表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/69

繋がるココロ

 さわさわと鳴る草の音に、俺はゆっくりと目を開く。鬱蒼と茂る森の中に、俺はいた。

 ここはどこだろう。そう考えて、アデライドとファブリスの姿がないことに気がついた。悪い夢でも見ていたのだろうか。混乱する頭を振ると、俺は小さく息を吐く。

 テュリナに噛まれた肩は、不思議と痛まない。噛まれた跡すら確認できなかった。

 俺が首を傾げていると、背後の雑木から枝を踏む音が聞こえた。


「おぉ……かような場所に人がいるとは、珍しいな」


 若い男の声は、どこか楽しげに。俺が振り返ると、若草色の髪を短く切り揃えた藍色の瞳の青年が立っていた。


「あなたの所有地でしたか、すみません。迷ったみたいで」


「俺の所有地ではないから、気にせずとも良い」


 彼は人のいい笑顔を浮かべ、俺に近づいてくる。随分と古いが、よく見ればクレイアイスの紋章がついた鎧を身につけている。白銀に輝く鎧には古代エルフ文字が彫られている。だが何故か、帯剣はしていない。


「あの、ここはどこですか。できればミリューの首都まで戻りたいんですが」


「ほう、ミリューまで」


 菫色の瞳が細められ、俺を見つめる。


「出口ならば……あそこに見える大樹を目指せば行けよう」


 出口。その単語が気にならないわけではないが、俺は礼を言って頷いた。

 レティスのことが心配だったし、テュリナとシャリナのことだって心配だ。


「ここはな、彼方と此方を結ぶ場所。必ず大樹を目指し、見失ってはならぬ」


「え、それって……」


 背中が寒くなる。俺は死に瀕しているのでは。そんな結論に達した俺に、彼は笑いかける。


「まぁ、それがあれば大丈夫だろうが」


 そう言って彼は、俺が持っていた剣を見る。古代エルフ文字が刻まれた、由来不明の……。


「もしかして」


 俺が男を見ると、彼は満足そうに頷く。


「元は俺の持ち物だ。今は違うがな。それは俺とお前を結ぶものであり、アデライドとお前を結ぶものになるだろう。故に、それがお前を出口まで連れて行ってくれるはずだ」


「アデライドを……知っているんですか?」


「懐かしき名だ。本当に」


 遠くを見つめ、優しげに目を細める彼は。過去を懐かしんでいるようでもあり、憂いているようでもあった。


「あなたは……一緒に行かないんですか」


「俺は、今は行けないな」


 俺の問いに、悲しげな答えが返ってくる。なんとなく理解する。彼はもう、故人なのだろう。


「もう行くが良い。お前を案じている者たちがいるはずだ」


 彼に促され、俺は足を踏み出す。数歩歩いたところで、少しだけ振り返る。笑顔を浮かべ、手を振られる。


「あの、あなたの名前は……」


「おぉ、わすれていたな。我が名はグラーゼ。グラーゼ・ベルザルーク・クレイアイス」


 それは。クレイアイス王家の始祖の名だった。

 つまりは、アデライドの亡き夫ということになる。とっくの昔に死んでいる人間が、何故こんなところに。いや、彼方と此方を結ぶ場所がここなら、彼はずっと、アデライドを待っているということなのだろうか。


「そんな顔をするものではない。俺はここが気に入っていてな」


 グラーゼは静かに言葉を落とす。俺がどんなに言葉を重ねたところで、彼を連れて行くことも救うこともできそうになかった。


「そうだな……時が来れば。また会うこともあろう」


 グラーゼはややあって、俺を元気づけるようにそう言った。俺はその言葉に頷くことしかできない。


「さぁ、もう行け」


 追い立てるように会話を打ち切る彼に、俺は頭を下げる。

 グラーゼに背を向け、大樹を目指す。木々の間からはるか遠くに見えるそれは、辿り着くのにどれ程の時間が必要なのだろうか。

 比較になるものが木々しかないのだ。目算は当てになりそうもなかった。

 とぼとぼと歩き続け、どれ位時間が過ぎたのか。俺が思っていたよりずっと早く、大樹の根元へと辿り着いていた。


「あれ……」


 いささか拍子抜けして、俺は大樹を見上げる。幹はとてつもなく太く、高さは天に昇るほど。少しだけ大樹の縁を回ると、そこに不自然な木の扉を見つけた。人一人がかろうじて通れるほどの、小さな扉だった。


「これが出口? まさか、な……」


 俺の疑問に呼応するように。剣が淡く光る。目の前の扉が、音もなく開いたのは偶然ではないはずだ。


「……行くしかないのか」


 グラーゼの言葉を信じるなら、この剣と大樹が出口への鍵なはずだ。俺は深呼吸すると、扉の縁に手を掛けた。

 扉の向こうは無限とも思える闇が広がるばかりで。俺は恐怖心を飲み込むと、一思いに扉の中へと飛び込んだ。

 落ちる……。飛び込んだ先に床はなく、今俺は自由落下に任せていた。浮遊の魔術なんて便利なものは使えないから、もうこれは諦めるしかない。よく見れば、チカチカと星のようなものが遥か下方で明滅していた。

 それが水面のようだと理解したのと同じタイミングで。俺の身体が温かい何かに掬い取られていた。

 爆発にも似たあまりにも眩しい光が溢れ、俺は思わず目を閉じる。訪れる抗えない眠気に……俺は再び意識を手放していた。



+++++++



 目を開けると、そこは見慣れたレギンバッシュ邸の俺の部屋だった。部屋着でベッドに寝かされていた俺は、右腕に複雑な術式の描かれた文様と、呪い用の糸で縛られた剣が目に入った。

 ほとんど直感で理解する。どういう原理かはわからないが、これのおかげで目覚めることができたのだと。

 室内に人影はなく、俺は一人きりで寝かされていたようだった。


「誰か」


 続きの間から、召使いが慌てた様子で入ってくる。目尻には涙すら浮かべているところを見ると、俺はやっぱり死にかけていたのか。


「あれからどれ位寝ていたんだ? 今の状況は?」


「す、すぐに誰か呼んで参りますので!」


 ただの召使いである彼女は、詳しいことを教えられていないのか。忙しなく部屋を出て行くと、廊下の方が騒がしくなってきた。


「オルド!」


 ノックすらせず飛び込んできたのは、瞳を真っ赤に泣き腫らしたレティスだった。ドレスが汚れるのも厭わずベッドの側に跪くと、俺の自由になる左腕を握り締めた。


「本当にあなたは……!」


 怒っているのか喜んでいるのか、それとも泣いてしまいたいのか。レティスはころころと表情を変えながら、それでも必死に何かを言おうとしていた。


「あなたが……死んでしまったら私……」


 絞り出すように紡がれた言葉が、俺の胸を穿つ。そんな顔をさせたくて、助けに行ったわけじゃなかったのに。


「ごめん」


「二度目よ、あなたが酷い目にあうのは……。お願い、もうこんな危険なことは……」


「約束は、できない」


「オルド!」


 涙に濡れた目が、俺を悲しげに見上げる。俺は首を横に振ると、レティスを見つめた。


「お前が危険な目にあえば、俺は何度だって同じことをするつもりだから」


「オルド……?」


 きょとんと俺を見上げるレティスは、何を言われているのかわかっていないようだった。大きな瞳から、涙が遅れて零れ落ちる。


「俺、レティスのことが好きみたいだから……」


「え、え……?」


 自分で言ってて恥ずかしくて死にそうなセリフだった。でもレティスにはちゃんと伝えないと、伝わらないから。

 当のレティスはといえば、驚いた表情のまま固まっている。


「だから……俺とレティスの婚姻だけど、政略結婚じゃなくて本当に……」


「ちょ、ちょっと待って!」


 レティスが慌てたように立ち上がる。その顔は、熱でもあるのかというほど真っ赤だった。


「何がどうしたらそんな答えに?! あなたにはムードとかそういうものはないの?!」


 必死に強気に振舞っているが、動揺を隠しきれずに視線が彷徨っている。そんな表情をさせてしまうのに申し訳なさと、少しの優越感を感じつつ。俺は首を傾げた。


「いや、これから忙しくなるだろうし、せっかく二人っきりだから」


「そういう問題じゃないでしょう……。なんなの、死にかけておかしくなったの?」


 あ、やっぱり死にかけてたんだ。という言葉は飲み込んで、俺は苦笑いを浮かべる。


「……ごめんな、迷惑ならいいんだ」


「め……迷惑じゃ、ない……」


 ふるふると震えながらも、レティスは口元を綻ばせている。うん、可愛い。


「じゃあ、これからもよろしくな。レティス」


「う……うん、こちらこそ」


 真っ赤な顔で頷くレティスに、俺は笑顔を浮かべる。

 まだわからないことも多いが、ひとまずレティスは無事だったのだ。それだけでも俺が、怪我をした甲斐もあったというものだった。

 そんな俺たちをよそに、部屋の扉が数度叩かれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ