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白銀の夢

 部屋を訪れたのは、やはりというか。アデライドとファブリスだった。

 テュリナに噛まれて意識を失った俺をここまで運び込み、必要な治療と呪いを施して事後処理をしてくれていたらしい。

 驚くことに、俺は三日も眠っていたらしい。

 そして、もう一つ。アデライドとファブリスの後ろから現れたのは、牢に繋がれているはずのネージュだった。


「なんでネージュがここに……」


 そもそも、吸血鬼らしいネージュが、真昼間にこうして出歩いているのが不思議でならない。その前に、罪人である彼女が彼らといる理由も。


「オルドを助けたのが、あたしだから」


 ネージュの言葉に、俺はアデライドを見る。しっかりと頷いたアデライドの瞳が、それが真実なのだと語る。

 俺は頭の疑問符を押しやりつつ、ひとまず頭を下げた。


「……わざわざありがとう。でも、どうして」


「言ったでしょう、オルドに興味が出たと。それに……」


 ネージュはそこで、わずかに表情を曇らせる。何かを唇に乗せようとして……部屋の扉が乱暴に開かれた。


「オルド先生……!」


「目覚めてよかった!」


 銀糸の髪を揺らし、瞳には大粒の涙を浮かべ。バタバタとベッドサイドに駆け寄ってきたのは、理性を取り戻したテュリナとシャリナだった。

 俺のそばでうずくまるようにして、何度も謝罪の言葉を口にする。その姿に、俺は戸惑いを隠せないでいた。


「……あたしが吸血鬼なのは、もうわかっているかもしれないけど」


 ネージュが静かに語り出す。その瞳には、悲しみすら浮かべている。


「吸血鬼は、モルド様との接触が容易い種族なの。ランドルはあたしが捕まった場合に備え、あたしの血を欲した。だから、与えた」


「ランドルも吸血鬼なのか……?」


 吸血鬼はその数こそ少ないが、人間の血を吸って生きているという。その数が増える原理とは、吸血鬼が吸った相手に自らの血を与えること。そこには抗いようのない主従関係が生まれる。


「違う。モルド様のお力を借りる儀式に使うため。あたしはランドルの血を吸っていない」


「力のある吸血鬼はな、血を吸わずとも生きていける。良質な葡萄酒や花の香。個体によるであろうが、このネージュならば……」


「吸血鬼の貴族の中でも、至高の三家と呼ばれる家がある。あたしはその中のひとつ、クレイベル家のものだから……。始祖に連なる家系だから、日光も克服している強い個体。そういう位置付けね」


 なんでそんな存在がこんなところでぶらぶらしているのか。というより、それって吸血鬼と全面戦争になったりしないのか。


「……それで、その血がどうかしたのか?」


 とりあえず疑問や不安は後回しにし、ネージュに続きを促す。ネージュはテュリナとシャリナを見つめると、小さく溜息をついた。


「ランドルはよりによって、一番やってはいけない方法をとってしまった。あたしの血を……」


 ネージュが苦しそうに顔を歪める。嫌な予感に、俺はテュリナとシャリナを見る。二人は泣き止んでいて、ネージュのことを気遣わしげに見ていた。


「あたしの血を、二人に与えたの」


 そう告げたネージュの顔色は、酷く悪かった。テュリナとシャリナは不思議そうにネージュを見つめている。


「私たち、ネージュ様の眷属となれて幸せですよ」


「あたしも!」


 シャリナの静かな言葉に続くように、元気にテュリナが手を挙げる。


「それは……あなたたちの血が、あたしの血に縛られているから」


「でも、ネージュ様が助けてくれたんでしょ?」


「そう、だけど……」


 ネージュの血を入れられたテュリナとシャリナは、吸血鬼の儀式を受けられなかったがために暴走した。そんな二人を救うには、二人の血をネージュが吸い、再びネージュの血を与える。儀式をやり直す必要があった。だがそれは、彼女たちの人間としての尊厳を否定し、踏みにじるものだ。ネージュが吐き捨てるようにそう説明した。


「君は吸血鬼なのに、血を吸ったり眷属を増やすのが嫌いみたいだな」


 俺が尋ねると、ネージュは首を横に振る。


「血はおいしいわ。二人のように若く美しい娘ならなおのこと。だけど、限りある生を生きる権利を、あたしは奪ったの」


「限りある生、か。そういえば、ネージュはモルドの巫女だったもんな」


「あなたたち人間には、滑稽に映るだろうけど」


 悠久を生きる吸血鬼が、死に憧れるなんて。そう言って微笑むネージュの姿は、酷く儚げなものだった。


「ねぇ、ネージュ」


 それまで黙って聞いていたレティスが、おもむろに口を開く。その様子に、ネージュが視線を向ける。


「後悔するのもいいけど、もう起こってしまったことは仕方ないと思わない?」


「……でも」


「あなた、大事なことを忘れていない?」


 レティスの言わんとすることがわからないらしいネージュが、首をかしげる。


「悠久を一人きりで生きるのは、確かに寂しいでしょうね。あなたは血を吸わなくても生きていけるし、人間と仲良くすることだってできる。でも仲良くなった人間とも、いつかは別れがくるわ」


「そう……だから」


「でも、ね。あなたはもう、ひとりじゃないでしょう?」


 そう言うと、レティスはテュリナとシャリナに視線を移す。


「この子たちを置いて、まさかまだ死にたいなんて言うつもりないわよね?」


「……!」


 ネージュの瞳が、明らかに驚きに見開かれる。恐る恐るレティスを見つめると、唇をわななかせて問う。


「……だけどそれは、私の血が縛ってしまっているせいで」


「この際、そこはしょうがないじゃない。それならその無駄に長い寿命でも利用して、吸血鬼化した人間を元に戻す方法でも探したらいかがかしら?」


「そ、それは……そうね」


 その方法は思いつかなかったらしいネージュが、驚きつつも嬉しそうに。何度も何度も頷いている。

 俺はレティスの考えに脱帽していた。どちらかというと、双子のこれからを憂いていた俺には、そんな考え到底出てきそうもなかったからだ。


「あ……そういえば、俺も噛まれたんだけど」


「……あ、うん。それはあたしがもう一度噛んで、テュリナの血液をオルドから吸い出したから……」


「そんなこともできるのか」


「でも、あたしの唾液も人間には基本的に毒だし。それで、そこのエルフが」


 なんだか短い間に色々とあったらしいことがわかり、俺は溜息をついた。


「……結局、ランドルのせいでこんなことになってるんだろ。俺は今回はもう、本当に頭にきてるんだけど」


 俺が怪我をするだけならまだいい。だが今回はレティスをさらい、テュリナとシャリナを人ではないものに変質させてしまった。しかも、ネージュの血を利用して。

 アデライドやファブリスも同じ気持ちなのだろう。静かに頷いている。


「あたしも、今すぐあいつを八つ裂きにしてやりたい」


 物騒なことを口にするネージュだが、それは俺もそうだ。だけど、それじゃあランドルと同じになってしまう。それだけは、どうしてもできない。


「俺だって許せない。だけど、やっぱり法で裁くべきだ」


「そうね……オルド」


 レティスが静かに頷く。


「エリスとメリアドールが、女王を交えてのネージュに対する尋問に動いておる。だがその前に、延期になった貴族会議であろうが」


「よかった、中止になったわけじゃないんだ」


「当たり前でしょ。エリス様もお母様も、是が非でもオルドの実力を知らしめてやるって息巻いていたわ」


 二人にとっての戦いは、そこなのだろう。

 俺も俺のできることをしなくては。


「方針は決まってきたようだな。ではネージュ」


「わかってる」


 アデライドとファブリスに促され、ネージュが歩き出す。


「どこへ行くんだ?」


「牢へ戻す。一応は罪人であるが故な」


「そうか……」


「オルド、二人をお願い。あたしが戻るまで」


「あぁ、それはわかったけど」


 テュリナとシャリナには既に伝えられていたのだろう。大人しくネージュを見送るつもりらしい。


「二人とも、いい子でね。どうしても吸血衝動に抗えなくなったら……」


「それは儂がどうにかしよう」


 ネージュは安堵の表情を浮かべると、俺たちに見送られて出て行った。

 俺もいつまでも寝ているわけにはいかないだろう。まずは、希望の丘の子供たちに二人の無事をつたえないと。

 だけど、二人が吸血鬼化したなんて言えるはずもない。全てが終わった後、みんなと生活することも難しいだろう。

 通常吸血鬼は、食料としての契約を結んだ相手に見返りとして護衛を受け持ったりもするらしいが。死なない程度の吸血で、数週間から数ヶ月もつのだとか。子供たちにそれを求めるのは無理だし、俺も申し訳ないがやめておきたい。レティスがさっきから俺を気にしているしな。


「……とりあえず、手紙でも書くか」


 シスター・レインには、真実を伝えるべきだろうか。そんなことを考えながら、俺は溜息をついたのだった。

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