小さな約束
ミリューへ戻ってこられたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
レギンバッシュ邸ではなく、エリスさんのいるアペンドック邸に向かった俺たちは、急いでエリスさんへの取り次ぎを願い出た。
「どうしたの、オルド。数日は留守にすると聞いていたのだけど」
驚いた様子で俺たちを出迎えてくれたエリスさんは、ナルに頼んで紅茶を淹れてくれた。
有難く紅茶を頂きつつ、俺は簡単に事の顛末を説明した。
「……モルドの使徒。表舞台から消えて久しい邪教団だけど、確かに国内でも僅かに存在は確認しているわね。ただ、中々尻尾を出さなくて……」
「エリスさんは知っていたんですか」
「その存在を認知している貴族というのは、案外少ないものよ。それよりオルド。例の魔術師への面会をしたいということでいいのね」
「そうです。できれば、ヒーラーを誰か派遣して欲しいんですが」
俺の言葉を聞いていたエリスさんは、ややあって頷いた。
「そうね……アデライド様の言う、モルドの使徒なのかどうか。私もアペンドック家当主として確かめなくてはならないし、私も同行します」
「よろしくお願いします」
「手配に少し時間がかかるわ。少し待ってもらうけど……」
エリスさんがアデライドとファブリスの方を見る。
「儂らは構わんよ」
「では、湯を用意させますから。くつろいでいてください。魔術師への面会といっても、王城へ上がることになりますから」
「おう、すまねえな」
手配のために慌しく屋敷を出て行ったエリスさんを見送り、俺はナルに湯の用意を頼んだ。
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アデライドとファブリスがそれぞれあてがわれた客室で湯浴みをしている間、俺は久しぶりにノエルと会っていた。
「街の外へ行ったの?」
キラキラとした期待のこもった目で、ノエルが俺を見つめる。おとぎ話みたいな……英雄譚みたいな。そんな話を期待する目だ。
「行ったけど、ノエルが期待するようなことは……」
「それでもいいから聞きたい! 外はどうなってるの? 草原が広がっているって習ったけど、草原ってどれくらい広いの?」
見たことのない景色、初めて見る生き物。ノエルはまだ小さいのに、好奇心に頬を紅潮させ俺を見つめる。俺は根負けして、俺が見た外の景色を話して聞かせることにした。
青々とした、見渡す限りの平原を覆う下草。地平まで見渡せる、遮蔽物のない平原。その向こうに見える、雄々しく雄大にそびえる山脈。茜色に暮れゆく平原の、燃えるように朱に染まった様。
俺の語る外の世界の話を、ノエルは本当に嬉しそうに聞いていた。
「ノエルも……いつか、旅がしてみたい」
それは、かつての俺のもう一つの夢でもあった。
ノエルもまた、同じように悩む日が来るのだろうか。家と個と。どちらを選び取るのか、選択する日が。
ノエルが何を選ぼうと、その時俺はノエルを支え、助けてやれるような。そんな人間になっていたかった。
「……ケインさんも、自分の足で世界を巡って材料の買い付けをしていたらしいし。ノエルだって、本当にそうありたいと願うなら、努力していれば叶うよ」
実際は、努力だけでは越えられない壁も多い。俺の魔術の才能なんかがそれだ。だけど、今はこれでいいんだと思う。
「うん、がんばるね。その時は……オルドも……」
照れくさそうに微笑むノエルの頭を撫でる。
「そうだな……ヴィラエストーリアや、南方の島国……いや、隣国だっていい。街道を歩いて、いつか見たことのない景色を見てみたいな」
「うん!」
ノエルの嬉しそうな笑顔が見られるなら。アデライドには才能がないと言われたけど、俺だってもっと魔術の実地を頑張るべきなのかもな。
そんなノエルとの和み時間に終止符を打ったのは、無遠慮に扉を叩く音だった。
「オルド」
扉の向こうから聞こえたのは、アデライドの声だった。
「開いてますよ」
「邪魔してすまんな、ここだと聞いた」
アデライドがゆっくりと部屋に入ってきた。誰かが用意させたのか、旅慣れた冒険者風の装いから、若草色のドレスへと着替えたアデライドが入ってきた。
ゆったりとした袖口が、アデライドのない腕を覆い隠してわからなくしている。
「いえ、大丈夫ですよ」
「すごい……綺麗……」
うっとりと呟くのはノエルだ。確かに、エルフであるアデライドは作り物のように綺麗だ。
「おぉ、お主がエリスの娘か。儂はアデライド。お主は……よき資質を両親から受け継いだな」
「ノエルです、よろしくお願いします……」
もじもじと自己紹介をするノエルを、アデライドは優しく見下ろしていた。
「あの、何かあったんですか」
「……今更だが、敬語は使わんでも良い。そろそろ準備が整ったようだから、呼びに来た」
「あ、はい……。ノエル、俺はちょっと出掛けてくるけど」
「もう行っちゃうの?」
ノエルが寂しそうな声を出す。
「またすぐに会えるよ」
「でも、最近オルド忙しいから……」
「そうだな……じゃあ、明日また顔を出すから」
「約束っ」
ぎゅっと抱きついてくるノエルの頭を撫でると、俺は頷いた。
ノエルと別れ、アデライドと共に玄関ホールへ向かうと、エリスさんとファブリスが待っていた。
「なんとか調整できたわ。準備はいいわね、オルド」
「はい、エリスさん」
嫌でも緊張してくる。
これで、例の魔術師がモルドの使徒だったら。それは、外れて欲しい予想だった。




