モルドの巫女
この短期間で何度か足を踏み入れてきた王城だったが、それでもどこか緊張せざるをえない。
荘厳な雰囲気の廊下を進み、エリスさんとヒーラー……驚くことに、ベリエラが俺たちを先導してくれていた。
そういえば、防衛魔術庁長官って言っていたっけ。防衛魔術庁は、魔術師として優れた才も持ちつつ、治癒の魔術すら操る人間が所属する特異な機関だ。
エリスさんが信頼し、表沙汰にできない依頼を頼めるのが、このベリエラだったんだろう。
「ここよ」
城の地下深くへと案内され、ベリエラが立ち止まる。冷たい金属の扉には覗き窓がついていて、薄暗い室内の様子はよく見えなかった。
「相手は魔術師だから、ここでは限られた人間しか魔術を扱えないよう結界が張られているの。じゃあ、開けるわね」
ベリエラがドアノブに手をかざし、聞き慣れない呪文を唱える。僅かにドアノブが輝き、ベリエラは躊躇なく扉を開いた。
緑色に燃える魔術の炎が、冷たい石造りの部屋を照らしていた。狭い……大人が五人も横になれば足の踏み場がなくなりそうな、そんな部屋だ。
生活環境はよくないだろうその部屋の中心。鎖で両手と両足を繋がれた痩せこけた少女がそこにはいた。
「……え」
俺の口から間抜けな声が漏れる。その声にか、それとも開いた扉にか。少女の肩がぴくりと動いた。
「……生きていたの」
ぽつりとこぼれ落ちたのは、吐息のような少女の呟きだった。死霊の王モルド。その信徒。おれはてっきり、枯れ木のような老魔術師を想像していた。
だが、目の前の少女はどうだろう。恐らく、日の光の下で見れば美しいプラチナの髪に、真紅の瞳。肌は陶器のように白く、唇だけが桜貝のように色付いている。
薄汚れた地下牢でボロ布をまとい、鎖に繋がれてもなお美しい少女がモルドの使徒かもしれない。俺は動揺を隠しきれずに、喉が情けなく喘いだ。
「……驚いたわ、あなた初めてしゃべったわね?」
ベリエラが肩を竦め、少女に近づく。少女は大人しく、側に屈み込むベリエラのされるままになっている。というか、じっと俺を見ている。
ベリエラはしばらく少女の身体を色々と調べていたようだが、ややあって立ち上がると少女に笑いかけた。
「結構鎖が食い込んで、傷になっているけど大丈夫。国一番のヒーラーである、このベリエラがすぐに治してあげるわ」
「……あなたが? そう……」
さして興味もなさそうに、少女が呟く。普通、囚人ならわめいたり何かあるはずじゃないんだろうか。
「ところで、名前を聞いてもいいかしら?」
ベリエラの問いに、少女は口を閉ざす。ベリエラは苦笑いを浮かべると、少女の頭上へ手を翳した。
暖かな光が、冷たい室内を満たしていく。発動された治癒の魔術は、少女の身に奇跡の業を起こす……はずだった。
「ベリエラ……」
エリスさんが声をかけ、アデライドの唸り声が聞こえる。
光が収束してもなお、少女の傷はそれほどよくなってはいなかった。
「……やはりか」
落胆したようにアデライドが呟く。恐らく、それは俺と同じ想いからくる言葉なのだろう。
俺とそう変わらないであろう年の少女が、モルドの使徒である証拠が確立した。そうであってほしくはなかった。
そして、ランドル・アシェットがこの少女。そしてモルドの使徒と何かしらの繋がりがあるという裏付けでもある。
「……あーあ」
少女が抑揚のない声で呟く。
「君は……なんで俺を」
それはかつて、ランドルからエリスさんへと語られた事でもあった。殺す気は無かった。だが、何故。
「君は、ランドルの部下なのか?」
「ランドル? あぁ……あいつ」
少女がはじめて微笑んだ。真冬の三日月のように冷たく鋭い微笑みは、心臓までも凍てつかせるようで。知らずに背を伝う冷や汗に、俺は一歩後ずさりする。
その背を、エリスさんのあたたかい手が優しく撫でる。俺は安堵の吐息を漏らすと、少女を睨み返した。
「……部下だなんて。あたしはモルドの巫女。モルド様にこの身も心も魂も捧げ、お仕えする下僕。あいつはそうね……哀れでかわいそうな虫のようなものよ」
「虫?」
「脆弱であるがゆえに力を求め、私に救いを求めてきた……愚かで愛しい虫ケラ」
「ランドルが君に指示をしたんだろ?」
俺の問いに、少女が頷く。
「えぇ、そうね。でも、モルドの使徒の願いを叶えるのが、巫女である私の役目。だからあなたのことは殺さないように加減するつもりが……ちょっと加減って難しくって」
エリスさんから聞いた、俺を殺すつもりは無かったというところとも符合する。俺は溜息をつくと、エリスさんへと視線を移した。エリスさんも、ゆっくりと頷くのが見える。
「……どうして素直に話してくれたんだ?」
「だって、モルドの巫女であることが知られてしまったもの。今更隠しておいても意味がないでしょう? それに、あいつの願いは一応叶えてあげたし」
どうやら、モルドの巫女というのは願いを叶えたその後に関しては無頓着のようだった。
「……ベリエラさん、それにアデライド。彼女とモルドを繋ぐ縁を断ち切ることは可能ですか?」
「それは……どうかしら……」
ベリエラが助けを求めるようにアデライドを見る。アデライドは難しい顔で少女を見下ろし、口を開いた。
「調べてみなければわからんな。儂とてなんでも知っておるわけではない。それに……モルドの巫女。その繋がりは、使徒とは比べものにならぬほどに濃く深い……お主ら人間は理解できぬであろうが、神と盟約を結ぶということは理を歪めること。それを正すには、相応の代償が必要になろう」
「すごいわ、エルフさん。物知りなのね?」
少女が笑顔を浮かべる。アデライドは溜息をつくと、頭を振った。
「いずれにしても、まずはその娘の身を浄化するしかあるまい。その精神が元の性質でなければ良いのだがな」
「話はまとまりそうね……。ひとまずは、戻って対策を練りましょうか。彼女の処遇に関しては、オルドがどうしたいと願っても、一存では決められないわ」
エリスさんの言葉には、俺も頷くしかない。
でもこれで、色々な線が繋がった。あとは、ランドルをどう追い詰めるか。できれば、女王陛下の名の下……しっかりと法の裁きを受けさせたかった。




