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竜胆の誓い

 大広間で無事に挨拶を終えた俺は、現在招待客に顔を売っている最中だった。

 大広間に流れる音楽は、今はアップテンポなものに変わっていた。若い男女が楽しげに踊り、はしゃいでいる。こんな場でも、次世代を担う彼らにとっては、結婚相手を見つける出会いの場でもあるのだ。

 俺とレティスは既に、最初に踊り終えていた。一応今回の主催だから、踊らないわけにはいかないからな。無様な姿を晒すことにならず、本当に良かったと思う。

 激しい曲調を好かない貴族たちは、若者たちを眺めつつ料理と酒、そして噂話に花を咲かせているようだった。


「……こんなに立派になられて、リルハ様も安らかにお眠りになれることでしょう」


 筋張った体の、酷く顔色の悪いこの女性はペリルドン伯爵だ。穏健派の中核をなす人物で、アペンドック家ともレギンバッシュ家とも縁が深い。


「私のような若輩者には、勿体無いお言葉です」


「……ご謙遜を。それより、珍しい趣向を凝らしておいでなのね? 国外から取り寄せたものかしら」


 ペリルドン伯爵が視線を送るのは、召使いたちが行き来する料理を置いてある一角だ。


「いえ、全て私の屋敷で作らせたものです」


「まぁ……」


 大袈裟に驚いてみせるペリルドン伯爵の眼光は、しかし油断なく俺に注がれる。


「お口に合われるかわかりませんが、どうぞお楽しみください」


「いつまでも子供だと思っていましたが、中々に先見の明がおありのご様子……」


 目を細め俺を見つめるペリルドン伯爵は、猛禽類のような鋭い眼光でもって俺を射抜く。


「でも、気をつけなさい。利用されてはダメよ……」


 声を潜める、その瞬間だけ。優しげな目で俺を見つめる。俺は小さく頷くと、微笑んだ。


「ご忠告、痛み入ります」


 余計な情報はなるべく渡さない。穏健派の人間だとしても、今はまだ信用できるかわからないからだ。


「オルド様……! あ……」


 軽やかな鈴の音のような。キャロラインの声が俺の耳に届く。見れば、淡いひよこ色のドレスを着込んだキャロラインが、貴族たちを避けるようにして向かってきていた。ランドルの姿はない。


「アシェット家の……」


 ペリルドン伯爵が、低く呟くのが聞こえた。


「も、申し訳ありません……ペリルドン伯爵と話しているのが見えなかったもので……お恥ずかしいですわ……」


 キャロラインは、いつもの華やかな笑みは何処へやら。焦燥感を隠そうともせず、酷く狼狽していた。


「気にしていないわ。では、私はこれで」


 ペリルドン伯爵は、軽い会釈とともに去っていく。向かう先が料理の区画なあたり、褒めてくれたのは本心からということか。

 俺とキャロラインはその後ろ姿を見送りつつ、その場に取り残される。


「……あの、オルド様」


 震えるようなか細い声。キャロラインを見れば、可哀想なほど震えながら、俺を見つめる彼女の姿があった。

 祈るように組んだ手は、きつく握りしめているせいか血の気がない。なんと声をかけるべきか考えあぐねていると、キャロラインが唇を震わせながら言葉を続ける。


「あの、私……アペンドック邸の召使いに聞いて……」


 恐ろしいことを思い出したとでも言いたげに、キャロラインは震える自身の肩を抱きしめる。瞳に滲む涙をこぼすまいと、必死に唇を噛む様は、見るものが見れば庇護欲をそそられるものだろう。


「……なんの話ですか?」


「ニナという召使いに聞きました。オルド様のお見舞い……といっても、オルド様は眠っておられましたけど……。兄が……恐ろしいことを……」


 だから、ニナの様子がおかしかったのか。俺は得心がいく。だが、ニナの口がそう軽いとは思えない。俺の疑問が顔に出ていたのか、自嘲気味な笑みをキャロラインが浮かべた。


「私が浅はかなのです……。お兄様とエリス様の婚約が決まり、これからは家族としてノエル様のこともお支えしたいから、と言ったのです……」


 今にも消え入りそうな声で、キャロラインは呟く。

 その頃にはもう、ノエルの様子がおかしく、それがランドルの来訪後だったのもあり、実は召使いの間では少しばかり噂になっていたらしい。

 尚且つ、ニナに関しては俺たちがランドルを疑っているということを知っていた。その妹から、ある種挑発とも不躾ともとれるセリフが出て、ニナは思わず言い返してしまった、と。

 後日、改めて謝罪に訪れたキャロラインに、ニナはランドルについて少しばかり説明してしまったらしい。彼女らしからぬ行動だが、キャロラインはニナを責めないでほしいと涙した。


「私が全て悪いのです。無知で短慮なせいで、ニナを傷つけてしまって……」


「……どこまで聞いた?」


 敬語も忘れ、俺が尋ねる。キャロラインは涙をぬぐいつつ、目を伏せた。まるでイタズラを叱られた子供のように、本当に反省しているような。


「兄が……色々なことの黒幕ではということと、この件と兄のつながりに関することを、兄に問いたださないという約束です……」


「それだけ?」


「ニナは言っていました。もしもお兄様が黒幕であった場合、決してランドル・アシェットを許さないと」


 苛烈な物言いだが、ニナがそれだけノエルやエリスさんに対して心を砕いて使えてきたことの証だった。エリスさんに報告はすべきだろうけど、罰を与えるべきかは微妙だろう。それに、それは俺の範疇ではない。


「そうか、わかった。それで……キャロライン様。それを俺に告白して、どうするつもりだったの?」


「ご随意に……! 私でできる償いならば、なんでもしましょう。兄が相手だとしても、私は……!」


 思いつめたような顔で、必死に俺を見つめてくる。俺はそれに圧倒されつつ、キャロラインを見つめた。


「どうしてそこまで」


 いくら悪党だとしても、家族を捨ててまで俺のために動くメリットは、最早キャロラインにはないはずだ。それは、俺とレティスが婚約という共同戦線を張った時点で、決まったことだ。


「……愛しているから」


 吐息のように。甘く囁かれた言葉は、俺の耳にふわりと届く。熱を帯びた目で俺を見るキャロラインの顔は、艶めかしい。


「貴方を愛しているから……この身を投げ打ってでも、お力になりたいのです」


 キャロラインは言う。俺の隣に立つという夢が潰えた今。俺の側に少しでもいられる方法は、もうこれしかないのだと。

 何故こうも、歯車が噛み合わないのだろうと思う。ランドルが引いた引き金が、実の妹の運命すら歪ませ、悲壮な決意に駆り立てる。ランドルが私欲を優先しなければ、きっと俺は家のためにキャロラインを選んでいたはずだ。

 自分の醜い性格にいい加減嫌気がさすけど、もうそれも気にしないように努める。


「そうか……ごめん」


「……わかってます」


 傷ついた笑顔。引き金を引いたのはランドルでも、今目の前のキャロラインを泣かせているのは、紛れもなく俺だ。

 だから、俺は必ず成し遂げなくてはいけない。我が身を省みず、俺に寄り添おうとするレティスやキャロラインのためにも。

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