彼女からの提案
本当に慌ただしい一日だと思いながら、今日二度目の地下牢へとやってきた俺とベリエラさん。
相変わらずというか、陰鬱でやけに気が滅入る作りなのは飲み込んで置いて、俺は牢の中へと足を踏み入れた。
モルドの巫女が、そこにはかわらずいた。
真紅の双眸が、俺を射抜く。恐ろしく凍てついた……いや、そもそもそこに感情なんてものはないのか。視線だけで命すら奪えそうなそれは、確かに死の王の巫女を名乗るだけはある。
そんな俺の気持ちはよそに、さらりと絹糸のような髪が揺れ、少女が唇を開く。
「まだ何か?」
少女の無感情な声が響いた段で、俺もやっと自分を取り戻せた。
何故だろう、彼女には人を惹きつけ魅了する何かがある気がしたのだ。
「頼みがあるんだけど」
なるべく高圧的にならないように、俺は言葉を選ぶ。それでも緊張で声が震えるのがわかって、俺は拳を握りしめた。
「頼み?」
少女が愛らしく首をかしげる。仕草だけなら愛らしいというのに、その瞳は暗く澱んだ死の匂いがした。
そうか。アデライドが言っていた。ただの信徒よりも、巫女はモルドと深く繋がっている。モルドの気配が、すぐそこにある気がして背が寒いのだ。
「ランドルに頼まれて色々と動いていたんだろ? それを女王陛下の御前で証言して欲しいんだ」
「……証言」
モルドの巫女が、目を細めて俺を見る。何を考えているのか、その表情からは窺い知れない。
「君だって、いつまでもここにはいたくないだろ? 知ってるはずだ、捕まったモルドの信徒がどうなるか」
どこかカルトめいた怪しげな集団を、国も教団もよしとはしない。当然、その末路は。
「……脅すの、私を」
何か面白い見世物でも見るように、彼女の顔が喜色を帯びる。それは心から嬉しそうでもあり、驚いているようにも見えた。
「そういうわけじゃ、ない」
「そう。あぁ……でも、そうね。私が話さないと、あなたは困るのね」
出会ってから初めて。モルドの巫女が楽しそうに微笑んだ。レティスやキャロラインとはまた違う、冬の夜の三日月のような。凍てついてはいても、どこまでも透明で美しい笑顔だった。
思わずどきりと脈打つ鼓動を抑えつつ、俺は頷く。
「話すのは構わないわ。死んでモルド様の御元へ行くのでもどちらでも。でも、あなたに興味が出た」
「お、俺に?」
もつれる唇に内心で舌打ちをしつつ、訊き返す。モルドの巫女は笑顔のまま、内緒話をするように声を潜めた。
「……でも、条件がある」
「守れるかはわからないけど、言ってみて」
俺は内心安堵した。巫女から条件を提示してきたということは、半分以上は交渉が成功したと言える。
モルドの巫女は、そんな俺の考えを知ってかしらずか続ける。
「私を娶りなさい」
「は?」
モルドの巫女から飛び出した言葉に、俺の口から間抜けな声が漏れる。
様子を見ていたベリエラさんが、慌てて歩み寄り、モルドの巫女を見下ろす。
「モルドの巫女、それは無理よ」
「何故? 身分が違うから? それとも、私がモルドの巫女だから?」
「どちらもです。自分が何を言っているのかわかっているの?」
放心しかけていた俺をよそに、ベリエラさんとモルドの巫女の言い合いは続く。
「……じゃあ、この話はなかったことにしましょう」
モルドの巫女がつまらなさそうに唇を尖らせる。そんな人間らしい顔もできるのかと、思わず脱力しかける。
「オルド、時間の無駄ね。どう交渉するつもりだったか知らないけれど、レティス嬢を差し置いて彼女を娶らせることなんてできないわ」
ベリエラが溜息と共に吐き捨てる。
俺はそこで慌てて首を横に振る。ここに来た目的を、忘れてはいけない。
「……いや、可能ではないですか? 正妻は無理でしょうけど……その」
自分で言っていて、不誠実だとは思う。だけど、背に腹は変えられない。それでランドルを追いつめられるなら、俺の身一つ安いもんだ。
「オルド、よく考えて。その若さでヴァルキードの令嬢を手にし、モルドの巫女を愛妾にするなんて……過激派のいい攻撃の的よ」
「それでも、俺には彼女の力が必要なんです」
「……はぁ。その頑固は間違いなくリルハに似たのね。いいわ……エリスと女王陛下にお話しして、最終的な決定がなされると思うけど」
ベリエラさんがゆっくりとモルドの巫女を見下ろす。
「聞いていたわね。何を企んで娶れと言ったのか知らないけれど、仮に許可されたとして。監視はつくことになるでしょうし、オルドや周りに何かあれば、永久に死ぬこともできず氷の中に封じ込めてあげるわ」
「あら、こわい。恐ろしいことを言うのね」
「……モルドの元へは二度といけなくなるのよ。喜びなさい」
「ふうん、それはどうも」
モルドの巫女はにこりと笑うと、ベリエラさんから俺に視線を移す。
「……じゃあよろしくね、オルド。女王がいい返事をくれるといいけど」
「そうだね。……あぁ、そうだ。君の名前は?」
「名前? そうね……」
モルドの巫女は、どこか遠くを見るように目を細めた。しばらく沈黙した後、薄い唇が開かれる。
「……ネージュ」
「ネージュか、わかった」
俺は頷くと、ネージュからベリエラさんに向き直った。
「面倒ごとを頼みますが、お願いします。アデライドと話してた件もありますし、俺としては手元にいてくれた方が都合がいいです」
「仕方ないわね。でも、後でレティス嬢にはちゃんとお話しするのよ」
ベリエラさんが溜息と共に告げる。
そうだ。レティスがどう思うか、全く考えてなかったというか、絶対に怒られる気がする。
自分で言うのもなんだけど、俺のことを好きだと言ってくれてるわけだし。
「あぁ……気が重いなぁ……」
「レティスはお前の許嫁というやつか、オルド。私はランドルから、あれの妹と結ばれる予定だと聞いていたんだけど」
「それを話すと長くなるから、今度でいいかな……」
「私としてはどっちでもいい」
じゃあ聞くなよ、というツッコミは心に止めて置くことにする。
今それよりも俺を支配するのは、レティスに一体どんな言葉を浴びせられるかということだった。




