ノエルと一緒
いつの間にか、葬儀から一週間が経っていた。ノエルの調子は相変わらずだったが、我儘を言って誰かを困らせることもなく。むしろ、こっちが心配になる程大人しくいうことを聞いていた。
俺はといえば、エリスさんの研究の手伝いが始まる様子もなく。毎日ノエルの世話とメイドの手伝いに明け暮れていた。
「え、俺も行くんですか?」
エリスさんの言葉に、俺は掃除の手を止めて聞き返した。エリスさんが言うには、今度行われる舞踏会にノエルと出席しろという話だ。
俺の家柄的にも年齢的にも出ることは問題ないんだろうが、どうもその手の行事は苦手なんだよなあ。
「私もホールにはいるけれど、多分付き添えないから」
気乗りしないのはエリスさんも一緒らしい。無理もないか。
だけど、ミリューの有力貴族であるエリスさんが出ないわけにはいかない。
ミリューは魔術師の活躍が目立つが、ちゃんと王家もあるし騎士団もある。レイダリアやヴィラエストーリアのような封建国家とは少し違うのは確かだけど。
他国は魔術師の地位は低めだ。基本的に貴族の下につく。でも、ここミリューは魔術師の国。王家を筆頭に、魔術師が国の流れを作る。
「それと……レティス嬢のことだけれど」
「あぁ……」
俺は葬儀の後の一幕を思い出した。きっと母親にこっぴどく叱られたであろうレティスに、同情心を覚えないでもなかった。
「仲がいいのは私もいいって思うけど、気をつけてね」
レティスのバックについているのは、過激派と呼ばれる連中だ。レティス個人は知らないが、相当非道な研究を繰り返しているらしい。無駄な衝突を避けるように、というエリスさんからのやんわりとした注意だ。
「わかりました」
「じゃあ、よろしくね。私は午後から研究室にいるから、何かあったら呼んでね」
エリスさんはそれだけ言うと、部屋を後にした。俺が掃除を再開しようと箒を掴むと、太ももに衝撃が走る。
「ノエル」
名前を呼ぶと、ノエルが僅かに微笑んだ。腕にはグレイウルフのヌイグルミが抱かれている。
「ママが、明日ドレスをつくりなさいって」
8歳とはいっても、やはり女の子だ。暗く沈んだ気持ちも、お洒落することで少し明るくなるのかもしれない。俺はノエルに笑いかけると、箒を壁に立て掛けた。
「ノエルはどんなドレスが好き?」
「えっと……」
もじもじと俯き、ヌイグルミに顔を埋める。
正直言って可愛い。ケインさんが溺愛していた気持ちもわかる。
俺にとっては妹みたいなものだしな。
「オルドは、何色が好き……?」
俺は顎に手を当て、うーんと考え込んだ。正直、ノエルなら何色でも似合うだろう。
「ミントグリーンに黒いリボンも可愛いなあ」
リボンには、白いレースをつけて。ミントグリーンのドレスは、大人になりすぎない花の刺繍をいれたりな。
「可愛いかなあ」
ノエルが期待に満ちた顔で俺を見上げる。
「きっと可愛いよ」
「ノエル、ピンクも好き」
「ピンクも可愛い」
他愛のない会話に興じていると、ノエルにも少しずつ笑顔が戻ってきた。立ち直るにはまだ早いが、ノエルはノエルなりに前に進もうと頑張っているようだった。
+++++++
衣装を作り、舞踏会の日がやってきた。俺はあくまでもおまけで、今回はノエルが主役だ。
ノエルは若草色のドレスに身を包み、緊張しきって青ざめていた。まぁ、無理もない。ノエルの社交界へのお披露目も兼ねている。
本来なら10歳頃のお披露目らしいんだが、父親が亡くなったため繰り上げでのお披露目が決まった。わりとよくあることらしい。
「エリス・アペンドック様、ノエル嬢」
馬車から降りると、招待状を見せて中に入る。
見上げると、まさに絢爛豪華な王城が目の前にはあった。玄関ホールから漏れ出す光は、魔術のものだ。幻想的な光景が広がっていた。
「招待状を」
守衛に促され、俺も招待状を差し出す。
「オルド・レギンバッシュ様」
中に通され、先に入っていたエリスさんとノエルに合流する。
「じゃあノエル、オルドとはぐれないようにね」
ここから、エリスさんとは別行動だ。
俺たちはエリスさんと別れ、大ホールへと入った。既にホールには人が沢山いた。
銘々に着飾った大人から少年少女まで様々だ。ホールの奥、女王の玉座に近い場所に、立派な椅子が用意されている。
ミリューで最も力を持つ五つの家の当主が座る椅子だ。今はまだ、いずれも無人だった。
「オルド……」
ノエルが人見知りを如何なく発揮する。俺は苦笑いを浮かべると、壁際のソファにノエルを連れて行った。
「ここにいよう」
人の波から外れれば、ノエルの緊張も少しほぐれたようだった。キョロキョロと物珍しそうに辺りを見回している。
「あら、オルド」
レティスだ。俺がゆっくり振り向くと、真っ赤なドレスに身を包んだレティスが、取り巻きの男たちを従えて近寄ってきた。どいつもそれなりの家柄の嫡子だ。
「大丈夫だったか、レティス」
俺が尋ねると、レティスの顔が一瞬赤くなる。あ、恥をかかせたかな。
「べっつに、あなたに心配していただかなくても結構よ」
すぐにいつもの調子で返事が返ってくる。レティスはノエルに視線を移すと、彼女にしては珍しく優しく微笑んだ。
「ノエル、この前は驚かせてごめんなさいね」
俺は胸をなでおろした。どうやら、幼女に対しては人並みの優しさを持ち合わせているらしい。
「ううん……レティスは大丈夫?」
「大丈夫よ、ノエルは優しいわね」
「あのー、俺も一応同じこと聞いたんだけど?」
「う、うるさいわね! 話しかけないで!」
酷すぎる。まぁいつものことなんだけど。
俺は溜息をつくと、レティスから視線を逸らした。
レティスの取り巻きたちが、俺を見てニヤニヤ笑っている。気持ち悪いなあ。
「さ、行きましょ。用は済んだわ」
レティスが取り巻きに声を掛け、歩き去る。完璧な所作だ。
本当に、黙ってれば可愛いのに損なやつだ。
「あ、ママ……じゃなかった。お母様……」
ノエルがぽつりと呟く。見ると、用意された椅子にエリスさんとレティスの母親が座るところだった。
他に座ったのは二人。どっちも俺は初めて顔を見た。マーゲンシュト家の当主と、ペイダント家の当主。そして、一席は空席だ。
「本当は、あそこにリルハ様が……」
名も知らぬ貴族の声。リルハ。俺の母親。
覚えていないのだから感慨もわかないんだけどな。でも、誰も座らない椅子は寂しくはあるか。
間もなく女王のつまらない話が始まり、それが終わると音楽と共に歓談とダンスの時間だ。ダンスなんて踊れない俺たちは、相変わらず隅に座っていた。
「オルド様ー!」
ノエルとゆっくりしていると、黄色い声が俺の耳に届いた。
彼女は確か……。
「マリーヌ」
幼馴染みの一人で、身分こそ低いが両親がエリスさんの部下だ。それもあってか、俺とも気さくに話してくれる。
「まあ! こちらがノエル様ですわね!」
マリーヌは瞳を輝かせ、ノエルを抱き締めたり撫でたりしている。かわいそうに、殺人的な二つの塊に、ノエルがもみくちゃにされていた。
「それくらいでやめてやれって」
「まあ、申し訳ありません!」
慌ててノエルを解放すると、マリーヌは赤面した。
悪い子じゃないんだけどなあ。
「そういえば、お聞きになりました?」
社交界は、噂話の場でもある。マリーヌは、声を潜めた。
「リルハ様がお座りになっていた席、そろそろ埋まるようですわ……」
そのニュースに、俺は少なからずショックを受けた。
それは即ち、俺のもう一つの夢が頓挫するかもしれないからだった。