壊された平穏
今日何度目かの溜息が、レティスから漏れる。ここのところ、レティスに罵声を浴びせられる機会がめっきりなかったので、俺は自然と身構えてしまう。
アペンドック邸へ戻り、すでに戻ってきていたレティスに土下座せんばかりの勢いでことの顛末を説明したのが、もう3時間ほど前だった。すっかり夜である。
「そんなにビクつかなくても、怒ってないわ」
呆れたようなレティスの言葉に、俺は安堵の吐息を漏らす。
「いや、本当にごめん……」
「色々と小言は言いたいけど、そもそもあなたと私って両想いじゃないし。それは、私のワガママってものでしょう? モルドの巫女……ネージュ? 彼女の証言を得るのに必要だったのなら、我慢するわ」
だけど、と言いつつ、レティスが再度溜息をつく。
「ベリエラ様が言うように、あまりよくないことよ。もしも敵方に知れたら、あなたの立場は悪くなるわ。下手すれば、協力した全ての人の立場も。もしかすると、女王陛下も」
「それは……うん」
返す言葉が見つからない。焦るあまり、最も単純で危険な賭けに出てしまったのは事実なのだ。
「でも、彼女の扱いは考えないといけないわね。自由にはさせてあげられないし、社交界にも当たり前だけど出すことはできないし。私たちだけじゃダメね。もしもネージュとモルドの縁? を断ち切れて、彼女が行いを悔い改めるなら道はあるけれど……」
「それはアデライド次第かな……」
「でもよかった。あなたのことだから、俺を好きにしていいから話してくれとか言い出すんじゃないかとヒヤヒヤしていたの」
レティスの笑顔に、俺の表情筋が悲鳴をあげる。まさか俺の心の内を読むとは。さすが付き合いが長いだけはある。
「……オルド?」
レティスの声のトーンが低くなる。
しまった! 顔が引きつっていたらしい。
「まさか、違うわよね? そんなこと、考えてなかったわよね?」
笑顔なのに怖いのはなんでだ。本当に、なんで。
「ははは……」
「笑ってごまかさない! もう、オルド!」
こういう時は、逃げるに限る。うん、そうしよう。
俺はそそくさと部屋からの逃亡を決意する。
「オルド様! こちらでしたか!」
逃亡しようと腰を浮かしかけた俺は、ノックもそこそこに入ってきたナルの声に驚いて顔を向ける。それはレティスも同じだったようで、勢いを削がれたようにドレスの裾を直しつつナルを見つめる。
「ご無礼をお許しください。オルド様がお出かけの間、若草騎士団のものがカルラ様を呼びに来まして。今お戻りになったのですが、至急オルド様とノエル様にお話があると……」
「俺と、ノエルも?」
「えぇ、カルラ様もとても急いでおられて……私はノエル様を呼んで参りますので。カルラ様は応接へお通ししています」
俺とノエルを。嫌な予感がした。俺はレティスと頷き合うと、忙しなく部屋を出る。
俺とレティスが応接間へ入ると、カルラとカルラの副官のメリアロッテが待っていた。
メリアロッテとは、エリスさん襲撃の夜以来だった。いつもはアペンドック警護(という名目でアペンドック邸に入り浸る)に来ているカルラの代わりに、若草騎士団を纏めている女性だ。
「オルド、すまないな。レティス様も」
「いや、俺は大丈夫だけど。何かあったのか?」
「うむ……ノエルが来てからと思ったが、まずお前に話すか……」
カルラの表情は芳しくない。隣にいたメリアロッテが、書類の束を捲り始める。
「……では、簡単にご説明させていただきます。オルド様とノエル様が魔術や勉強を教えに通っている、孤児院の希望の丘に関する事です」
俺の嫌な予感が、あたってしまう。背を冷たい汗が流れ落ちていく。
「昨日未明、希望の丘が何者かに襲撃され……シスター・エリダがお亡くなりになったと」
「シスター・エリダが?!」
優しい笑顔を浮かべ、子供たちに慕われていたあの施設長が。俺の言葉に、メリアロッテは事務的に頷く。
「シスター・エリダはお若い頃は有能なヒーラーではありましたが、子供たちとシスター・レインを守るためにご自身が犠牲に……」
「他の人たちは……無事なんですか」
「……シスター・レインは、軽傷です。シスターは大抵治癒の魔術が使えますから、子供たちもほとんどは癒されていました。ただ……」
メリアロッテは書類から顔を上げると、悲しげに俺を見る。
「双子の少女がいましたよね? テュリナとシャリナ。彼女たちの姿が見えないと、シスター・レインが」
白髪に真紅の瞳の双子が、確かにいた。無邪気で元気なテュリナと、大人しいシャリナ。二人が、いない?
「ドイルという少年の証言によると、胸から金色のメダリオンを下げたローブの人物が、二人を無理やり引っ張っていったと」
メダリオンの魔術師……。何故、二人をさらう必要が?
俺は困惑しつつ、カルラを見た。
「……アンデッドにするのなら、生きたまま連れて行く道理はないだろうと睨んでいる。二人は生きているものと私は考える」
「そう……だよな……。こんなことなら、警護の人間を割くべきだった……」
「すまない、オルド。私もそこまで気を回すべきだった」
誰が悪いわけでもない。そんなことはわかっているのに、俺は無力感と虚無感で崩れ落ちそうだった。
「……オルド。今の話、本当?」
震える声。俺は弾かれたように顔を上げる。
応接間の入り口に、ナルに連れられたノエルが立っていた。後ろには、ファブリスも立っている。
「……ノエル」
「本当なの?」
強い口調で。ノエルがまっすぐに俺を見て尋ねる。
「……本当だ」
答えられずにいた俺の代わりに、カルラが答える。ノエルは悲しげに目を伏せると、何かを考えるように俯いた。
「……現在、騎士団総出で調査を行っているところだ。さすがに、アペンドックとレギンバッシュの所有する孤児院襲撃ともなれば……上も重い腰を上げざるを得ないからな……」
「ねえ、カルラ。みんなは? 今どこにいるの?」
ノエルの疑問に、カルラがメリアロッテを見る。メリアロッテは書類を捲ると頷いた。
「現在は、若草騎士団の施設へ身を寄せています」
「あのね……慰問をしたいの……」
「慰問?」
「……もし、ね。希望してくれる子がいるなら、アペンドック邸で召使いのお勉強とか……庭師とか……働き口とおうち、両方見つけてあげたいの」
「ノエル……」
一生懸命に考えたノエルの提案に、俺たちは顔を見合わせた。
俺たちは、今回の襲撃の背後を睨むことしかできていなかった。だけど、ノエルは違う。
遺された子供たちとシスター・レインのために何ができるかを、必死で考えたのだ。
「エリスさんに、相談してみよう。きっと知恵を貸してくれる」
「うん」
ノエルが頷くのを見て、ファブリスがノエルの頭を撫でる。
「じゃあ、お嬢ちゃんはおじさんとセバスチャンごっこの続きをしにいこうか」
「そうだな、ノエル。エリスさんが帰ってきたら、呼びに行くよ。ファブリスも、ありがとう」
「うん、ありがとうオルド」
応接から去っていくノエルたちを見送り、俺はカルラに視線を戻した。
「どう思う?」
「慰問はいいことだ。ノエル様があそこまで大人びた考えを持たれるとは。だが、問題はメダリオンの魔術師だな……頭がいたい」
「やっぱり、痕跡は見つからないの?」
レティスが尋ねるのに、カルラがゆっくり頷く。
「恐らく、転移門を開けるという宝珠を複数所持しているんだろう。うちの魔術師では痕跡をたどるのは困難だ」
「そうか……」
メダリオンの魔術師が、何を目的に双子の少女を攫ったのか。希望の丘の子供たちの行く末。
考えないといけないことが山積みだった。




