決定された無価値
右手に手にしているのは《エンド・ブレイド》。昨日手に入れたばかりの、そしてまだ世界にシューノただひとりしか手にしていない最強装備。アイテムレベル450のその大剣は、アイテムレベル60のローブしか纏っていない《黒魔道士》などまるで空気も同然の手ごたえで切り裂いた。
殺すつもりなんてなかった。ただ、詠唱を止めるためにダメージを与えるだけのつもりだった。相手の力量を図り間違えていたのだ。まさか、こんなにも弱いとは思わなかった。
人を殺してしまった。取り返しのつかないことをしてしまった、それは分かっているのに、心は小動もしない。あまり不思議には思わなかった。どんなに衝撃的な体験でも、二回目からは色褪せてしまうもの。彼は、二人目だった。
両断された体から血は出ない。陽射しに溶けてゆく風花のように、切断面から徐々に死体は消えて行く。それはゲームと同じ光景だったが、背景がリアルな分だけ嘘くさく、そのエフェクトが凄惨な事態をつくろう誤魔化しなのだということを強く認識させた。
どすっ、と背後に物音。
振り返ると、水緋が床にしりもちをついていた。その表情は蒼白で、破裂しそうなほど見開かれた眼は一心に死体を凝視している。
水緋の後ろには同じく、多くの人間が恐怖の表情を浮かべている。体育会系の屈強な男から、定年間際の老教諭まで。手に手に武器をもっていることから、ある程度のことは覚悟して来ていたのだろうが、誰もこの光景は予想できていなかったようだ。
すでに、ローブの男が殺した生徒は気化して見えなくなってしまっている。だから、彼らが認識できた事実はただ一つつだけだろう。すなわち、何かのコスプレのような黒コートを羽織った男が、生徒一人を惨殺した。
事態を呑みこんだ後、彼らは動き出す。悲鳴をあげて逃げるもの、武器を構えて威嚇するもの、どちらも恐怖という根源に根差した反応という点では同じだった。音が大きい。柊野の冷静な声は届かない。
自分には無理だ。この狂乱を抑えられるほどのカリスマは水緋にしかない。そう思って大きく口を開く。
「ねえさ――」
「人殺し!」
柊野の声をかき消すように水緋は叫ぶ。いや、かき消すようにではなく、かき消すために、だと気づく。殺人者の姉だと分かれば、自分も混乱の矢面に立たされるから。それくらいの判断は瞬時にやってのける人だ。水緋の眼は今や怒りに燃えていた。彼女からしたら柊野は、正当防衛でも人を殺すよりは殺された方が千倍もよかった。
不意に、涙がにじんだ。なにかがあれば彼女は、そして両親はそう判断するだろうということは予想していた。一族の基準には到底手の届かない出来の悪い子。私たちの邪魔にならない限りは別に生きていてもいいが、そうでないなら……。
それが決定的な事実にならないように、ずっと柊野は透明でいた。自分がなにかをしでかさなければ、まだ希望にすがれた。実は自分を要らない子どもだと思っているのはただの妄想にすぎなくて、身を挺してでも家族は僕を守ってくれる。そんな希望に。
箱を開ける前は、その中身はいかようでもありうる。ただし、それを開けてしまったが最後、全ては決定されてしまう。
「逃げよう、シューノ!」
凛花が手を引くも、足がまともに動かない。まるで宙に浮いているようだった。ちょうどさっきまでとは立場が逆だ。あるいは、一人がどうしようもないショック状態にあるとき、傍らの人間は冷静になってしまうものなのかもしれない。
「――殺すのよ!」
突然そんな声が耳に飛び込んでくる。
それはよく聞きなれた、声だった。
バットやモップなどの武器を持った男たちが、徐々に徐々に迫りくる。常軌を逸した興奮状態は、きっと姉が作り出したものだ。死体と殺人犯らしき男、集団心理が働くレベルの大人数といったお膳立てがあれば、彼女なら簡単に暴動状態を作り出せる。人を野獣にできる。
今、彼女が望むのは、被疑者死亡による事件の曖昧化。
――つまり俺の、死。
先頭の男たちが、雄叫びとともに武器を振り上げた。瞬時に自分の中に生きる理由を探したが、思いあたらない。このまま殺されても良かった―― 自分だけなら。
死ねない理由は、すぐそばにいる。
「ふぇ!?」
凛花の体を抱きかかえ、窓ガラスに飛び込む。盛大な破砕音を響かせガラスを破り、校舎の中庭に着地した。二階から人を一人抱えて飛び降りたというのに、一切のダメージを感じない。身体能力はやはり、シューノのそれになっている。
「秋人!」
頭上から水緋の声が降ってくるも、振り返らずそのまま走った。今はできるだけ遠く彼女から離れたい。彼女の声を聴けば、顔を見れば、怒りと悲しみに満ちたどす黒い感情がこみ上げてくる。
偽らぬ思いを言うなら、水緋を殺したかった。生まれてからこれまで最も強く想った感情かもしれないほど、そう思う。
そしてそんな自分が、怖かった。
「泣かないで……」
ふっ、と頬に冷たい手が差し伸べられる。凛花の声を聞いて、初めて自分が泣いていることに気付いた。
お読みいただき感謝です♪