ココロの在り処
今回少し長いです。
俺が応接へ辿り着くと、エリスさんとメリアドールがソファから立ち上がった。二人の表情は厳しい。特にメリアドールの顔色は悪く、どこか落ち着かない。俺はますます嫌な予感を感じながらも、二人に頭を下げた。
「おはようございます」
挨拶を口にすると、二人は表情を変えることなく頷いた。チラリとテーブルを見ると、召使いが用意しただろう紅茶に手はつけられていない。俺は落ち着いた声になるように意識しつつ、二人を見つめた。
「どうしたんですか?」
「オルド……」
エリスさんの声は震えている。メリアドールは青白い顔をしたまま、苦しげに顔を顰めるのみだ。
「……レティスが……」
しんと静まった応接にやけに大きく、エリスさんの声が響く。
「レティスが昨日から帰っていないそうなの」
その一言に。心臓を鷲掴みにされたように錯覚する。いや……レティスが? 昨日確かに、ヴァルキード家からの馬車へ乗り込んだはずなのだ。馬車の姿が見えなくなるまで、見送ったのだから。
「なぜ……」
自分でも驚くほどに、乾いた声。俺は恐る恐るメリアドールを見つめ……それが事実なのだと悟る。
いつもは気丈で、ともすれば苛烈な性格のメリアドールが。今は吹けば消えそうなほどに狼狽し、憔悴しきっている。恐らく、昨夜から一睡もしていないのだろう。よく見れば、泣き腫らしたような跡がある。
「手紙が届いたわ。これを……」
「手紙……」
粗悪な紙に、走り書きのように書かれた手紙。端的に言えば……犯人からの要求が書かれていた。
メリアドールが今日の貴族会議へ出席しないこと。レティスと俺の婚約を解消すること。そして……金銭の要求だ。だが、この金額自体はヴァルキード家に払えない額ではないらしい。疲れ切った様子のメリアドールは、既に金の準備は終えていると話す。
「もしかして……ランドルが……」
「状況を考えれば……そうでしょうね。脅しに屈しない私たちに業を煮やした彼が、レティスを押さえてヴァルキード家を牽制……」
恐らく、だが。いや、間違いなく。アシェット家の所有するいずれの建物にも、レティスはいないだろう。
「昨日……レティスが、馭者がいつもと違うと言っていたんです」
「ポールは……貧民街の外れで死んでいるのが見つかった」
メリアドールが瞳を伏せる。俺の言葉に、誘拐が間違い無いのだと確信した様子で。
「メリアドール様、犯人の要求をのみましょう」
「オルド……」
メリアドールが、俺を見つめる。メリアドールが貴族会議へ参加しないことになれば、当然延期になってしまうだろう。恐らくランドルの狙いはそこだ。まさか、正面切ってヴァルキード家に喧嘩を売っているわけじゃないだろう。いや、もう充分喧嘩を売って入るんだが。
考えつつ、ふつふつと怒りが湧き上がる。いよいよ、奴を許す気にはなれない。
俺の両親、ケインさん。エリスさんを傷つけ、ノエルを悲しませただけじゃまだ足りないっていうのか。
「では……王宮に使いを出す」
メリアドールをいたわるように、エリスさんも頷く。
「私はすぐに議会の中止と、陛下へご報告をするわ。レティスの捜索も要請しないと」
「わかりました。俺はどうしたらいいですか」
「お前はここにいろ。オルドまでなにかあれば、いよいよランドルを付け上がらさる」
メリアドールが底冷えのする声で言い捨てる。どうやらメリアドールも、ランドルを許すつもりはないらしい。
そうして二人は、来たとき同様慌ただしく去って行った。
静まり返った自室に戻ってきた俺は、しばし呆然と佇んで。心臓が痛いほど鼓動を刻む。呼吸を整えつつ、いつの間にか握り締めていた右手を開く。
「あぁ……」
滲んだ血を服で乱暴に拭うと、吐息を零す。
ランドル・アシェットの打った手は、姑息で陰湿で許しがたいものだ。当然怒りが収まらないし、その怒りを正面からぶつけることが難しい。
だが。
「……誰か」
「はい、オルド様」
召使いが一人、続きの間から入ってくる。俺は彼女を見ることなく、窓の外を見つめる。
「出掛ける。クラレットが資料を望んだら、ここへ通して。机に資料を用意してあるから、好きに使うようにと」
「かしこまりました」
召使いが静かに下がる。俺は外套を羽織ると、素早く身を翻す。
メリアドールはここにいろと言ったが、そんなことできるはずがない。いや……今までの俺なら、カルラや他のみんなの調査に甘えていた。
だが、今回攫われたのはレティスだ。しかも、俺と会っていた日に誘拐されるなんて、俺が迂闊だったせいでもある。
どうしても、自分の手で解決しなくては。そんな焦りが身を苛む。
とは言っても、闇雲に探すことが得策ではないのは事実だ。結局俺は、誰かを頼らざるをえない。この場合の誰か、とは。
俺は早朝の閑散とした街中を、足早に進む。貴族街を抜けてやってきたのは、幾つかの宿屋が並ぶ区画だ。
その中の一つ、古ぼけた木戸を開くと、宿屋の主人が訝しげな視線を投げかける。俺は軽く会釈すると、カウンターへ近づいた。
「冒険者のファブリスがここに泊まっていると思うのだが」
身なりで俺が貴族だというのはわかったらしい。宿屋の主人は俺に待つように言い、階段の方へと消えていった。程なく、上階から降りてくる足音が聞こえてきた。
「どうした、オルド」
いつもの鎧姿ではなく簡素な部屋着だったファブリスが、佇む俺に声をかける。俺はどう切り出すか迷いつつも、呼吸を整えつつ口を開いた。
「俺に、力を貸して欲しい」
俺の言葉だけで何かを察したのか、ファブリスが静かに頷く。宿屋の主人に金貨を握らせたファブリスは、俺についてこいと示す。
軋む階段を上り、ファブリスが泊まる部屋へと至り。俺はそこで、ようやく深い吐息を零した。
「何があった」
静かな……俺を案ずるような声で、ファブリスが尋ねる。
「レティスが攫われた」
「あのお嬢ちゃんが……?」
僅かに唸るファブリスは、目を細めつつ腕を組む。
「お願いだ、ランドルのような奴がレティスを隠しそうな場所。心当たりがあれば教えて欲しい」
「貴族が後ろ暗いことに使う建物か……」
ファブリスが声を落とす。ややあって、ファブリスは俺を真っ直ぐ見つめる。
「それを聞いて、お前はどうする」
「助けに行く」
今も不安で泣いているだろうレティスを思い、自然俺の言葉もきつくなる。時間が、ない。
「お前が一人でか?」
ファブリスの表情は芳しくない。やめておけ、と言いつつ俺を見る。
「どうして大人しく待ってられないんだ」
嗜めるような口調だった。どうして? そんなこと改めて聞かれるまでもない。俺にとってレティスは、幼馴染で協力者で……。理由を並べ立てると、ファブリスが真剣な眼差しで俺を射抜く。
「違うだろ」
静かな。どこまでも静かなファブリスの声。
「それなら、例の双子のお嬢ちゃんのように調査を待てるはずだ」
冷や水を浴びせられたような。そう錯覚してしまうほど、俺は一気に冷静になる。いや、そうじゃない。ファブリスの言葉は、冷静になった俺の頭に新たな混乱を呼ぶ。
「レティスは俺の婚約者だから……」
震えそうになる声を必死に抑え、俺は口を開く。何か理由をつけなくては。そんな焦燥感とも恐怖ともつかない感情。ぐるぐると渦巻くこの感情の正体は……。
「形だけの、なんだろ。それでも待てるはずだ」
ファブリスの言葉を否定しようとして。だが、ファブリスがそれを許さない。
「お前にとってあのお嬢ちゃんが、特別だからだろ」
落とされた言葉に。今度こそ俺の心臓が跳ねた。
俺にとってずっと特別だったのは、エリスさんでありノエルだった。レティスに指摘されたように、エリスさんへの感情もまた。
だから、ファブリスの言葉を否定しなくては。俺は……。
「それ、お前の悪い癖だぞ。ヒトってのは感情の生き物だ。お前はどうも、頭はいいが役割を演じすぎる」
自分すら騙すほどに。そう言い置いて、ファブリスが破顔する。俺の頭を乱暴に撫でる。
「だけど俺は……」
「あのお嬢ちゃんが言ってたぞ。お前は優しいんだと。どんなに冷たくあしらっても、毎年誕生日にはケーキを焼いてやってたんだってな」
ただの幼馴染で政敵に、そこまでしないだろ。そうファブリスは言った。
今度こそ否定ができない。俺は、レティスが。好きだったのか……。
「……ファブリス」
「はは、お節介だったな。だが、重要なことだろ?」
俺が義務感だけで動くなら、絶対に連れて行かないつもりだったと笑う。なんなんだ、このおっさん。
「まぁ、お前が好きな子のために乗り込むってんなら……俺たちも手を貸そう。そうだろ、アデライド」
いつの間にか、そこには悠然とアデライドが佇んでいた。母親のように優しげな笑みを浮かべ、ゆっくりと頷いて。
「既に場所は見つけてある」
何よりも頼もしいその言葉に、俺は安堵の表情を浮かべた。




