綺麗な花には……?
俺とノエルは今、キャロラインの屋敷にいた。
アシェット家は古くからアペンドック家と親交があり、同じ派閥に属する家だ。
キャロラインからは、あの舞踏会の夜から数日後に招待状が送られてきた。他の貴族との関わりを知るためということで、俺も同行するようにエリスさんに言われていた。
「今日はお招きいただき、ありがとうございます」
形式的な挨拶をすると、出迎えてくれたキャロラインは柔らかな笑顔を浮かべた。
「来ていただけて嬉しいですわ。こちらへどうぞ」
キャロラインが案内してくれたのは、庭に造られた東屋だった。日差しを適度に遮断し、尚且つ庭の花を楽しめる優れものだ。
「キャロル、これ……」
ノエルがおずおずと差し出したのは、今朝俺と一緒に焼いた焼菓子だ。籠の中に入れ、布をかけてある。
中身を確認したキャロラインの顔が、興味深げな色を帯びる。
「珍しいお菓子ですね、どちらのものですか?」
「えっと、ノエルとオルドが焼いたの」
もじもじと答えるノエルに、キャロラインが驚く。まぁ、無理もない。菓子まで作るような酔狂はこの国にそうそういない。まして魔術師には。
キャロラインは控えていた召使いの一人に焼菓子の切り分けを命じ、東屋の椅子を勧めた。俺たちが遠慮なく腰掛けると、残った召使いが紅茶を用意してくれた。
「驚きました。ケイン様のお料理のお噂は聞き及んでいましたが、オルド様もなのですね」
そもそも、貴族が自分で料理だの家事だのをすることが珍しいわけで、キャロラインの言葉はもっともだ。それだけアペンドック家と俺の存在は珍しい。
「ああ、ありがとう」
戻ってきた召使いが、俺たちの目の前に焼菓子を並べる。うん、今回もうまそうだ。
「まあ……」
キャロラインの顔が、驚きと興奮で紅潮するのがわかった。
「綺麗」
桜色の唇からこぼれた言葉に、ノエルが満面の笑みを浮かべた。
早起きした甲斐があったな、ノエル。
「食べて!」
ノエルが急かすと、キャロラインは頷いた。自身の目の前に置かれた焼菓子を、ナイフとフォークで丁寧に切り、口に運ぶ。
口元を隠し恥じらうように咀嚼し、そして俺とノエルを交互に見つめた。
「どう? おいしい?」
ノエルが不安げに尋ねる。こくり、とキャロラインの喉が鳴り、二度ほど瞬きをした。
「し、信じられません……私、こんなに美味しいものを食べたの、初めて」
震える声を落ち着かせるためか、紅茶を一口啜る。その振る舞いには、一片の隙もない。
どうでもいいが、いちいち姫オーラがすごい。色めき立つ貴族どもの気持ちも、わからないでもないな、うん。大事に育てられたのがよくわかる。
「嬉しい……」
ノエルが赤くなりながら俯く。自分の焼菓子で人が喜んでくれたのが、よほど嬉しいらしい。
「あ、あのね……今度、キャロルも作ってみる? いいよね、オルド」
どうやら、ノエルは屋敷にキャロラインをご招待したいらしい。俺はもちろん頷く。
キャロラインの花のような笑顔。
「素敵ですね。私にもできますか、オルド様」
「もちろん。魔術より余程簡単ですよ」
「まぁ……よかったわ」
キャロラインは愛らしい笑顔を浮かべるが、その表情は安堵の色が滲んでいた。俺はそれが引っかかって、思わず尋ねていた。
「もしかして、キャロライン様は魔術が苦手ですか」
俺の言葉に、キャロラインはしゅんとうな垂れた。
「やはり、わかりますか?」
「あぁ、いや……気を悪くしたなら申し訳ないです」
迂闊だったかと、慌てて言い繕う。
キャロラインは首を横に振ると、微笑んだ。
「いいえ、大丈夫です。本当のことですもの。私、魔術に興味がないんです。お花を眺めたり、歌を歌ったり、そういうことの方が好きで……」
庭に咲く花を見つめるキャロラインは、どことなく寂しそうだった。
当主に据えられた少女は、ただの飾りか……そりゃ、そんな顔もしたくなるよな。
「いっそ、お兄様が家督を継げたらよかったのに……あ、ごめんなさい……」
キャロラインが慌てて俺に謝罪する。
俺はキャロラインに笑顔を向けた。他意がないのは、キャロラインの顔を見ればわかるもんな。
「気にしないでください、大丈夫」
いっそ、キャロラインに求婚してしまって……と考えないでもない。でも、それにはまだ俺は自分の研究も実績も、何もない。
そういう状態で俺の目的が達成されても、両親は喜ばないだろう。俺自身も納得できない。
「キャロル、オルドは優しいから大丈夫だよ」
ノエルが焼菓子をぱくつきながら言った。
「ノエル、はしたないって。すみません、後で言っておくんで」
「あらあら……私は気にしないから大丈夫。ノエル様、ありがとう」
「キャロル、どうしても嫌なことは無理してしなくてもいいよってパパがよく言ってたよ」
ノエルの言葉に、キャロラインが微笑む。嫌だとしてもこの場合断れないのだからどうしようもないのだが、それをノエルに言ってもまだ理解はできないだろうなあ。
「ノエル様は、何がお好きなのですか?」
その質問に、ノエルは真面目な顔をしてうーんと唸った。何やら候補を色々あげているのだろうか。
ややあって、ノエルの顔がパッと明るくなる。
「オルド!」
「え?」
元気よく宣言され、思わず俺の口から間抜けな声が出た。
いやいや、彼女が聞きたいのはそういうことじゃなくない?
「まあ」
ほら、キャロラインも困ってる。俺はノエルをたしなめようと、口を開きかけた。
「では、ノエル様と私は恋敵ですね」
天使の微笑み。
俺の思考は一瞬止まる。
「ええっと?」
俺が声を上げるのを華麗に無視する淑女二人。
「すごい! お揃い!」
ノエルが興奮したように叫ぶ。召使いが微笑ましい笑みを浮かべている。
「ふふ、そうですね」
「オルド優しいもんね」
誇らしげに胸を張るノエル。いや待って、色々。
キャロラインのこれは、ノエルに同調した冗談か?
「本気ですよ?」
俺の内心を読み取ってなのかなんなのか、キャロラインが頬を染めながら呟く。
意外に行動的なんだな……って、違うよ。それは色々まずくないか。
俺は冷や汗をかきつつキャロラインを見つめる。キャロラインは微笑みを浮かべているだけだ。
ぼんやりした箱入り娘かと思ってたが、なかなか食えない子かもしれないなあ、これ。
「ノエル! そろそろ家庭教師がくる時間だろ!」
俺は逃走を決意した。
ノエルは怪訝そうに俺を見るが、大人しく頷く。
「またお越しくださいね」
キャロラインは特に追撃することもなく微笑む。
逆に怖い。
「またね」
ぶんぶんと手を振るノエルを連れて、俺はアシェット邸を後にした。なんだかどっと疲れた気がする。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、ノエルはご機嫌だ。
そんなノエルを見ながら、俺は先行きの不安を感じずにはいられなかった。