ノエルの告白
一日あいてしまってすみません。
俺の身体がとりあえず動き回れるようになるまで回復したのは、結局襲撃から一ヶ月以上たってからだった。
その間、希望の丘の子供たちもお見舞いに来てくれた。
ノエルは結局、一度も姿を見せてはくれなかった。
「エリスさん、ノエルは元気なんですか?」
久しぶりにベッドから降り、俺は部屋の長椅子でエリスさんとお茶を飲んでいた。
まだ火傷のあとは目立つものの、痛みはほとんどなかった。
「そうね……体調は問題ないのだけど」
この話題を出すと、いつもエリスさんの顔色が曇る。
「もう一ヶ月ですよ」
「そうよね……」
エリスさんが困ったように呟く。ここまでくると、俺の想像が確信に変わる。ノエルに何かあったのか。
「ノエルに会いたいです」
ノエルの笑顔は、俺の癒しだった。ノエルを守るとか格好つけていたって、結局のところ、その笑顔に救われていたのは俺の方だ。
「……うん、そうね。ノエルは今、あなたに会うのが怖いって言ってるの」
エリスさんの言葉に愕然とする。ノエルの涙を思い出す。俺の怪我は相当酷い状態だったし、きっととても怖い思いをしたはずだ。ノエルが怖いって思うのも、当然か……。
「そうですか……俺が怖がらせたようなものですもんね」
「違うのよ。あなたのことが怖いわけじゃないの。ノエルはなんだか、自分をとても責めているみたいで。ずっと部屋に閉じこもってるのよ」
「そんな……ノエルは悪くないのに」
「そう、ノエルは悪くはないわ。助け出してくれた冒険者もそう言ってくれたし、私たちも同じように言った。だけどあの子は、酷く思いつめているの」
俺が目を覚ました時に言わなかったのは、俺が無理してでもノエルに会いたいと言いかねないかららしい。今言うのは、そろそろ見た目は怪我もよくなってきているから。
「……俺、ノエルと話してみます」
「それがいいかもしれないわね。本当は私がちゃんとケアしてあげなくっちゃいけないのに、仕事にかまけてケインやあなたに任せてばかりだったから……」
エリスさんが自虐的な笑みを浮かべる。その笑顔を見ていると、俺も胸が苦しくなる。
「エリスさんは、アペンドック家の当主として素晴らしい人ですよ。だからノエルだって、エリスさんのことが大好きなんです。自分を責めないでください」
「そうかしら……あなたにも迷惑かけて、私……」
「迷惑なんて思ったことは、一度もないですよ」
俺はなるべく笑顔を浮かべる。エリスさんは、ここのところすっかり元気が無くなってしまった。
エリスさんにだって恩返しがしたいのに、これじゃあダメだ。俺がしっかりしないと。
「じゃあ、俺はノエルのところに行ってきます」
俺は長椅子から立ち上がる。エリスさんも立ち上がると、頷いた。
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エリスさんとは部屋のドアのところで別れ、俺はノエルの部屋へと向かう。久々に廊下に出ると、すれ違う若草騎士団の面々や召使いたちに回復を喜ばれた。
一人一人に挨拶と礼を返す。どうやら、沢山の人に心配をかけていたようだった。もっと気をつけないとな。
なんとか声をかけてくる人たちをさばききり、ノエルの部屋の前へとやってきた。
軽くノックしても、中から返事はない。
「ノエル、入るよ」
返事が返ってくる前に、扉を開く。
昼間なのにカーテンは閉め切られ、室内は薄暗かった。廊下から差し込む光に目を凝らすと、辛うじてベッドに盛り上がりがあるのがわかる。
「ノエル?」
扉を後ろ手に閉めると、カーテンの隙間から差し込む光を除き、部屋は闇に沈む。もぞもぞと、ベッドの方から身動ぎする音が聞こえた。
「ノエル」
闇に目が慣れ、なんとか輪郭だけはおぼろげに見え始める。
ベッドの上で、ノエルが起き上がっていた。
「ノエル、久しぶり」
「オルド……」
ノエルの弱々しい声が聞こえる。俺はベッドサイドへ近寄った。薄ぼんやりとした視界の中、ノエルの表情を窺う。悲しみとも拒絶とも取れる表情で、ノエルは座っていた。
あれほど気に入っていたグレイウルフのヌイグルミが、ベッドの下、俺の足元に転がっている。俺はヌイグルミを拾い上げると、埃を払ってノエルに差し出した。
「なんで来たの……」
ヌイグルミは受け取らず、ノエルが呟く。その声は酷く抑揚がなく、陰鬱だ。
「なんでって、ノエルが元気ないって聞いたから」
「ノエルは、オルドに心配してもらっていい人間じゃない」
「なんでそんなこと……どうしたんだよノエル」
ベッドに腰掛け、ノエルのヌイグルミを膝に置く。ノエルは俺のことを見ない。
「どうもしないの……。ノエルは……ノエルのせいで、オルドが大怪我したから……。ノエルは、オルドに優しくされちゃダメなの」
明らかな拒絶の意思。俺は思わず溜息をついた。ノエルの肩がびくりと震える。
「ノエル、そんなこと言うんだったら、さすがの俺だって怒るよ」
ノエルのせいってなんだよ。誰かがそんなこと言ったのか?
湧き上がる怒りを鎮めつつ、俺は続ける。
「いいか、ノエル。誰がそんなこと言ったのか知らないけど、あれはノエルのせいなんかじゃないんだから、ノエルは今まで通りにしてていいんだ」
「嘘だよ……だって、言ってたもん……。ノエルが悪い子だから、オルドに悪いことが起こったし、お母様は……」
ノエルはそこで言い淀むと、俯いた。
「ちょっと待て、誰が? っていうか、エリスさんがどうかしたのか」
「言わない……誰にも言っちゃダメなの……」
ノエルがふるふると首を横に振る。ろくでもないことをノエルに吹き込んだ人間がいる。それだけで腹立たしい上に、エリスさんに関しても何かあるのか。
「ノエル、大事なことなんだ。俺やエリスさんのことを大事な家族だと思ってくれるなら……教えてくれ」
ずるい聞き方だろうか。それでも、俺だってこのままにはしておけない。
「……誰にも言わない?」
「言わないよ」
ごめんな、ノエル。場合によっては、この約束は嘘になるのをわかった上で俺は頷く。
「あのね……ノエルが悪い子だから、お母様は結婚してお家を守らないといけないんだって。オルドが大怪我したのも、ノエルが悪い子だからなんだって。ノエルは……新しいお父様とは住めないから、オルドと住みなさいって……」
「……は?」
あまりにも酷い話に、俺は思わず顔をしかめる。ノエルが難しい顔をしている俺を、不安げに見上げる。
「あぁ、ごめんノエル。それで、それは誰が言ってたんだ?」
「ランドルさま……」
「あぁ?! あの野郎……」
今度こそ怒りを抑えきれず、大声が出てしまう。ノエルが驚いて身を縮ませる。
「っと、ごめんな。エリスさんが言ったわけじゃないんだな……でもなんで……。いや、それよりノエル。そんなこと、エリスさんが受け入れるわけないだろ」
「でも……」
「ノエル、一人で悩んでてエリスさんに言ってないんだろ。いいか、まずお前がしなきゃいけないのは、部屋から出て心配かけたみんなに謝ることと、その話に関してエリスさんと話すことだ」
「だけど、話したら悪いことが起こるって……」
「大丈夫だから。ノエルが我慢することなんてなにもないんだから」
安心させるようにノエルの頭を撫でる。
同時に、俺の中で忘れかけていたランドルへの疑念が再び仄暗い炎となって燻る。
ノエルをこんなに憔悴させた目的がエリスさんってんなら……俺だって考えがある。俺の大切な人たちを傷つけて、のうのうと生活できると思ったら大間違いだからな。




