疑惑の種
エリスさんの怪我の具合が良くなり、季節は夏は過ぎ秋が深まっていた。
木々の葉が色づき、朝晩の冷え込みが気になり始めた頃。エリスさん襲撃の犯人の足取りは中々掴めず、いつしか危機感も薄れていた気がする。
「孤児院へ、ですか」
「ええ、お願いできるかしら」
アペンドック家が資金を提供している孤児院で、簡単な読み書きと初歩の魔術を教えて欲しいという依頼だった。
いや、依頼とは少し違うか。俺の両親が元々は始めたことで、それをケインさんが引き継いでいたらしい。今度はエリスさんが……となるはずだったが、俺にその役目が回ってきたというわけだ。
ミリューでは魔術の才能が発揮された者は、たとえ孤児でも登用される可能性がある。というより、魔術師というのは誰でもなれるわけじゃあない。いつの時代も人不足なのだ。
「いいですけど、俺で大丈夫なんですか?」
「あら、オルド。人に教えることも勉強です。自身が理解していないと子供たちの質問に答えられないわよ」
なるほど、エリスさんの言うことはもっともだ。子供たちに教えながら、俺自身のスキルも上げろということか。
「わかりました、やってみます」
「授業内容に関しては、書斎にケインのものがあるから参考にしてね。オルドなら大丈夫よ」
俺の肩を優しく叩き、エリスさんは微笑んだ。頼りに……とは少し違うのかもしれないけど、信頼してくれるのは嬉しい。気合い、いれないとな。
俺はエリスさんと別れ、ケインさんの書斎にやってきた。主のいない部屋は、すっかり埃っぽくなってしまった。ここも今度掃除しないとな。
ケインさんの書斎は綺麗に片付いていた。几帳面なケインさんらしく、目的の書類を探し出すのに苦労することはなかった。
「レギンバッシュ家創設、希望の丘……」
表紙の文字には、そう書かれていた。
「以外と少ないんだなぁ……」
現在「希望の丘」に住んでいる孤児は、計七人。上は十二歳、下は六歳だ。
子供たち一人一人の名前から始まり、好きなもの、得意なことなどが細かく纏められていた。親が全くわからない子供もいたし、俺のように両親と死別して行くに困って孤児院へ引き取られた子もいる。
「なるほど……」
ケインさんの纏めた書類に目を通して行く。年齢がバラバラだから、それぞれのペースに合わせて教えていたようだった。膨大な量の書類だ。一日じゃ把握は難しそうだ。
俺は必要な書類を小脇に抱え、書斎を出ようとして違和感を感じた。
綺麗に整えられた書類棚の一箇所、乱雑に書類が置かれている場所があった。
どうにも気になってしまった俺は、一度抱えていた書類を机に置き、書類棚に近づいた。
「急いでいたのかな」
綺麗好きのケインさんらしからぬ様相だ。
他は綺麗に綴じられているのに、そこだけ書類をまとめる紐が解いたままなのだ。
「よっと」
書類を一度床に降ろし、纏めるために一番上の書類を見る。埃が舞うが、後で掃除すればいいだろう。
何気なく。本当に何気なく視線を落とした。表紙に書かれていた文字に、俺は動けなくなってしまった。
背中を冷たい汗が流れていく。
「嘘だろ……?」
やっとの思いで絞り出した言葉は、虚しく響く。
リルハ・レギンバッシュ暗殺についての報告書。
ケインさんの字ではなかった。無骨な字で書かれた報告書を、俺は読むべきか悩んでいた。
読めば戻れなくなる。そんな予感めいたものを感じながら。それでも、その誘惑に抗えるべくもなく。
俺の手は無意識に書類を拾い上げていた。
+++++++
唇がカサカサに乾いていた。今しがた読み終わった報告書。流し読みだが、間違いなくその内容のせいだ。
「くそ……」
悪態をつきそうになるのを抑え、報告書以外の書類を纏めあげる。書類棚に戻し、報告書は孤児院の資料の間に挟む。
一人でゆっくり整理する時間が欲しかった。それに、報告書の間には気になるものが挟まっていた。三通の手紙だ。まだ中身は読んでいなかった。
「行こう……」
酷い頭痛がした。疲労感を追い払うために、書類を小脇に抱え、逃げるように書斎を後にした。
召使いをつかまえ、出かけることを伝えて屋敷を出る。向かうのは、自宅だ。
久しぶりのレギンバッシュ家帰宅が、こんな理由になるとは。
普段屋敷を管理しているスチュワードに簡単な挨拶をし、自室に逃げ込む。そこでやっと、俺は一息つくことができた。
「事故死じゃなかったのかよ……」
スチュワードなら何か知っているだろうか。俺の母親が結婚前から、レギンバッシュ家に仕えているスチュワードだ。聞いてみる価値はあるかもしれない。
報告書の内容を反芻する。思い出していて、気分のいいものではなかった。
内容としては……事故を装った魔術師による犯行とのものだった。だが、それなら何故そう発表されていないのか。
俺は、カルラの言葉を思い出していた。
「政敵、か……」
敵が大きすぎる場合、安易に公表できないものだろう。それはわかる。
だが、知ってしまった以上俺だってじっとしてはいられない。両親への寂しさを感じずにいられたのは、ケインさんやエリスさんのおかげだ。
だけど、それは事故死というどうしようもない理由だったことも大きい。
「殺された」
言葉に出すと、身体の中が冷たくなっていくのを感じる。
また一つ、俺が家を再建する理由が増えた。
両親を死に追いやった人間を突き止めたとき、俺は果たして平常心でいられるんだろうか。
正直、自信はなかった。




