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偽りの恋に口づけを

本日二回目の更新です。前話を読んでからお読みください。

 ランドルの卑劣なやり口に、危うく引き裂かれるところだったエリスさんとノエル。

 お互いの話を総合し、さてどうするかと相談する段になり、エリスさんが一つの悩ましい提案をしてきた。


「ランドルの思惑を打ち砕く、布石になればいいと思うんだけど」


 嫌なら強要はしない、と前置いて、エリスさんは続ける。


「オルドがレティスと婚約するのよ」


「レティスと? それはなんでですか……」


「現状、ランドルとの件に関して詳しく知り得るのが、五大貴族の中ではメリアドールしかいないというのもあるけれど。レギンバッシュとヴァルキードが結びつき、あなたがレギンバッシュ家の当主としての権利を主張したら、どうなるかしら」


 エリスさんが静かに俺を見つめる。


「……対抗勢力が生まれたランドルは、焦るでしょうね」


 だがそれでは、俺をキャロラインに当てがうというランドルの思惑を、エリスさんが潰すことになる。そうなると、ノエルの身が危ないのではないだろうか。

 俺の懸念を予期してか、エリスさんが目を細める。


「……ヴァルキード家との婚姻を勧める理由の一つに、圧力をかけることはできても、おいそれと本当に手を出せないという理由もあるわ。それに、こんな考え方は好きじゃないけれど、メリアドールにはこれまでのことで借りがある。レギンバッシュ家の研究の利権も得られると、悪いことだけじゃないわ」


 つまりは、ヴァルキード家にも利益が生まれる以上、メリアドールも断らないだろうと。

 エリスさんはそこまで言うと、ふっと微笑んだ。


「……でも、オルドとレティスが嫌ならやめて、違う方法を考えましょう。なんとか証拠を集めて、女王陛下の名の下、審問にかけてもいいわ」


 あまりにもいつも通りの笑顔が、逆に俺の心に突き刺さる。

 なんとなくわかってしまう。もし、俺とレティスがこの案を呑まなかったら……。きっと、エリスさんは自分の手で決着をつけるつもりなんだ。

 審問会にランドルを引っ張り出せるなら、きっととっくにやってるはず。審問会を開かないんじゃない、開けない。

 ランドルは狡猾で周到な男だ。証拠なんて残すはずがない。自白だって、審問会に出ればするはずもないだろう。


「……少し考えてもいいですか? レティスとも話をしたいです」


 頭では理解していた。レティスと結婚する。それが俺の夢に最も近く、ランドルの野望を打ち砕く一石になる。

 俺自身、いつかは誰かと結婚するというのはわかっていた。それが家を守るということだし、俺の夢へ続く一歩だから。

 だけど、何かが。レティスなら気心も知れているし、断る理由はないはずなのに、どこか引っかかるものがあるんだ。


「いいわよ、ゆっくり考えて」


「オルドも結婚するの……?」


 悲しげなノエルの声に、俺は苦笑いを浮かべた。


「まだ、わからないよ」


「結婚したら、ノエルとはサヨナラなの?」


「そんなことないよ」


 そうは言うが、毎日は会えないだろう。本当は、ノエルがもう少し大きくなるまでは側にいてやりたかった。

 じゃあ、ノエルことが引っかっているのか。それは違うような気がした。

 ふと、俺を見つめるエリスさんと目が合う。時に母のように、姉のように、常に俺にも愛情を注いでくれた。一生かかっても返しきれない恩が、エリスさんに対してある。この恩を返しきらないうちに、俺が今この家を後にしていいものなのだろうか。


「……ゆっくり考えていいのよ」


 エリスさんが困ったように笑う。

 考え込んでいた俺は、結局その言葉に甘えることにした。

 優柔不断でカッコ悪い。それでも、ちゃんと向き合わないといけない気がしたから。



+++++++



 翌日。すっかり秋も深まってしまった空は、透き通った色で。俺のグズグズとした心とは真逆の色に、思わず忌々しげに見上げてしまう。空に罪はないのに。

 急遽ヴァルキード家に連絡を取り、レティスと会う約束を取り付けたのは、その日の午後だった。

 メリアドールには同時にエリスさんが会いに行くということで、俺とエリスさんはノエルをカルラに任せてそれぞれ出掛けた。

 俺がレティスとの待ち合わせ場所に選んだのは、ミリューの街中にある大きな公園だった。普段レティスが利用するような場所ではなかったけど、なんとなく広い場所でゆっくり話がしたかった。


「お待たせ」


 急いで来たのか、結い上げた髪の乱れを気にしつつ、それでも優雅に微笑んで見せる。豪華なドレスではなく、散歩用のハイウストの緩やかなドレスは、レティスによく似合っていた。


「少し歩こうか」


 俺の提案に、日傘をさしながら隣に並ぶレティス。公園を歩く人々が思わず振り返るほどに、確かにレティスは美少女なのだ。


「……お母様から、聞いたわ」


 切り出したのはレティスからだった。

 綺麗に舗装された、雑草一つない石畳を歩く。俺から呼び出したとはいえ、レティスばかりに話をさせるのも悪い。


「なんか、悪いな」


「私は……べつに」


 素っ気なく答えるレティスの表情を見ることは、何故かできなかった。


「正直さ、レティス。俺たちが色んなものを飲み込んで、エリスさんの提案に乗るのが……最善だと思うんだ」


 俺の話を聞いていたレティスは、小さく「そうね」とだけ言った。沈黙が気まずい。俺はそんな気まずさを追いやるように、口を開く。


「一晩悩んで、俺は……その最善を選ぼうと思う。レティスは……」


「私はもちろんお受けするわ」


 思わず立ち止まった俺を、少し前で背を向けたままのレティスが振り返る。その表情は、どこか自信がなさそうな。不安げな顔だった。


「そんなにすぐ決めなくても……」


 俺は今どんな顔をしている?

 正直、レティスは断るのではないかと思っていた。レティスになら、もっといい縁談が舞い込む可能性が高い。そして、選べるだけの地位にヴァルキード家はある。


「断って欲しいみたいな言い方ね」


 レティスは穏やかに微笑んでいるが、その瞳だけが悲しげで。俺は戸惑ってしまう。何故、レティスがそんな顔をするのか。


「いいのよ、オルド。政略結婚。結構なことだわ……」


「レティス」


 手を掴もうと差し出した腕を避けるように、レティスが半身を引いた。空を切った手が、やけに寒々しく。俺は驚いてレティスを見つめる。

 レティスが小さく溜息をつき、俺から視線を逸らした。


「私は、あなたのそういう優しいところに好感を持っているけど。あなたが納得できないことを受け入れて、本当にいいの?」


「どういうことだよ」


「……さぁ、どういうことかしら」


 はぐらかすような態度のレティスに、俺は焦りと不安から詰め寄る。レティスは涼しい顔で俺を見、そして微笑んだ。


「私は、あなたとの婚姻に異論はないわ。そこにあなたの意思がなくても、ね」


 レティスが悲しげな理由がわからない俺は、動揺する。


「……ねえ、オルド。私の初恋があなただといったら、信じてくれるかしら」


「へ……?」


 間抜けな声が漏れる。今までレティスとは色々あったが、キャロラインのような直接的なアプローチをされた思い出はない。

 俺が首を横に振ると、レティスは困ったように首をかしげた。


「だろうと思った。オルド、鈍いから……」


「いや、だってお前……」


「うん、そうよね。たくさん冷たくしたものね。ごめんなさい」


「いや、それには理由もあったわけだし……」


 情報処理が間に合わない脳みそが、今にも悲鳴を上げそうだった。辿々しく返答を重ねる様を、どこか面白そうにレティスが見てくる。


「だからね、私はあなたとの婚姻は願ったり叶ったりよ。浅ましい女。ランドルのことを悪し様になんて言えやしないわ」


「それは違うだろ……」


「違わないわ。チャンスがあるから掴もうとした。だけど、あなたのことを考えるなら……」


 レティスはそれきり口をつぐんだ。何かを考え、口に出そうとして諦める。何度かそれを繰り返し、下唇を噛むと溜息を零す。


「オルド」


「な、なんだよ」


「あなたは、心残りがあるんじゃなくて? あなたが本当に側にいたい人。その人とのこと、そのままにして結婚してもいいの?」


 俺が、側にいたいと思う人。ノエルと……エリス、さん。

 俺の顔を見ていたレティスが、満足そうに頷く。


「いや、でもレティス……」


「でももだってもないの。本当にいいの?」


「俺は……」


 俺の脳裏に浮かぶのは、エリスさんの笑顔だった。ずっと側で見てきた笑顔。いつか恩返しがしたいなんて、子供じみた気持ちで、ずっと蓋をしてきたもの。

 レティスがランドルを責められない?

 そんなことはない。レティスが浅ましいなら……ずっと側で、自分すら騙してきたこの俺は?


「俺も、あいつとかわらないよな……」


 愕然とする。心の底で、エリスさんに横恋慕するランドルを軽蔑していただけに、殊更堪えた。

 俺の憧れは、一体いつから恋心になっていたんだろう。

 俺は、本当に純粋な正義感でエリスさんの助けになりたいと願っていたんだろうか。


「変な顔。いいんじゃないの?」


 レティスから吐かれる毒も、今は何故か心地いい気がした。


「よくないだろ……」


 情けない声が漏れる。自覚してしまった想いをどこにぶつけることもできず、俺の気持ちは今や完全に消沈していた。


「あなたは私を浅ましいとは思わないんでしょう? なら、私が許してあげる」


 優しく手を差し出すレティス。これは、傷の舐め合いなのだろうか。

 その手をとって、引き寄せる。ふわりと香るのは、いつか嗅いだレティスの香水の匂い。


「ありがとう、オルド」


 腕の中で呟くレティスの声は涙声で。反射的に奪う唇は、涙の味がした。

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