幼馴染みとパウンドケーキ
まだ少し暗かった!
次から徐々に日常回に入っていく予定です。
昨日の夕方から降り始めた雨は、日が昇っても止むことはなかった。初夏だというのに妙に肌寒いのは、きっと気のせいではないだろう。
アペンドック邸の敷地内にあるカタコンベ。陰鬱な雰囲気の集団墓地に、ケインさんは埋葬された。エリスさんは当主として気丈に振る舞い、ノエルも俺の服をぎゅっと握りしめ涙を堪えていた。立派だと思う。
「最後のお別れを」
司教の声に、集まっていた親戚や貴族たち、友人たちが花束を置いていく。葬儀が終わり、銘々にエリスさんに声をかけ帰っていく人々の背を、俺はぼんやと眺めていた。
「大丈夫かい、気を落とさないで」
エリスさんに最後に話しかけたのは、一人の男だった。俺もよく知っている。エリスさんとケインさんの子供の頃からの友人で、ランドル・アシェット。やはり、ミリューでは有力な貴族だ。ただし、男だからという理由だけで家督は継げない。
ランドル自身は優秀な魔術師で、数々の方法論……主に「一般における魔術の活用と有用性」なんていう論文は有名だ。
「ランドル、ありがとう」
俺が物思いに耽っていると、エリスさんとランドルさんの会話が進んでいたようだった。ここにいても、ノエルにはあまりよくないかもしれない。
「エリスさん、先に戻ってますね。紅茶を淹れます」
まだ話をしている二人を残し、俺はノエルの手を引いて歩き出した。
カタコンベから出ると、雨は上がっていた。
「あら、オルド」
どこか嘲るようなそんな響きの声がかけられた。振り向かなくてもわかっている。
「レティス」
レティス・ヴァルキード。幼馴染み……と言えば聞こえはいいが、最早腐れ縁といってもいい。黙っていれば可愛い顔をしているのに、こいつは性格がなんとも言い難い。プライドが高く、高飛車なのだ。
「気易く呼ばないでくれる? エリス様のご厚意で家を取り潰されず済んでいる、半端者のくせに」
「うん、ごめん」
俺の両親もまた、貴族だったらしい。伝聞でしかないわけだけど。
ミリューでは女しか家督を継げない関係で、俺の家……レギンバッシュ家は取り潰されるはずだった。それを、当時既に家を継いでいたエリスさんが条件付きで引き伸ばしてくれた。
「でも、この分だとそれも無意味だったみたいねえ? ま、あたしはその方が嬉しいけど……」
俺の反応を窺うように、レティスが見つめてくる。恐らく留学の事を言っているんだろう。
「まぁ、そうだな」
「路頭に迷ったら、その……」
レティスの言葉は最後まで続かなかった。
「レティス!」
叱りつけるような声が遠くから響く。見ると、レティスの母親が立っていた。レティスそっくりの金髪碧眼。キリリと引き結んだ唇は、この人が厳しい人なのだという事を如実に表している。
ツカツカと俺たちのそばまでやってくると、彼女は無言でレティスの頬を平手打ちした。
「ちょ……」
俺は驚きのあまり、ノエルを庇いつつ様子を窺った。レティスはといえば、赤く腫れた頬を押さえ、大きな瞳に涙を溜めていた。
「ごめんなさい、お母様……」
今にも消えそうな声でレティスは言うと、一瞬俺を見て歩き出した。レティスの母親は、俺を汚いものを見るような目で見る。
「うちの娘に関わらないで」
冷たく言い放ち、レティスの母親も去っていった。無理からぬ事だった。
ミリューには、いくつかの魔術師の派閥がある。大別すると三つ。穏健派と呼ばれる、エリスさんが筆頭の派閥。過激派と呼ばれる、レティスの母親が属する派閥。もう一つは、穏健派と似ているが保守派と呼ばれる派閥だ。思想が違う分、こうして衝突する事もままある。
レティス、大丈夫だといいんだけど。
「ノエル、大丈夫?」
俺が声をかけると、ノエルは小さく頷いた。ノエルのプラチナブロンドの髪を撫でてやりながら、俺は歩き出した。
庭を突っ切り、屋敷の扉をくぐる。いつもなら明るい笑顔で出迎えてくれるケインさんは、いない。
「ノエル、焼菓子と砂糖菓子どっちがいい?」
「焼いたの……」
ノエルのリクエストに応え、朝のうちに焼いておいた焼菓子を切り分ける。すjかり冷えてしまった身体には、温かい紅茶が一番だ。お湯を沸かしていると、様子を見ていたノエルが抱きついてきた。
「もう準備終わるからな」
「オルド、パパみたいだね」
ぽつりと落とされた言葉が、俺の心にさざ波を立てる。ノエルはまだ8歳だ。急に大好きな父親を亡くして、どんなに心細く思っている事だろうか。
胸が締め付けられる思いだった。
「ノエル、できたよ」
努めて明るく言うと、焼菓子と紅茶をシルバーのトレイに載せて食堂へ行く。ちょうどエリスさんが戻ってきたところだった。
「おかえりなさい、今できたところですよ」
「ありがとう、オルド。これ……あなたが?」
エリスさんが、焼菓子を見つめて呟く。ケインさんに教えてもらった数々のレシピの中でも、今回の焼菓子は会心の出来だった。
「急だったんで、木の実とジャムを入れて焼いただけですけどね」
「おいしい」
エリスさんがやっと微笑んだ。
「ママ……」
ノエルがエリスさんに抱きついた。
「ノエルも、偉かったわね」
「うん」
俺はノエルの紅茶に砂糖とミルクをたっぷり入れてやると、椅子に座った。
「そうだ、研究のお手伝いの件なんですけど」
俺がエリスさんに尋ねると、エリスさんはなんとも言えない表情を浮かべた。
「えぇ、そうね……ちょっとまだ、日程の調整ができていなくて。しばらくはノエルとゆっくりしてていいわ」
「そうですか……」
そう言われてしまっては、俺もおとなしく頷く他ない。
そもそも、魔術師には二通りある。冒険者のように実戦で魔術を操るものや、実際に魔術を道具に封じ込め道具に加工するもの。
それと対極にいるのは、エリスさんのような研究を行う魔術師だ。魔術の理論を紐解き、新しい魔術を生み出す研究をしたり、技術を開発する。レイダリアの魔術学校の講師なんかも、研究者が多い。実技は元冒険者が多いという話だが。
「ごめんなさいね、本当は今頃……」
俺の目標は、冒険者になることだった。世界を飛び回り、机上では見聞きできないこと、新しい研究のヒントを持ち帰る。そういう形で家を存続させたかった。巡り巡って、それがエリスさんたちへの恩返しになるはずだった。
「まぁ、気にしないでくださいよ!」
俺の言葉に、エリスさんは微笑んだ。少しでも気持ちが軽くなってくれるなら、俺も嬉しい。
「じゃあ、俺は買い物に行ってきます。ノエル、今日は何食べたい?」
ケインさんの代わりに、何か美味しいものを作ってあげたかった。そもそもミリューの魔術師たちは、食に関しての関心が薄い。貴族といっても研究者だ。普段は研究に没頭し、寝食を忘れがちだった。
そこで、いつの時代の魔術師かは忘れたがあるレシピを開発した。緑色のゲル状の、栄養補給食だ。これが、なんというか不味い。そこらの雑草を三日三晩煮て、色々な薬を混ぜ込んで腐らせたみたいな臭いがする。
俺とケインさんは、これを「ゲロ」と呼んでいた。それくらい不味いんだが、ミリューの魔術師たちが重宝しているのも事実だ。
「なんでも、いいよ」
ノエルのか細い声。俺は頷くと、ノエルの頭をひと撫でして屋敷を後にした。
ミリューは他の街ほど生鮮食品を扱う店は少ないが、それでも多少はある。俺は馴染みの店を数軒回って、必要な食材を集めていった。




