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もたらされた物

 そもそも、魂の契約とは。より高次の存在である精霊、高位の竜種、そして力の強弱はあれど神に類するもの。それらと何がしかの契りを交わし、その力を一時的ないし永久的に貸し与えられることをいう。

 加護、福音……呼び方は様々だが、当然代償も存在する。或いは命を求められるだろうし、人ならざる見た目へと変貌することもあるだろう。

 だが、一度魂の契約を結べばーー……即ちそれは、絶対的な力を得ることに他ならない。では、誰でもそれを結ぶことができるのか?


 答えは、否。


 そもそも人とは違う次元に存在し、視認することはおろか感知することも困難なのだ。精霊であればまだ、エルフやエルフに近しいものであれば助力を請うことはできる。

 だが、高位の竜種など人の世ではおとぎ話にすぎず、神であればなおのこと。それらと魂の契約を結ぶには、相応の対価を用意して強制的に呼び出すか、神や竜種が気に入った場合しかあり得ないのだ。


「……うーん」


 アデライドがどこかから持ってきた書物を前に。俺は何度目かの唸り声を上げた。

 古代エルフ文字で書かれた書物は、当然ながらエルフであるアデライドにしか読むことはできないのだが。


「これによると、魂の契約を破棄するにも相応の代償を用意するか、神や精霊を打ち負かす必要があるとのことだが」


 アデライドの言葉が重く響く。

 現在、部屋には俺とアデライド、そしてエリスさんがいた。ファブリスは意外にも子供の扱いが上手いのか、ノエルの遊び相手になってくれているらしい。ありがたいことだ。


「代償とは、具体的になんでしょう」


 エリスさんの問いに、アデライドが肩をすくめる。


「それはその存在によって違ってこような。モルドに関して言えば……巫女に相当する存在の提供か」


「彼女を助けるために、誰かを犠牲に……ということですか」


「まぁ、現実的な策ではないな」


 アデライドとエリスさんの会話を聞きつつ、俺は困り果てていた。まがりなりにも神であるモルドに太刀打ちできるわけもない。では、ネージュを助けるために誰かを犠牲に?

 そんなこと、できるはずもない。


「……そもそも、モルドの巫女とは人の身でなれるものなのですか?」


「よき問いだ。それに対する答えだが……書物によると、夜の眷属、と記されておる」


「夜の眷属?」


 聞き慣れない単語に、俺は思わず聞き返す。アデライドは頷きつつ、書物のページを捲る。


「人の子らに害をなす恐れのあるものを、お主らは魔族と呼ぼう。それらの中にも、まぁ種族は数あるが。ことモルドに近しいのが、吸血鬼といわれる種だ」


 それなら知っていた。生物の生き血を吸い、眷属を増やす。不老不死の美しき種。陽の光が苦手だという話だが……ネージュが吸血鬼?


「ですが、既に不老不死である吸血鬼が、何故モルドの加護を望むのでしょう」


「エリスよ。人の身であるそなたらにはわからぬかもしれぬが。永劫の時を生きることこそ、ある種呪いであり拷問であるとは思わぬか? 愛するものたちは、いずれ自らを置いて輪廻へと回帰する。転生を経て出逢おうが、かつて愛したものがそれを覚えていることが、どれほどの奇跡をもってして実現せしめるか」


 それは……アデライドの本心からの言葉なのだろう。俺のことを、愛子といった。それは、クレイアイス王室に嫁ぎ、今も連なる自らの系譜を守り続けるとともに。それだけたくさんの命を見送ってきたということなんだろう。

 エルフ並みの寿命を受け継いだものを保護するのも、アデライドの役目なのだという。だがそれは、アデライドの子孫たちの中では少数のはずだ。まして、血が薄くなっている今ならば。

 どれほどの別れを経て、今のアデライドがいるのか。俺にはその悲しみの一端すら推し量れない。


「では……モルドの巫女は、死を望んでいると? アデライド様は、そうお考えなのですか」


「さて。それは本人に訊いてみぬことには儂にもわからぬが。そのような話も耳にしたことがある。其奴は巫女ではなかったし、モルドを信奉してもおらなんだが」


「アデライドは、俺たちとネージュに会った時……彼女が吸血鬼だと気がつかなかったのか?」


「これは異なことを。その僕であるならいざ知らず、高位の吸血鬼……始祖らになれば、見分けるのも困難であろう。奴らは吸血行動をせずとも、生気を奪うのみで生きながらえられる故。しかし、もしも彼奴が吸血鬼なれば。儂にあっさり捕まったというのも……」


 考え込むように俯くアデライドに声を掛けようとした時だ。

 部屋の扉がノックされた。


「開いているわ」


 エリスさんの言葉に入ってきたのは、ナルだった。手には一通の封筒が。


「お話中申し訳ありません。ですが、火急の用と心得まして、お持ちいたしました」


 ナルがエリスさんに差し出したもの。正確には、その封筒に押された蝋。


「女王陛下からの……」


 まさしく、女王陛下のみが所持する指輪で押された印が刻まれた封筒だった。


「……中身を改めます。ナル」


「はい、こちらを」


 ナルは淀みない動きでペーパーナイフを取り出すと、エリスさんに手渡した。ナルの動きは本当に完璧だと思う。

 エリスさんは素早く手紙の中身に目を走らせ、しばらく目を伏せて考え込んでいる様子だった。そして顔を上げると、俺を見つめる。


「……陛下からのお言葉を読み上げるわ。三日後の午後、五大貴族を交えての会議を行うこととする。その際、オルドの同伴をお許しいただけると。そして……その場で、先日の案に関して説明と、実食の場を設ける、と」


「それは……」


 願っても無いことだった。ネージュの件は解決の糸口が見えない以上、置いておくしかない。処遇に関しても今日明日でどうにかなるわけではない。

 希望の丘の子供たち……双子の姉妹。彼女たちのことも、今俺ができることは限られている。カルラたちを信じて事態が動くのを待つ。


「……ふむ。よき方向へと向かいつつあるか。では……儂もできることをしようではないか」


「アデライド?」


「なに。冒険者には冒険者の動き方、というものがある。ファブリスとて、そろそろ子守から解放してやらぬとな」


「無茶はなさらないよう。アデライド様に何かあれば、クレイアイス王室とて黙ってはいないでしょうから」


 エリスさんの言葉に大仰に頷くと、アデライドは不敵な笑みを浮かべる。どうでもいいけど、そういう笑い方をすると悪役みたいだ。


「運が良ければ、攫われたという子らを見つけられるであろうな」


 そこは大して期待していないのか、アデライドは呟く。

 アデライドとファブリスが協力してくれるのだ。俺も俺のできることを全力でやる。それだけだ。


「ノエルから、希望の丘の子供たちへの慰問もお願いされていたわね。その辺りも含めて、こちらは動きましょうか。子供たちへは悪いけれど……ランドル側へは、いい隠れ蓑になるわ。こちらの動きを察知されなければ、攫われた子供たちの身の安全も高まるはず」


「そうですね……」


 本当に。彼女たちの無事こそ、もっとも願うべきことだ。

 自分の無力に歯嚙みはしない。がむしゃらにとび出さず、俺は俺の役目を。

 それこそが、最善だと信じて。

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