても婚前の令嬢を長い間泊めるわけにもいかない。それが分かるだけに、レティスも食い下がることはしなかったが。
俺だってレティスがあんな目にあったばかりで、彼女の側を離れるのは少しばかり不安だった。だがそこは、アデライドが客人としてヴァルキード家に滞在するということで決着がついた。ちなみに俺の家にはファブリスがいた。その理由というのも。
「……もう一度聞くけど、本当に話す気はないのか?」
レギンバッシュ家にある、ごく普通の客間。その椅子に縛り付けられているのは、あの小屋で捕まえた若い男だった。
かろうじて聞き出した名前は、ハインツ・ジェランド。ジェランド家といえば下級貴族で、確か数代前に爵位をもらったばかりの振興貴族だ。振興貴族らしく、その時により所属する派閥を変える強かな一族だったと思う。
「ハインツ殿、そうやってだんまりをしているとまずいのでは?」
「ど、どういう意味……です」
「あなたが背後にいる何者かを教えてくれないのであれば、今回の希望の丘襲撃並びにヴァルキード家令嬢レティスの誘拐。あなたの犯行ということになりますが」
「そ、それは……」
俺の言葉に、ハインツは震え上がる。罪状だけ並べ立てれば、恐らくは家の取り潰しだけでは済まされないだろう。このまま騎士団に引き渡してしまえば、その瞬間彼の運命は決まる。
「……あなたが何を恐れているのかは知りませんが、このまま女王陛下へ裁定を願い出てもいいんですよ」
貴族というのは、こういう場合の私刑もある程度許されている。後で膨大な報告書を出さなくてはならないので、あまりやる人はいない。俺たちがこうしてハインツを捕まえておけるのも、私刑が許されている故だ。
「こ、殺される……。そんなことになれば……」
「へぇ、誰にです」
「ランドル様に決まって……っ!」
後半は喉を詰まらせ、ハインツは俺を見上げる。蒼白を通り越して白くなった顔が、今にも泣き出しそうな哀れに歪む。
「ランドル様、ですか」
「あ……あぁ……おしまいだ……」
天を仰ぎ絶望する様にも、俺は同情すら感じなかった。こいつだって無実ではないわけで。ランドルにいいように言われていたにしろ、そこを誤ったのなら償うべきだ。
「ではハインツ殿。選ぶといいです。真実を秘匿し潔く処刑されるか、全てを女王陛下へ話し、陛下の温情にすがり無様な生を望むのか」
見たところ、このハインツという男は生に執着がある。というより、大抵の人間はそうだろう。カルラのように高潔な騎士道精神に操を立てているなら、己の正義に殉ずることもあるか。だが、この手の人間は泥を啜ってでも生きていくものだ。じゃなきゃ、派閥争いが激化する中あっちへこっちへ行き来できるはずもないし。
「わ、かった……。全てを女王陛下へお話しする……だからどうか、陛下には……」
「あぁ、わかった。ちょうど明日、他の証人喚問もあるから、そこにハインツ殿も召喚されるだろうな」
「おい、もし事実と違うことを言えば……わかるよなぁ?」
まるで悪人のような台詞を吐くのは、俺の後ろで睨みを利かせていたファブリスだ。ハインツのようなやつには、ファブリスの脅しが効果覿面だったようで。震えながら何度も頷いていた。
俺だけだと舐められるという理由でここにいるんだが、確かにスキンヘッドで筋肉モリモリのおっさんに脅されたら……うん、大抵の人間は怖いよな。
「安心しろ、ここにいればランドルに暗殺されるような心配はない。俺もそれは困るからな」
俺の言葉に、ハインツは明らかに安心した様子だった。
それからは女王陛下へ読み上げる調書の作成のため、エリスさんから派遣された文官を招き入れた。いくつか新しくわかった事実もあったが、ランドルに指示されてレティスをあの場に監禁していたということ以外、特にめぼしい情報はなかった。正直、下っ端はこんなもんか。
ただ、その情報の中で重要なものもあった。
「ランドル様は……あの双子を依り代に、死霊の王を蘇らせるつもりだったのです……」
ハインツが震えながら呟く。依り代に、ということは。二人の身体にモルドを降ろすということ。では、何故レティスも?
単にヴァルキード家と俺の動きを牽制するためじゃないっていうことか。
「生贄ですよ」
口角を歪に引きつらせ、ハインツが笑う。仄暗い微笑みに、俺は思わず顔を顰める。
「どういうことだよ」
乱暴に返せば、ハインツはふっとため息を吐く。
「そのままの意味です。死霊の王を呼び出すためには、吸血鬼が肉体を提供するだけではダメなのですよ。若く精力溢れる命が必要なのです」
つまり、モルドが吸血鬼に与える永遠の死とは。その依り代として、魂を貪られることなのか。
「本来は、吸血鬼とその信奉者である餌の人間が行う儀式であるらしいですが……巫女が捕まりましたから」
ネージュのことを暗にさすハインツに。俺は無言で見つめることしかできない。ランドルは、ネージュにも嘘をついていたことになる。
力を借りるなんていう小さなことではなかった。
死霊の王の顕現。そんなことをして、どうするつもりなんだ。
「……あの、オルド様」
調書をとっていた文官も、酷く狼狽しているようだった。こんなこと、悠長に審理していていい話題ではない。すぐにでも女王陛下へ伝えるべきことなんだろう。
「……エリスさんに、すぐに知らせて。どうすべきか相談するべきかな」
「僭越ながら、そう愚考いたしますが……」
汗を拭いつつ、文官が答える。俺は頷くと、ハインツを見つめる。
「知っていることはそれで全部か」
「此の期に及んで隠し立てなど……」
ハインツが疲れたように呟く。俺は頷くと、ファブリスを見やる。
「しばらくハインツ殿を見張っていられるかな」
「構わないが、お前は?」
「この人を送ってくるよ。カルラが来てくれてるし、大丈夫」
「あの女騎士か。確かにあいつなら大丈夫だろうが」
ファブリスが頷くのを確認し、俺は文官とともに部屋を出る。
ランドルが最悪の一手を打たないことを願いながら。
道中は若草騎士団とカルラに守られ、何の問題もなくアペンドック邸へと辿り着けた。先触も出さずに顔を出した俺たちを、ナルは余計なことを言わずに招き入れる。
エリスさんの執務室に通された俺は、調書をエリスさんに手渡した。俺と文官がエリスさんに伝えた内容は、エリスさんを酷く悩ませたようだった。そもそも女王陛下への謁見……といより審理の願いは、明日行う予定で進めていたのだ。だが内容的にもランドルが逃亡する可能性も考えれば、事態は一刻の猶予もなかった。
「……すぐに王城へ行きます」
調書に全て目を通したエリスさんは、疲れたようにそう言った。
「ご一緒いたします、エリス様」
「悪いわね、こんなことを頼んでしまって」
文官を労わる言葉を言いつつも、エリスさんは既に立ち上がっている。控えていたナルを見ると、頷きかける。
「馬車のご用意なら、既に」
「ありがとう、ナル」
「俺は一度屋敷へ戻ります。もし呼び出しがあれば、すぐに」
「えぇ。多分すぐに呼ぶことになるわね……」
エリスさんの顔色は悪い。無理もない。死霊の王を蘇らせてやることなんて、いったいどんなおぞましいことなのか。考えるだけでも背中が寒くなる。
「では、陛下の元でね」
エリスさんとは、アペンドック邸の前で別れた。
帰りの馬車に揺られながら、俺は考えていた。
ランドルが死霊の王を呼び出そうとしたその理由。これは考えても想像の域は出ない。死霊の王は、不死という甘美な贈り物を司る。だがそれは、実際はアンデッドという生ける屍を生み出すこと。吸血鬼にとってはまた違う意味合いを持つけど、ランドルは人間だ。呼び出したところでどうなるというのか。精々、アンデッドの軍勢でも率いるくらいか。
「アンデッドの軍勢……国家の転覆……? まさか……」
辿り着いた一つの答えに。俺は乾いた笑いを浮かべる。貴族として成り上がるだけじゃ飽き足らず、奴は……。
「嘘だろ……」
思考を打ち消さざるをえなかったのは。大通りを埋めるようにして歩く亡者の群れが目に入ったからだ。
今しがたの思考を肯定するようなその光景に、俺は馬車から飛び降りた。
「カルラ!」
「オルド!」
俺はアデライドから譲り受けた剣を抜き放つ。
戦いなんて苦手な分野だ。それでも頭のどこかで、俺はいくつも考える。
「……すぐに、アペンドック邸へ戻る!」
そこかしこで、民たちの悲鳴が響く。何人かの冒険者が、住民たちを守るために駆け回っているのが見える。
街中がこの状況になっているとして。アデライドなら、レティスを守り切ってくれるだろう。ファブリスもきっと大丈夫だ。今一番危ないのは。
「ノエルは今、屋敷にいるんだ」
「……わかった。お前たち、なるべくおおくの民たちを守りながら王城へ避難せよ。おい、お前はすぐに城へ伝令を飛ばせ!」
カルラが指示を出す間にも、亡者の群れが迫りつつあった。ここもやがて、亡者たちに飲み込まれるだろう。
「我らが剣にかけて、必ず」
若草騎士団の面々が、駆けていく。俺とカルラは頷き合うと、走り出した。亡者たちが王城へ辿り着く前に、ノエルを保護して避難しなくてはならない。
間に合ってくれ……誰も死なないでくれ。そんな願いを。誰に祈ればいいのかわからない思いを胸に、俺は石畳を蹴っていた。
レティスの側にいてやれない自分を呪いながらも、ノエルを見捨てることはできない。どうか、無事で。お前に何かあれば、俺は……ランドルを絶対に許さない。




