涙
希望の丘の子供たちは、今日も逞しく元気だった。
古いシーツを切り、思い思いの絵を描き、大きく「シスター・エリダ、お誕生日おめでとう」と描いてみたり。
子供たちとの話し合いの結果、誕生日会の日に、食堂の壁や天井に葉っぱや花で飾り付けをすることになった。飾りのための草花は、前日までにシスター・レインと子供たちで集めることになった。
当日作るケーキの材料についての相談を終え、俺とノエルが希望の丘を出たのはすっかり暗くなってからだった。
マジックアイテムで作られた街灯が、石畳をぼんやりと照らし出す。俺たちは人通りもまばらになった大通りを歩いていた。
「シスター・エリダ、喜んでくれるかな」
「きっと喜んでくれるよ」
こんなに一生懸命で素直な子供たちの真心が、シスター・エリダに伝わらないはずがない。俺は確信を持って頷く。ノエルの顔に、笑顔が浮かぶ。
「よかった!」
嬉しそうに笑うノエルを見て、俺も自然と笑顔になる。
「あのね、オルド。ノエル、まだまだ子供だけど……」
ノエルが言葉を続けようとした刹那。闇夜を裂き、染め上げたのは炎の矢。それは物理的なものではなく、魔術で形作られたものだ。
暗い路地の奥から、真っ直ぐに俺とノエルを狙って飛来する炎の矢に、俺はノエルを庇うように道へと身を投げ出した。
硬い石畳に身を投げ出されたノエルが、腕の中で小さな悲鳴をあげる。その直後、俺の頭上を熱風が通り過ぎ、背後にあった建物の石壁にぶつかり爆ぜた。爆炎と轟音、そして熱風が肌を焼く。チリチリと焼け付くような痛みだが、それでもまだ無事だと言えるだろう。
俺はすぐにノエルを立たせつつ立ち上がると、路地の奥を見つめた。目を凝らしても、何者かの姿を見つけることはできない。
ざわり、と。ねっとりと絡みつくような風が吹く。
「探知魔術……」
俺自身は風の魔術は使えないために発動できないが、学院で習ったものだった。風魔術の応用魔術だ。魔力を伴った風を吹き付けることによって、主に索敵に使われる。
「……どうする」
汗が伝う。ノエルを守るように背に隠し、ゆっくりと後ずさる。俺が使える魔術は、火属性と水属性。攻撃魔術はないこともないが、どちらかというと俺は補助しかできない。しかも今は、魔力の発動媒体である杖もマジックアイテムも所持していない。
「オルド……」
不安げなノエルを安心させようと笑顔を見せかけたとき、視界の端に紫電が走った。
「ノエル……!」
咄嗟にノエルを突き飛ばす。俺自身が逃げる余裕は、ない。
雷は、水と風魔術の複合だったけ、なんて。そんなことを考える余裕もなく、次の瞬間俺の身体は紫電に貫かれた。
息ができない。自分では抑えようもなく、全身が馬鹿みたいに痙攣するのがわかる。脳が、焼き切れてしまいそうだった。
心臓を握りつぶされたような感覚。俺が最後に見たのは、大粒の涙を零しながら俺に手を伸ばすノエルの姿だった……。
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ツンと鼻腔を刺激する薬品の匂いに、俺は重い瞼を開いた。そこは見慣れたアペンドック家の俺の部屋で、ぎこちなくひきつる首を巡らせると、見慣れたベッドカバーが目に入った。
「ァ……」
声を出そうとして、掠れた音しか出ないことに気がつく。身体中酷く痛い上に、動かそうとすると皮が突っ張るような感じがした。
ふと右腕に感じた重みに視線だけ動かすと、俺の右腕をしっかり握り、眠る人物が目に入った。
よく手入れのされた、日に透かした蜂蜜のような金髪。同色の長い睫毛が、僅かに震えている。泣いていたのだろうか、しっかりと閉じられた瞼の下は、赤く腫れていた。
「グ……」
名前を呼ぼうとして、やはりくぐもった……およそ声とは言えない音が漏れる。代わりに右腕を動かそうと頑張ってみると、目の前の少女が僅かに身じろぎした。
「ん……」
うっすらと開かれた瞳は、空のように澄んだ青。その瞳が、俺を捉え見開かれる。
レティス、と。名を呼んでやりたかったが、やはり意味のない音しかなさない。
「オルド……」
大きな瞳から、宝石のような大粒の涙が零れ落ちる。
「全然目を覚まさないから……死んじゃうかと思った……」
俺の腕に縋り付き、わんわん泣くレティス。そんな姿を見るのはいつぶりかと思いつつも、俺は身動きできずにいた。
「ん……ごめん……。エリス様を呼んでくるから……」
ぐすぐすと鼻をすすりつつ、レティスが立ち上がる。
何故アペンドック家にレティスがいるのか。
朧げな記憶をたどり、どうやら何者かに襲撃されたらしいことを思い出し、俺はレティスを見た。
「……オルド。大丈夫だからね」
レティスは、俺の言いたいことがわかったのか、疲れ切った顔で微笑んだ。
それは、ノエルは無事だということなのだろうか。
あの時……俺は死んだと思った。俺を貫いた魔術の雷。俺の意識がなくなった後、それからノエルはどうやって身を守ったのか。
「エリス様から説明してもらうといいわ……」
安心させるように俺の頭を撫で、レティスは部屋を出て行った。
ノエルは無事なのか。
何故レティスがここにいるのか。
そもそも、何故俺が狙われたのか。いや、それは考えなくてもわかるか。
俺の両親が殺され、ケインさんが殺された理由と同じ。
でもそれなら何故、俺は生きている?
「ぅ……」
呻き声が漏れる。色々考えていると、頭が割れそうに痛い。
自分の状態は、あまりよさそうじゃなかった。レティスは死んじゃうかと思ったと言っていた。
つまりは、かなり酷い状況なんだろう。
小さく吐息を漏らす。なんだか喉も焼け付いてしまったように痛かった。
何日くらい眠っていたのか……希望の丘の子供たちとの約束……きっと守れなかったんだろうな。




