第三話
それでも彼はきっと、いいえ、間違えなく私を絶望の底へ落とす者だわ。
私から全てを奪った香山の軍師。冷徹な瞳は何もかもを射抜いてしまうようで、剣よりもずっと鋭利な武器に思えた。
こんな最低な男に、美しさなんて感じる訳がないじゃない。
「ふふっ、脱獄するなんて、恐ろしい方々です」
口では恐ろしいなどと言いながらも、彼はこの状況を楽しんでいるように見えた。
周りに護衛を付けている様子もないし、今は確かに目の前にいるのだから、やろうと思えば攻撃を当てることだって出来るのよ。
圧倒的な力の差を考えれば、香山の軍に私たちは屈服する他ない。
だけどこの場で彼を殺してしまうことは、十分に出来るでしょうね。
あんな細く弱々しい体ならば、私だって力尽くで殺せるんじゃないかしら。
「ここでボクを殺すのですか? あっはは、そうしたいのならどうぞ、そうすれば良いでしょう」
私は抑えていたのだけれど、美咲はそうではなかったらしく、剣を抜くと翔に向かってその先を向ける。
こういうときの美咲の迫力は凄いもので、その標的とされたら蛇に睨まれた蛙のようなものよ。
耐えられるとは思えないわ。隣で見ていても、私はそう思う。
しかし翔は全く動じることもなく、微笑みながら、あろうことかそんなことを返してきたのである。
「殺したいならば殺せば良いではありませんか。何を躊躇っていらっしゃるのです? ボクを恨んでいないとでも仰るのでしょうかね。ふふふっ、ふはっ、甘えん坊で臆病者なだけでしょうか」
何か罠でも仕掛けてあるというのかしら。
どうやって? どんな? 彼は何を考えているのかしら、想像も出来なかった。
何もないんだとしたら、こんな挑発をするようなことは言わないわよね。
無駄に相手を挑発するなんて、絶対にしそうもないもの。
困り果てて父上の方を見るけれど、父上も小さく唸りながら翔を睨み付けている。
「ほらほら、いらっしゃいませ。ご安心下さい。見た目からも分かるでしょうが、ボクは力もありませんから、反撃なんて出来ません。襲い掛かれば、簡単に殺すことが出来ましょう」
余裕の表情でそんなことを言うものだから、さすがの美咲も襲い掛かれずにいるらしい。
頭が悪くはないのだけれど、彼女は感情に任せていきかねないと思っていたので、とりあえず美咲も警戒をしていることに安心する。
警戒心だなんて、そんな概念を持っていたのね。
ただ、反対にそれが策だという可能性もありえるわ。
本当は何もないのだけれど、何かあるような顔をして惑わせているのよ。




