秘密のお茶会
カップを温めつつ、ヴィラエストーリア産の茶葉を銀製のティーポットへ入れる。女王陛下の視線が地味に突き刺さる。
城の召使いが用意してくれたお湯を、温めたティーポットへ入れる。お湯は沸きたてのものを、勢いよく注ぐのがポイントだ。素早く蓋を閉めて、蒸らしておく。今頃、ティーポットの中では茶葉が踊っているころだろうか。
蒸らし終える直前、カップのお湯を捨てておく。手間暇をかけて、やっとおいしい紅茶を淹れられる。
「どうぞ」
最低限の装飾のみが施された内側の白いティーカップは、紅茶の旨味を最大限に引き出すエッセンスだ。紅茶は味だけでなく、その香りと色も楽しめるもの。内側の白いティーカップは、紅茶を飲むのに最も適したものだといえる。
俺は女王陛下の目の前にカップを置くと、エリスさんとメリアドール、ベリエラの前にもカップを置いた。
女王陛下は細い指でカップを持ち上げると、香りを味わうように目を細めた。
「これは……確かによい香りだ」
今回はパウンドケーキとジュレがメインだから、茶葉はマイルドかつあっさりした味わいのものを選んだ。爽やかな香りと、すっきりとした舌触りが特徴の紅茶は俺のお気に入りでもある。
ひとまずは女王陛下のお気に召したようで安堵しつつ、俺はパウンドケーキを切り分ける。
「ヴィラエストーリア産の茶葉です。あまりミリューには流通していませんけど」
「……なるほど」
俺の動きを目で追いつつ、女王陛下が紅茶を一口口に含む。その瞳が、驚愕の色に彩られる。
「これは……」
興奮のせいか、肌に赤みがさす女王陛下の様子に、ベリエラが腰を浮かしかける。女王陛下はそれを目で制すと、改めてカップの中の、薄いオレンジ色を見つめる。そして顔を綻ばせると、そっとカップをソーサーへと置いた。
「女王などと祭り上げられておりながら、これほどの紅茶に今迄巡り合えなんだとは。驚いた」
女王陛下の素直な感想に、俺は思わず笑みが零れる。ベリエラは安堵の表情で座り直すと微笑んだ。
「本当によい香りです」
「オルドよ、この茶葉は商人から買い付けておるのか?」
「えぇ、ヴィラエストーリアにケインさんが懇意にしている商人がいまして。個人的に買い付けています」
パウンドケーキを女王陛下の目の前に置く。すぐ様、女王陛下の瞳が興味深そうにパウンドケーキに注がれる。
「初めて見るものだ」
「季節のナッツを入れた、パウンドケーキです。それほど甘くはないですが、ナッツの香りが強いので味わい深いですよ」
ミリューの貴族たちが食べる菓子は、小麦粉と砂糖と卵を混ぜ、ただとてつもなく甘いだけの情緒も何もないものだ。それは女王陛下もかわらないはず。
女王陛下はナイフとフォークで丁寧にパウンドケーキを切り、ほんの一口食べた。形のいい唇を扇で隠し、ゆっくりと咀嚼する。
その表情が、驚愕から感嘆へ、そして感動へと変異していく。
落ち着く為なのか、口に含んだ紅茶に……女王陛下の涙腺はついに決壊した。
ほろりと一筋の涙が伝い、ベリエラがオロオロとそんな女王陛下のことを見つめる。女王陛下はゆっくりとハンカチで涙を拭うと、柔らかく微笑んだ。
「まさに……筆舌に尽くしがたい。妾は、これらのもてなしへの賛美の言葉を持ち合わせてはおらぬ。だが、お前に言うならばこの言葉が正しかろう。うまい。本当に」
最大限の褒め言葉に、俺も感極まってしまう。女王陛下の前でなかったら、叫んでいたかもしれない。なんとか礼を述べると、女王陛下は小さく頷いた。
「貴族どもの間で噂になるだけのことはある。それで……」
女王陛下の表情が、キリリと引き締まる。うまい菓子に舌鼓を打つ女性から、正しく女王へと変じる瞬間。
「妾に何を願い出たいと?」
全てを見透かすような瞳で、俺を見つめる女王陛下。俺は頭を垂れ、膝をつく。
「……恐れ多くも、女王陛下にこのような場にお越しいただいた上、私の浅ましい願いをお耳に入れていただけるとは。なんとお礼を言っていいか……」
「くだらぬ台詞はいらぬよ、オルドよ。単純に、妾にも興味が生まれたという話だ。望むことを申してみよ」
「はい……」
チラリとエリスさんとメリアドールを見ると、二人が頷いているのが見えた。俺は意を決し、口を開く。
「女王陛下は、魔術師の国と言われるこの国に、冒険者や旅行者が留まりにくいことをご存知ですか?」
「いや……だが、それと何の関係がある?」
「わが国は多くの魔術師を他国へと輩出し、今日まで繁栄をしてきました。ですが……昨今、レイダリアやヴィラエストーリアにも魔術学院が創設され、魔術師の国であるというアドバンテージは失われつつあります」
「……ふむ、続けろ」
女王陛下の声音からは、その感情は読み取れない。俺は続きを話すべく口を開く。
「近い将来、魔術以外の文化を磨かないわが国は、どこかで他国から切り捨てられる日がくるのではないかと。それに、下町の魔術師になれない人々の生活。職がなく、孤児たちは貧困に喘ぐ現状。もしも彼らが、現体制に異を唱え、放棄したら? 民が国を信頼し信奉しなくなれば、そんな国に未来はあり得ません」
女王陛下にしてみれば、魔術師ですらない若輩者の戯言だと切り捨てることができる。だが、女王陛下は考え込むように目を細め、中空を見つめていた。
長い沈黙の後、女王陛下は俺を見つめると口を開く。それは、重く沈んだ声だった。
「提起することは何者にもできよう。して、お前はそれをどう回避する」
「料理です」
「料理?」
女王陛下の言葉に、俺は頷く。
「レギンバッシュ家の名の下、そうした貧民層を雇い入れ、雇用を与えます。金も物も人も、たくさん流れます。今までのミリューは、停滞していました。魔術師としては堅実な姿勢でしょうが、国としては色々な物が流れる方が活気が生まれるはずです」
「料理でそれができるという保証はあるのか」
「冒険者たちが噂は広めてくれます。味に関しては、女王陛下のお召し上がりになった通りです。女王陛下にお願いしたいのは、会議での後押しです」
俺が言い切ると、女王陛下が面食らったように俺を見つめた。すぐにエリスさんとメリアドールに視線を走らせると、口元を綻ばせた。
「エリス、中々に剛気に育てたではないか」
「まぁ、陛下」
エリスさんが心外だと言いたげに微笑む。女王陛下は紅茶を一口飲むと、小さく息をついた。
「……大掛かりな仕事になりそうか。だが、そうだな。少し考えさせてもらおう。妾とて、絶対的な権力を持っているわけではない故な」
肩をすくめると、女王陛下は笑った。女王と言うより、茶目っ気たっぷりの女の人という印象の笑顔だった。
俺はその日、確かな手応えを感じていた。




