鬼教官とローストチキン
お料理回。
エリスさんは、無事に屋敷へ帰ってきた。しばらくは召使いの数も増やし、エリスさんの着替えその他を頼むことになった。
身辺警護は若草騎士団の面々が。俺の魔術の練習には予定通りカルラが教官となってくれているのだが。
「なんだ、全然駄目だな」
本日何度目かの、哀れみのこもった目。いや、なんでだ。俺は魔術の教えを受けていたはずなのに、何故か剣術を習っているんだけど?
「腰が入っていないから踏み込まれるし、剣を弾かれるのだ。いいか、もっと腰を深く、だが剣は握りすぎるな。そして、一撃を与える瞬間に強く握る」
俺の構え方を細かくチェックする。
いや、だから魔術は?
「不服そうだな」
心でも読めるんですか?
自慢じゃないが、俺は座学は得意だが身体を動かすのはそこまで得意じゃない。
家で料理をしている方が好きだし。
「まぁいい、少し休憩だ」
カルラが爽やかな笑みを浮かべる。
汗ひとつかいていないのはさすがと言えばいいのか。俺は汗だくです。もちろん。
「お疲れ様!」
召使いにワゴンを引かせ、ノエルが庭に飛び出してくる。
ワゴンの上に載っていたのはレモネードだ。氷が浮かんでいる。冷たそうだ。
思わず、俺の喉がゴクリと鳴る。
「うん、うまい!」
レモネードを飲み下すと、爽やかな香りが鼻腔を刺激した。程よい甘みが口に広がり、疲労を吹き飛ばしていくようだった。
「ノエル、上手になったな」
「本当?」
ノエルが嬉しそうに笑う。
ノエルはケインさんに似て、一度食べたものの味をよく覚えている。これは才能だ。
記憶している味覚から、何度か作るうちに近い味付けを再現できる。将来が楽しみだ。ノエル本人も料理が好きみたいだしな。
「しかし、本当だったのだな」
カルラが興味深げに俺とノエルを見る。
「え?」
「サロンで噂になっている。曰く、キャロライン嬢の胃袋を掴んだと」
忘れかけていた……いや、忘れたかった名前に、俺の笑みは自然と引きつりそうになる。
「まぁ、悪い話ではあるまい。あのキャロライン嬢と結婚ともなれば、な」
「生憎、そのつもりはないんだけどな」
俺が答えると、カルラは肩をすくめた。
「オルド、夕ご飯の準備しようよ」
ノエルがぐいぐいと俺の腕を引く。
エリスさんの帰宅を祝って、簡単なパーティーがしたいらしい。俺は頷きかけ、カルラを見た。
視線に気がついたカルラが、ゆっくり頷く。
「まぁ、仕方ないだろうな。私も興味がある」
成り行き上仕方ないといえるか。カルラも交えて、夕飯の支度だ。
今日のメニューはローストチキン。エリスさんの好物だ。既に仕込みは済ませてある。
「ノエル、これを切っておいて」
鮮やかなオレンジ色の根菜や、少し臭いのキツイ葉野菜などを渡す。言うまでもなく、鳥の腹に詰め込む分だ。
俺は隣でオレンジを大量に絞る。いい匂いが室内に充満する。
「そんなもの、どうするのだ」
「ソースにするんだよ」
「オレンジをか?」
訝しげに尋ねるカルラの疑問は、最もなものだろう。
ま、食べてみればわかるさ。
オレンジを絞り終わる頃、ノエルが野菜を切り終わった。それを沸かしてあったお湯で茹でる。
茹で上がったら、鳥の腹に詰めていく。鳥は前の晩からオレンジや香草、葡萄酒なんかで漬けてある。
「よし、こんなもんかな」
詰める野菜にも軽く味をつけ、オリーブオイルやニンニクと共に詰めて入り口を縛る。尻尾と足も巻き込むのがポイントだ。
「カルラ、突っ立ってるだけならこれを塗ってくれ」
溶かしたバターだ。カルラは驚いたように俺を見つめる。
「あぁ、やり方はノエルに聞いて」
「ここに塗るんだよ!」
ノエルは、鳥の胸側に器用にバターを塗っていく。負けてなるものかと、カルラも塗り始めた。
二人が鳥を構っている間に、俺もソースを仕上げる。
鳥をつけてあった汁と、絞ったオレンジ、葡萄酒を煮詰めていく。とろ火でな。アクを取って、味を整えたら完成だ。
鳥はオーブンで焼いていく。まぁ、ここらへんは時間がかかるしな。
「料理というのは手間がかかるものだな」
「ミリューの貴族は、もっと食に関しても探求すべきだよ」
「しかしなあ」
カルラが唸る。まあ、常識を覆すのはなかなか難しいよな。
「今日のおやつは、ノエルが作ったの」
もじもじとしながら召使いに運ばせてきたのは、カボチャのプティングだ。パンケーキの上にのっていたのも、こいつの種だ。
「紅茶と一緒にどうぞ」
召使いの顔は、これはもう味見と称して食べた後だな。
一口食べたが、甘くて美味しい。くどくないしな。食感は普通のプティングよりもカボチャの食感がプラスになる分、少し面白い。
「な、なんだこれは!」
カルラが驚愕の表情で固まる。うん、わかるよ。うまいよな。
「これは、想像以上だな……」
「でも作るのは簡単だぞ」
「そ、そうなのか? ううむ……」
カルラが何かを悩んでいる。嫌な予感しかしないな。
「今度、うちの料理人に教えてやってくれないか」
「え、いいけど……いや、それなら他国から菓子職人を召し抱えたほうが」
「いや、すぐ食べたいからな」
照れ臭そうに微笑むカルラは、美貌も相まってどこか危険な香りがする。
「じゃあまあ、機会があれば」
おしゃべりの間に、ローストチキンはいい感じで焼きあがったようだ。
もういい時間だし、このまま夕飯にしてもいいかもな。
「食べていくだろ?」
カルラに確認すると、これまた恥ずかしそうに頷いた。
しかし、こういう反応を見るに、普段どんなものを食べてるのか想像したくもないな。
ローストチキンは好評だった。というか、少しは余るかと思ったんだが、そんなことはなかった。
まあ、カルラは騎士だしな。いわゆる普通のお姫様より大食いなんだろう。次はもう少し多めに作ろうか。
だが、俺はわかっていなかった。
カルラが言っていた、「胃袋を掴む」ことの本当の恐ろしさを。