モルドの使徒
神話の時代、人間が生まれるよりももっと前の時代。死という概念が希薄だったこの世界に、原初の死をもたらしたのが、モルドだと言われている。
人間に伝わる伝説や逸話によると、モルドを崇拝し魂を捧げたものは、死すら超越し永久に生きることができるのだという。
女神キルギスを拝する教会により、モルドを崇拝することは固く禁じられている現代において。堂々とモルドの印を胸に抱くことは、教会へ牙を剥く行為に他ならない。
「かの死霊の王がどのような輩に信奉されておるか、オルドは知っておるか」
紛い物の生を与えられた哀れな亡者を弔い終えた俺たちは、暮れていく平原で野営の準備をしていた。
「……おとぎ話の中では、悪い魔女なんかが出てきますね」
作業の手を止めることなく俺が答えると、アデライドが頷いた。
「善と悪など、傲慢な見方にしかすぎぬが。まぁ、そうだな。モルドの加護は、死の超越にある。だがそれは、人の望む不老不死などというものからは程遠い。先程の亡者ども。あれこそがモルドの加護であり、愛といえよう」
「では、死霊術師は総じてモルドの信徒ということですか?」
「あながちそうとも言えぬがな、モルドの加護を受けた死霊術師というのはより高度な命令を亡者どもに与えられる。人と変わらぬ動きをしておったであろう、アレらは」
確かに、兜の下を見るまではアンデットだとわからないほどの動きだった。
「それと、モルドの加護にはもう一つ。我らエルフの扱う精霊の加護を受けた魔術を打ち消す性質がある。完全に消すことはできぬが……今日のように亡者の群れを前線に出すのであれば有効な手であろうな」
「やはり、俺を狙ったんでしょうか」
最近なりを潜めていたランドルのことが思い起こされる。
俺の言葉を聞いていたファブリスが、俺の頭を乱暴に撫でた。
「ま、あんまり気にするもんじゃねえさ。俺を恨んでる輩かもしれんし、アデライドの敵かもな」
「逃げてしまったものは確かめようもないが。しかし、何者かはわからぬが、間違いなくミリューを拠点にしておるものだろう」
アデライドは確信があるのか言い切った。
「どうしてそう思うんです?」
「導きの宝玉は便利なものであるが、込められる魔力はそう多いものではない。精々がミリューまでであろうし、儂らのうち誰を狙ったにせよ、ミリューに滞在しておると考えるのが自然ではないか?」
「こりゃ、魔物退治どころじゃあねえかもな」
ファブリスが頭を掻きながらぼやく。俺はそこで初めて、目的がまだ何一つ達成できていないことに気がついた。
そもそも、アデライドとファブリスのこれからの食糧事情を改善するための旅だったはずなのにだ。
「……致し方あるまい。夜が明けたら、街へ戻ろう」
いささか不服そうにアデライドが呟く。こうなってしまっては、そうする他ないのは事実だ。
「なに、心配することはない。だが戻ったら色々と調べるべきことがあるか……」
「ミリューを拠点にする、モルド信者の捜索ですか?」
「そうなるだろうが、多分お前さんたち貴族には見つけられんだろうな」
ファブリスが困ったように笑う。
「まぁ、非合法な見つけ方ってもんは色々とあるからな……」
「あの、どうやって見つけるんですか?」
「気になるのか。だが……あまり余計なところに首を突っ込むのもなぁ……」
ファブリスがチラリとアデライドを見た。アデライドがなにも言わないのを見ると、溜息をついて頷いた。
「そうだな、そういう繋がりもいずれお前さんにも必要になってくるか……」
ファブリスは気が進まないようだったが、教えてくれる気にはなったらしい。
俺は安堵すると、用意し終えた飲み物を差し出した。温かい湯気の立つ紅茶だ。たっぷりのハチミツとミルクを入れた、疲れた体に一番の薬だ。
「おう、すまんな。まずはミリューへ帰ってからだな」
ファブリスは難しい顔をしながら紅茶をすすると、盛大に吐き出した。
どうやら、甘いものは苦手だったらしい。
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朝もやのかかる平原を、俺たちは言葉少なに歩いていた。来るときはあんなに楽しい気分だったのに、戻る足取りの重さは成果がなかったことだけが理由ではない。
モルドの使徒、不気味な亡者の兵士、得体の知れない魔術師。
アデライドとファブリスは、俺を狙ったとは限らないという。だけど、俺は一つ気になることがあった。
ケインさんが事故死したと言われていたとき、そこに魔術の痕跡を見つけることができなかったのではないか?
エリスさんを襲った魔術師は、死体で見つかった。身元もわからず、物言わぬ状態の魔術師。彼が元々、死んでいたのだとしたら。
「……あ」
俺は自分が気がついたことに、思わず声をあげていた。アデライドとファブリスが足を止め、訝しげに俺を見る。
「どうした?」
ファブリスに尋ねられ、俺も足を止める。
「……いえ、その。二人が俺を助けてくれたとき、魔術師を捕まえましたよね?」
「あぁ……だが、生きてたぞ」
「知ってます。今も牢に繋がれ、何も喋らないと。聞きたいんですが、モルドの使徒は、みんなあのメダリオンを持っているんですか?」
「いや、違う。アレはマジックアイテムの一種だ。見分ける最も簡単な方法は、治癒の魔術をかけることだが……」
「治癒の魔術、ですか……」
そんな話は聞いたことがなかった。いや、俺みたいな下っ端魔術師にとって馴染みのない話なだけなんだろうか。
「モルドの使徒は、自らの魂をモルドへと捧げている。軽い怪我程度であるならば、驚異的な肉体の回復をみせる代わりに、奇跡の術である治癒の魔術の効きが悪くなる」
淡々と語るアデライドの瞳には、どこか悲しげな色が宿る。それは憐憫のようでもあり、彼女の長い生の中で、もしかするとモルド信者との関わりもあったのかと邪推してしまう。
俺には理解も想像も及ばないような。そんな伝説級の話を、アデライドはたくさん経験してきたのだろうか。
「オルドはあの魔術師がモルドの使徒だと考えてんのか」
「可能性の話ですが……」
「ま、悪くねえ考えかもな」
ファブリスが納得したように頷く。
エリスさんを通してだが、あの魔術師に指示を出していたのがランドルだという確認は取れている。
証拠が何一つないせいで、ランドルを摘発できないだけだ。
だけどこれで、あの魔術師がモルドの使徒だったら。
「ランドルもモルドの使徒なのか……?」
その考えこそ、杞憂であって欲しいと願いながらも。胸騒ぎのようなものを覚えながら、俺たちは歩き出した。




