メダリオンの魔術師
俺の弾んだ気分を一瞬にしてどん底へと叩き落す、そんな無粋な集団の出現により。穏やかな平原は、一瞬にして怒号と剣撃、魔術のぶつかり合う戦場へと変貌した。
いや、実際に怒号を飛ばすのは、アデライドだった。
エルフである彼女が操る魔術は精霊の力を借りて発現される奇跡の技だ。本来、エルフの魔術師が操る魔術に対抗できる人間はそういるものではない。
人間が操る魔術は理論と方法を確立された学問であるのに対し、彼らの魔術はもっと超自然的で底の知れないものだからだ。
「……何をした!」
怒気を孕んだアデライドの言葉に、黒い一団が答える事はない。
事の発端は、漆黒のローブに身を包んだ魔術師達のうちの一人。彼……彼女かもしれないが、ともかくその人物が首に下げられた鈍色のメダリオンを掲げた。俺には気がつく事ができなかったが、その時に何かを仕掛けられたのか。アデライドの顔色が明らかに曇り、忌々しげに舌打ちをしたのだ。
「アデライド、大丈夫か!」
既に乱戦状態になっている平原で、僅かに離れた位置でハンマーを振るうファブリスがいた。
俺はただ、アデライドの背に庇われながらファブリスを狙う矢を、申し訳程度の障壁で防ぐ事しかできない。
「忌々しい……!」
アデライドが杖を薙ぎ払うと、草原を紫電が走る。確かに目の前の黒騎士に命中したはずなのに、その歩みは止まらない。
魔術をある程度防ぐ魔術……抵抗力を上げる魔術というものは、確かにある。でもそれは、魔術の効果を完全に打ち消すなんていう便利なものではない。攻撃魔術を受ければある程度の怪我は負うし、その効果は術者同士の技量に左右される。
人間の魔術師同士でもそれが顕著なのに、人間とエルフなら?
障壁にしろ抵抗力を上げる魔術にしろ、容易く打ち破れるだけの魔力がアデライドにはあるはずだった。
「何が……」
思わず呟く俺の言葉に、返答はない。代わりにアデライドが再び舌打ちをし、再度杖を振るった。
俺とアデライドの目の前に、ヴェールの様に魔術の障壁が現れる。アデライドはすぐに俺に下がる様に指示し、踵を返すと黒騎士と距離をとる。
大仰な動作で剣を振りかぶった黒騎士は、アデライドの障壁を容易く打ち砕いた。
「ありえない……」
「やはりか……。こうなると不利だな」
アデライドの呟く声が、どこか遠く聴こえる。チラリと視線の端でファブリスを見ると、三人の黒騎士を叩き潰し終えるところだった。
「アデライド……!」
「うむ……物理的な攻撃には相応のダメージがあるようだな。だが……」
残る黒騎士は二人。ファブリスの側にはまだ弓兵と、魔術師が二人。いかにファブリスが屈強な冒険者だとしても、それは集団戦において言うならバックアップあってこそだ。
たった一人の黒騎士を倒せないでいる俺とアデライドは、ファブリスのバックアップへは迎えない。俺の貧弱な魔術では、恐らく相手の魔術師の魔術は防ぎきれない。
「……致し方ないか」
アデライドは杖を目の前に掲げた。それはそう。まるで弓のようにだ。半身になり黒騎士に相対すると、 長い袖で隠された右腕を持ち上げる。袖は二の腕の半分辺りから先は、持ち上がることなく垂れ下がったままだった。
俺はこの時初めて、アデライドの右腕が欠損しているのだと気がついた。
「ヤドリギの芽、火狐の鬼火……幼竜の涙。夢幻の棘、紡ぎの言の葉を……」
光が。無数の光がまるで芽吹くように、アデライドの失われた右腕を補うように形造られていく。それは美しい光景だった。
圧倒されたように、一瞬黒騎士の歩みが止まる。その幻想的な光景に、刹那戦場の空気が変わったのだ。
「……貫け」
俺の感覚だけでは捉えきれないほどの膨大な魔力が、アデライドの幻想の右腕……いや、その先へと収束する。それは一本の光の矢となり、弓に見立てた杖へと番えられていた。
アデライドの短い言葉に呼応するように、一筋の光が彗星の如く戦場を貫く。一条の光が黒騎士の鎧を貫き、その背後に迫っていた魔術師の一人をも貫いた。
まるで糸が切れた人形のように、黒騎士と魔術師が崩れ落ちる。
こんな魔術は見たことがなかった。あるとするなら、伝説やおとぎ話の中でだけだ。その興奮を押しとどめながら、俺はメダリオンをぶら下げた魔術師の方を見た。
「く……」
戦場で唯一動揺を見せたのが、メダリオンの魔術師だった。メダリオンの魔術師はじりじりと後ずさると、懐から透明な宝玉を取り出した。
「いかん……逃げるつもりか!」
アデライドが声を上げたときには、既にメダリオンの魔術師が宝玉を地面に叩きつけたところだった。
砕け散った宝玉から魔力が溢れ、メダリオンの魔術師を包み込む。まるで霞のようにその姿はたち消える。
俺は実物は初めて見たけど、あれはかなり高額なマジックアイテムだ。対応するアイテムの置いてある場への、簡易の転移門の役目をする……確か、導きの宝玉といったか。
そんなことを考えていると、生き残りの弓使いや黒騎士、魔術師の身体が崩れ落ちた。
「やはり木偶人形か」
アデライドが足元に転がっていた黒騎士の兜を覗き込んで呟く。
「……木偶人形」
「儂の雷が効かぬはずだ。これではな」
アデライドが黒騎士の兜を外すと、そこに現れたのはおぞましく腐り果て、腐臭を放つ死体だった。
「うげ……」
猛烈な腐臭に、吐き気がこみ上げる。なんとか押さえ込もうとえづいていると、アデライドが兜を投げ捨て立ち上がった。
「あのメダリオン……」
アデライドの魔術が、メダリオンの力によって抑えられていたのもまた事実なのだろう。加えて、このアンデット。俺と行動を共にするのがエルフの魔術師であることを理解した上での襲撃なのか。
「おい、なんなんだこいつらは」
「さて。だが、件のメダリオンには見覚えがある」
俺たちのところへやってきたファブリスの問いに、アデライドが難しい顔で呟く。それは独白のようでもあり、自らの考えを否定したがっているようでもあり。
「死霊の王……死そのもの。名は数あれど、人の子らに馴染みがあるのはこの名か。死人の王モルドの印だ」
アデライドの言葉が暗い影のように、俺の耳へと響いていった。




