予感
懸念材料はいまだあるものの、俺たちは少しマシな気分になっていた。それは、子供たちを路頭に迷わせないための一手が打てたことが大きいだろう。
特に問題なくアペンドック邸に戻ってきた俺とレティスは、迎えの馬車が来るのをのんびりと待っていた。
緊張しきりだったノエルは、今はエリスさんに報告へ行っている。きっとたくさん褒めてもらえるはずだ。
「あぁ、そうだ……ナル。これをクラレットに渡しておいてくれないか。後で顔を出すと伝えて欲しい」
恐らくもう俺の屋敷でバリバリ仕事をしているであろうケットシーに頼まれていた、資料や俺の所見を書いた書類の束。明日までに準備を終えなくてはいけない関係上、ここはナルに走ってもらうしかないだろう。
ナルは恭しく頭を垂れると、俺の手から紙束を受け取り部屋を後にする。ナルにならば、任せておいて間違いない。
「いよいよ明日なのね……」
レティスの顔にも、自然と緊張の色が滲む。
そもそも五大貴族が一同に会する会議は、派閥間の睨み合いが最も顕著に現れるものだ。と、俺も偉そうに言えるわけではなく。それも最近知ったことだけど。
五大貴族……穏健派であるエリスさん、過激派のメリアドール。この二人は所謂、各派閥のトップだ。だがまぁ……メリアドール本人は、過激派の思想を良しとしていない。それはこの短い期間でよくわかったし、何よりレティスの母親だ。深く付き合うにつけ、それがわかってきた。
ちなみに、エリスさんの宮廷での役職は意外にも法務大臣らしい。ランドルも、エリスさんを押さえておけばかなりあくどいことも目溢ししてもらえるという算段だろうか。
過激派のもう一人は、ベルサローズ辺境伯。この人物は、普段はクレイアイスの国境と接した自身の領地経営に勤しんでいる。だが、その抱える兵力こそ恐ろしいものがある……という噂だ。
「そういえば、グエリンデル卿はお越しになれるのかしら」
レティスが小首を傾げる。グエリンデル卿とは、御歳三百歳をも超えるとも言われる女性だ。アルエナーラ・ゲーシュ・グエリンデル。女王が年若い場合は摂政の座に座ることもある、この国のご意見番だ。そして、中立派でもある。
「さぁ、どうだろう」
グエリンデル卿は、あまり派閥争いに介入したがらないからな……。俺としても、彼女がこちら側についてくれれば心強いのだが、なにせツテもなければ面識もないのだ。難しいだろうな。
「確か、補佐の人間を連れて行けるのよね?」
五大貴族会議で話し合われる議題は、その資料だけでも膨大な量になる。当然、サポート要員を連れて行けるのだが。
「キャロラインには、ランドルがついてくるだろうな」
「そうでしょうね」
本来は同じ派閥の仲間なはずなのに、一番手強い敵となるだろう。
エリスさんの補佐は、確かペリルドン伯爵がするといっていた。
「……お母様がこっそりと味方だとは言っても、やはり油断はできないわね」
重い溜息を吐くレティスに、俺も頷き返す。
「しかし、ややこしい相関図になったな……」
「仕方ないわ。本当はお母様だって、こんな無意味な派閥争いに終止符を打ちたいはずよ。でもね……」
今のミリュー王室……というよりも、王宮は。この派閥の微妙な力関係によってバランスが保たれている。派閥が分かれていることで、絶妙な落とし所で妥協できていると言ってもいいかもしれない。
「……だけど、それでもやらないとな」
俺とレティスが頷き合う。もう走り出してしまったのだ。今更止まることは不可能だ。それは、ランドルも同じだろう。
「……失礼いたします」
控え目な声は、ニナのものだった。彼女は部屋に入ってくると、静かに礼をする。
「ヴァルキード家よりお迎えの馬車がお付きです」
「あぁ、ありがとう」
レティスは微笑むと、ゆっくりと立ち上がる。
「それじゃあ私は帰るわ。オルド、明日は頑張ってね」
「ありがとう。そこまで送るよ」
俺たちは連れ立って玄関ホールへと向かう。
大扉をくぐると、ポーチにヴァルキード家の紋章をつけた馬車が停まっていた。
「あら?」
レティスがそこで、馭者を見て首をかしげる。
「……ポールはどうしたの?」
「ポールは本日、身内の急な病によりお休みを頂きました」
「そうなの。わかったわ」
レティスは馭者の言葉に頷くと、介添えされながら馬車に乗り込む。
「気をつけて帰れよ」
「えぇ、ありがとう」
窓から手を振るレティスに、俺も手を振り返す。
暮れてゆくアペンドック邸を出るべく、馬車はゆっくりと走り出す。その後ろが門の角を曲がり見えなくなるまで、俺は手を振っていた。
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翌朝の目覚めは、お世辞にもいいものではなかった。クラレットと遅くまで作戦を練り、会議で出すお菓子や紅茶の用意をして。
殆ど倒れるようにベッドに入ったのは、空も白み始めた頃だ。
「オルド様」
部屋の外から、何度目かの声が聞こえる。スチュワードの声だ。
「……開いてるよ」
重たい頭を振りながら起き上がると、ちょうど扉が開かれたところだった。
「どうしたの?」
「朝早くに申し訳ありません」
そう切り出すスチュワードの顔も、困惑しているようだった。
「いや、そろそろ起きようとは思ってたから」
スッキリしない頭を起こすため、俺は無理矢理立ち上がる。紛れもない寝不足だ。
「……オルド様、エリス様とメリアドール・ヴァルキード様がおいでです」
「え?」
こんな早朝から。それも、エリスさんは兎も角として、メリアドールが先触もなく?
「用件は?」
「それが、とにかく火急の用向きだと」
たいそう焦っていたと、スチュワードは続けた。
「わかった、すぐに行くと伝えて」
どうやら、急いだ方が良さそうだった。
湧き上がる嫌な予感に、人知れず顔をしかめる。どうか、杞憂であるように。そう願いつつ、俺は上着を羽織って足を踏み出した。




