トゥーランドット②
声を掛けると、荒い息を吐きながら彼女は顔を上げた。振り絞った声で叫ぶ。
「逃げて! まだ――」
カテドラルの上階から、エーリエルに向かって走る影がある。自分と同じ顔、同じ装備、《シューノ・ゴースト》だ。一直線に標的に向かっていくその手には、防御を完全に捨てた大剣二刀流。自身が攻撃手段を持たないエーリエルに対しては最適解だろうが、今は他にも敵がいることが見えていないのか。あの位置からでは到底間に合わないと踏んでいるのか。
――だとしたら、随分となめられたな。
高所からの落下エネルギーを加えた一撃は確かに威力を増すが、自身もその加速に乗っている分、被ダメージも大きくなる。時速百キロの車にぶつかるのと、時速百キロで車にぶつかるのとでは同じことだ。いち早くエーリエルの側についたシューノは両手に大鎚を現した。待ち構え、インパクトゾーンに入ったと同時にフルスイング。直撃を受けた《シューノ・ゴースト》はバラバラに爆散した。
「シューノ……」
「ああ、大丈夫。俺は本物だ……と言っても信じられないよな。何か証明できる方法があればいいんだけど……」
「いえ」
きっぱりと彼女は言った。
「そんなことはありません。分かります」
エーリエルは微笑んで片手を差し出した。
「よく来てくれました……ありがとうございます」
「……それはこっちのセリフだ」
シューノはエーリエルの手を両手で包んだ。
「ありがとう……エーリエル。君のおかげで、本当に助かった……」
跪いてしまいたい気分だった。彼女がいなければ、今頃想像していた最悪の事態に直面していたに違いない。死体の山の上にただ一人立っている自分の影を見ていたら、きっと壊れてしまっていただろう。今度こそ自分の無力に潰れてしまったはずだ。エーリエルは命を、いや命よりももっと大事なものを救ってくれた。
「どうやって感謝したらいいんだろう。こんな気持ちになったのは初めてだ……。君のためなら、なんでもしたい」
「その嬉しいお言葉だけで十分に伝わりしたよ、シューノ」
「どうかな……。言葉でしか気持ちを伝えられないのは不便だね。この心を直に渡せたらいいのに」
「ええ。それはわたくしも本当にそう思いますわ。……シューノは詩人ですのね」
「茶化さないでくれ……」
瞳を通して伝わらないものかと、シューノはエーリエルを見つめる。じっと見つめ返してくれる彼女の瞳には、優しい色が宿っていた。
そんな時。
「……あのさ」凜花が割って入ってきた。「とりあえず手ぇ握りすぎ」
どん、とシューノを押しのけて凜花はエーリエルの肩に手を置く。《ヒーリング》が発動し、エーリエルの危険域にあったHPが全快する。
「貴女にも感謝を」
「いえいえ、うちのシューノのそっくりさんがご迷惑をお掛けして。……MPの方も回復できたらいいんだけど、ちょっと手持ちにエーテルがないの」
「ああ、それについてはお気になさらず。どのみちエーテルを使用しても、わたくしのマジックポイントは、ほんの少ししか回復しないので」
「え、《メガエーテル》でも全快しないの!?」
エーリエルは小首を傾げて言う。
「えーと……それだと百分の一程度でしょうか」
「どんなキャパしてるのよ聖女様……あなたのMPは宇宙だね。だとすると、睡眠をとるしか方法はないの?」
「はい。ですからあの……今実は困っています。眠らせたみなさんをお起こしして、また喧嘩が始まってしまうともう止められないんです」
「あー」凜花は少しニヤついて。「だってさ、困ってるって、シューノ」
「なんなんだよその目は……」
「『君のためならなんでもしたい』でしょ? 好感度あげるチャンスだよ」
「そういう意味でいったんじゃないってば……」
「あらあら、それは残念ですわ」
「エーリエルまで……」
「うふふ、ごめんなさい」
「聖女様、意外とノッてくれる人なんだね」
エーリエルは照れくさそうに笑った。
「わたくしも、本当は全然聖女様なんかじゃないんです。ただのゲーム好きの女で、リアルでは本当に目立たない、つまらない奴で……。PKKギルドのリーダーなんかをやりだす前は、普通にこのくらいの少人数でダンジョンに潜ったり、フィールドで辻ヒールをして、ありがとうって言ってもらって嬉しくなって……」
エーリエルの声はしだいに小さくなっていった。
「本当、どうしてこんなことになってしまったんでしょう……」
「君は……」
シューノは重大な誤解があったことに、今更ながら気づいた。
シューノにとってまず彼女は、巨大PKKギルドを束ねる凄腕のヒーラーであり、強大な敵、《デッドレイズ》だった。そして世界がおかしくなって、再会した彼女は東京に唯一安全な聖域を創りだした聖女。そしてその側で戦うなら自分を無敵にしてくれる絶対の《ペインキラー》だった。そのどんな時でも彼女は人間離れして見えていて、知らないうちに信じこんでいてしまったのだ。彼女は自分達とは根本からして違う、聖なるなにかなのだと。
笑ってしまう。そんなことはありえないのだと、今更になって気づくなんて。
「俺は……馬鹿だな」
収容限界を考えず、ただ難民を受け入れる彼女に苛立っていた。子どもみたいに、彼女が行う理想主義が過ぎる政策に不満を言っていた。言っていただけだった。
なんて馬鹿だったんだろう。できるわけがないのだ。専門の教育を受けたわけでもない、ただの一人の人間に、いきなり政治なんて。
下から仰ぎ見るのではなくて、共に考えてあげるべきだった。後ろからついていくのではなくて、横を並んで歩いてあげるべきだったんだ……。
「どうしたんですか……シューノ?」
うつむいていた彼女を思わず抱きしめると、彼女は少し驚いたような声をあげた。
「俺なりの宣言だよ。もう俺は君を、聖女だなんて思わない。普通の一人の女の子なんだって、ちゃんと捉える。だからこれからは――一緒に頑張っていこう」
「……ふふ」
エーリエルは笑った。くすぐったい吐息が胸にかかる。
「エーリエル?」
「ふつうの女の子だったら貴方をぶちますよ。いきなり抱きしめられて……」
「おわ、ごめん!」
慌てて身を離すがしかし、エーリエルは怒っているわけではないようだった。悪戯っぽく微笑んだ後、自分から身を寄せてくる。
「ふふ、ふつうの女の子だったらそうすると思うのですが――どうもわたくしは、へんな女の子のようですね」
「……そっか」シューノは改めて、彼女の背中に手を回す。「それはよかった」
「……わたしもあなたのこともう聖女様だなんて思わない」
なぜか凜花は、こちらを睨みつけるように見ていた。
「正しく認識することにするよ……ライバルとしてね、エルエル」
「ふふふ……お手柔らかにお願いしますわ」
「あはは」
なにか不穏な空気を感じずにはいられないものの、そこにある空気は今までにはないものだった。和やかで、楽しい、仲の良いパーティに流れる優しい空気。
この空気がもっと広がればいいと思った。いや……そんな風に他人任せにするのではなく、自分がこの世界を変えていくのだ、とシューノは決意した。なにせこの世には、神も天使もいないのだから。
彼女がずっと今のような顔をしていられるように、この手で。
ぱち、ぱち、ぱち……。
どこからか、散発的な拍手の音が聞こえてきた。
「感動的な光景だね。ただ先輩として忠告するなら、せいぜい裏切られないように気をつけることだよ」
――上だ。
大聖堂の壁面に備え付けられた雨樋いの上に、シスイが立っている。見下ろすその眼は、深海の底にまで繋がっているように深く、暗い。
この世には神も天使もいない。だとしたら、悪魔はどうなのだろう
(つづく)
お読み頂き感謝です♪




