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闇の底で

今回微妙にグロテスクな表現がありますので、苦手な方はご注意ください。

 アデライドが開いた転移門を潜ると。そこは見慣れない森の中だった。俺が辺りを見回していると、声をひそめたアデライドが屈むように指示する。

 湿り気を帯びた下草の匂いが、鼻腔をくすぐる。これは、ハーブか薬草か何かだろうか。


「……近いのか?」


 ファブリスが小声でアデライドに確認する。今のファブリスは、動きを阻害するという理由でいつもの金属鎧は着ていない。右手に鈍く光るハンマーが握られているだけだ。


「少し進むと小屋があってな。そこにおるようだ」


「何故居場所が?」


 アデライドは微笑むと、懐から小瓶を取り出した。中には羽虫のようなものが入れられている。


「コレに捜索をさせておったのでな。もっとも、儂が探しておったのはランドルと件の双子の件であったが……」


 呟きつつ、アデライドは森の奥を見つめる。不気味なほどに静まり返った森だ。


「テュリナとシャリナも、そこにいるのか……」


「使い魔が確認できたのは、双子らしき少女たちがここへ連れてこられるところまでだな。その後移動していなければ、まだおるであろうが。無事かまではわからぬ」


「レティスもいるのかな」


「目的が掴めぬが、人質を分散させる理由も見当たらぬしな。仮に何かしらの儀式に必要なのであれば、尚更であろう」


 不安材料は多いが、ここでこうしていても埒があかない。いつかは潜入が必要になる。


「ま、行ってみようぜ」


 近所の雑貨屋にでも行くノリで、ファブリスが促す。アデライドは頷くと、何事か呪文を唱えていく。


「眠れ眠れ……草木も竜も。精霊に抱かれ夢を見よ」


 優しい風が、森を包み込む。僅かに感じる魔力は、精霊のものだろうか。やがて、アデライドが立ち上がる。


「うむ、問題なかろう」


「今のは……」


「精霊のいたずらともいえるがな。小屋の見張りに少し眠ってもらったまで」


「相手は魔術師ではない、と?」


 魔術師なら、ある程度この系統の魔術にも対抗できるはずだ。アデライド程の実力者に対抗できる術者となるとかなり限られるが、眠気に抗う間に異変を知らせる可能性も否定できない。


「……おらぬようだな」


 精霊と交信でもしていたのか、ややあってアデライドが答える。

 それなら。すぐにでも小屋までいかなくては。


「ファブリス」


「おう、わかってる」


 ファブリスは頷くと、先頭に立つ。油断なく辺りに目を走らせ、ゆっくり進み始める。

 俺がその後に続き、アデライドが最後尾だ。

 心臓が忙しく暴れている。じっとりと汗が滲むのは、緊張からだ。これは訓練でもなければ、魔物相手のちょっとした冒険でもない。

 アデライドが細工をしたとはいえ、紛れもなく人間相手の戦いだ。戦いになれば……人が死ぬ可能性もある。震えそうな足を忌々しく思いつつ、ファブリスの背をひたすらに追う。


「オルドよ、これを」


 アデライドを振り返ると、いつの間に取り出したのか。一振りの美しい抜き身の剣を持っていた。

 銀色に輝く刀身には、古代エルフ文字で何かが彫られている。相当高価なものではないのか、これは……。


「剣は扱えるのであろう。身を守るために持っておくが良い」


「でも……」


 エルフの作る武器は、ドワーフ程ではないにしろ優れたものだ。だが、基本的に金属製の重い武器は、魔術の発動には適さない。何より、実力に見合わない武器は使いこなせない。


「お主なら、きっと扱えよう」


 優しげな声で。アデライドが剣を差し出す。俺は困惑しつつも剣を受け取り……。


「え……」


 剣を受け取った瞬間、刃が青白く輝いた。


「おぉ、やはりか」


 満足げに頷くアデライドと、それを肩越しに振り返りつつ苦笑いを浮かべるファブリス。そんな二人を交互に見つめる俺。


「疑問はあろうが、それは後で説明しよう。今はそれよりすることがある」


 そう打ち切られてしまえば、それ以上俺も問うことはできない。諦めて、今はレティスたちの救出を優先すべきだ。

 いつの間にか輝きをなくした剣を握り直し、俺たちは歩き出す。

 やがて、木々の間にそれは見えてきた。


「ちゃんと寝てるな」


 古い小さなぼろ家の周りに、数人の人間が倒れている。それぞれ皮の鎧を着ていて、剣や弓などの武器が側に落ちている。どうやら彼らが見張りのようだ。今は寝ているから、その意味もないが。


「武器は取り上げておくか」


「全員縛り上げておこう」


 俺たちは手分けして見張りを縛り上げると、猿轡を噛ませて小屋の横に転がした。

 ファブリスが小屋の戸に耳を当て、小さく頷く。俺とアデライドが頷き返すと、ファブリスが戸を開いた。

 小屋の中は、がらんとしていて調度品が何もない。ただ、暖炉の前に地下へ続く隠し通路が隠されないまま口を開けていた。ちょうど降りようとしていたのか、鎧を着ていない若い男が倒れている。知らないやつだな。


「こいつはきっと下っ端じゃねえな」


 縛り上げつつ、ファブリスが呟く。


「ふむ……地下室までは調べられなかったが」


「下にも魔術の効果はあるのかな?」


「さてな……効いていないと思っておいたほうがよかろう」


 アデライドの顔にも、僅かに緊張の色が滲む。ファブリスが立ち上がり、ハンマーの柄を握り直した。


「行ってみればわかるさ」


「では行こう」


 俺たちは頷き合うと、ファブリスを先頭に階段を下り始める。下のほうが僅かに明るく、湿った風が吹いてくる。風に混じるのは、何かの腐った臭いと血の臭い。嫌な予感に、俺の身体は自然と震える。

 レティスへの気持ちを自覚したばかりなのに。それなのに、レティスを失うかもしれない恐怖。どんなに拭い去ろうとしても、追いやろうとしても、俺の心臓を掴んで離さない。


「……大丈夫そうだ」


 ファブリスの声が、やけに遠くに聞こえる。

 地下へ下りると、そこは剥き出しの土壁の陰鬱な部屋だった。奥にもう一部屋あるらしく、ここには倒れた見張りが二人だけ。簡素な木のテーブルと椅子が置いてあるだけの、シンプルな部屋だった。部屋というより、ただの見張りのためのスペースか。

 やはり見張りの男たちは縛り上げ、その向こうにある扉を見る。鉄で補強してあるが、造りはそれほど頑丈ではなさそうな扉だった。


「物音はしないな……いや、待てよ」


 扉に耳を当てていたファブリスが、安堵の表情を浮かべる。


「泣き声が聞こえる」


「じゃあ無事なのか……」


 俺も思わず、吐息を零す。無事だとわかれば、こんなところはさっさと出てしまいたかった。早くレティスと双子を連れ帰って。そう考えつつ、やはり敵陣だ。油断はできない。

 扉には鍵がかかっていたが、見張りたちの腰に問題なくついていた。有難く拝借すると、鍵を開ける。


「開けるぞ」


 緊張の色を滲ませ、ファブリスがノブを握る。軋んだ重い音が響き、扉が開く。


「……っ」


 むせ返るような血の臭い。漆黒の闇が広がるその室内からのものだ。そしてすすり泣きが、止んだ。


「光よ、照らしだせ」


 アデライドの杖の先から、柔らかな光が放たれる。それが室内へ進むごとに、その異様さがまざまざと映し出される。

 無数に散らばるのは、大小様々な人の手足。胴体。 床や壁には、赤黒く固まった血が。そんな凄惨な光景を見ても、俺がかろうじて意識を保っていたわけは。


「テュ……リナ……、シャリナ?」


 一際濃い闇の向こうで、銀色の髪が震えていた。こちらに小さな背を向けて蹲っている。


「さぁ、もう大丈夫だから。こっちに来れる?」


 不安に恐怖に震えているだろう二人を思い、俺はそう声をかける。だが、反応はない。


「様子がおかしいな……」


 ファブリスが警戒しつつ、室内に足を踏み入れる。瞬間、ファブリスの巨体が吹っ飛んだ。


「なっ……!」


 土壁に叩きつけられたファブリスに馬乗りになっていたのは……。


「シャリナ!」


 口や手、足を血に染めたシャリナが、獣のような唸り声をあげてファブリスに襲い掛かっている。

 大の大人で、冒険者のファブリスが、シャリナを振り払うことができないでいる。既に情報処理の限界を超えた俺の脳が、思考を放棄し始める。なぜ。そんな疑問を口にする前に、左の肩口が信じられない程熱くなる。


「テュリナ……?」


「いかん……!」


 アデライドの声すら、どこか遠くに聞こえた。間近で見たテュリナの顔は、相変わらず愛らしく。それでいて、苦しみと悲しみに満ちていた。

 噛まれたのだと理解して、強烈な吐き気と悪寒。痛みが俺を襲う。叫び声を上げなかったのは、混乱するあまり声が出なかったからだ。

 息が。空気を吸おうとして、情けなく口を開く。テュリナは俺の肩から口を離すと、アデライドを警戒してか飛びのいた。


「絡み取れ……」


 アデライドの杖の先から、うねる蔦が伸びる。それがテュリナとシャリナを絡め取り、縛り上げる。尚も暴れる彼女たちは、既に人というより獣のようだった。


「なにが……」


 驚くことに無傷のファブリスが、フラつきながらも立ち上がる。


「魔に魅入られておる」


 アデライドが吐き捨てる。

 俺はそこで、室内に視線を向ける。レティスは……無事だろうか。


「あぁ……」


 身体が熱かった。それでも、レティスの無事を確かめるまでは、意識を失うことはできない。

 吐き気を誘う室内に視線をやり……最奥に見つけた。


「レティス……」


 仰々しい魔法陣の内側で、レティスが涙を浮かべて座っていた。

 あぁ、見つけた。無事なんだな。そう声をかけたつもりで。俺の身体がゆっくりと傾いた。踏み出した足に力が入らない。

 冷たく乾きかけた血溜まりに、倒れこんだ俺の視界もまた、暗く沈んでいく。


「オルド……!」


 遠く遠く。冷たい場所で、レティスの声が聞こえた。

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