第一話
「ボクの名前は吉田翔、ご存じではありませんか? 雪絵さん」
どこにいるのか分からないので四方八方を警戒心剥き出しで睨み付けながらも、私は再び聞こえて来た美しい声に耳を澄ませた。
高く美しいその声は、儚く消え行ってしまいそうで聴き取るのが困難でもあった。
まず、吉田翔と言うその名前に驚いた。そしてその後、彼が発した雪絵さんと言うその名前にも驚いた。
外のことを何も知らない私も、翔と言う軍師のことは知っているわ。戦争のことや敵国のことは何も言ってくれなかった父上だけれど、唯一彼のことだけは語ってくれた。
超が付くほどの天才軍師。
その智略もさることながら、果てしなく女性のようで美しい青年だと聞いているわ。
また、味方に対しても全くの容赦をしないと聞いているわ。若さのわりに世界を知り、甘さも完全に捨て去ってしまっているような性格らしい。
どのようにして対抗していいものか分からない。
そこまで父上が称える青年に、私が勝てると言うんだろうか。
ただ意外なのは、彼の方も私を知っていてくれたと言うこと。
「何何? ゆきたん知り合いなの?」
暢気なのかそれを演じているのか、美咲は笑顔でそう問い掛けてきた。
隣で笑っている明に関しては、演じているとかではなく普通に笑顔を浮かべているんじゃないかって思うけどね。失礼だろうけど、何も考えてないんじゃないかしら。
一方凛は、いつも通りの無表情である。
彼女も何を考えているのかさっぱり分からないわね。
「美咲をお願い」
凛の耳元で小さくそう言うと、私は再び翔の姿を探した。
声が聞こえる向きを考えるに、上。そんなのありえる筈がないのに、上から声が聞こえて来ているんだわ。
「明、揺らせ」
それだけでは、残念ながら明には伝わらなかったらしいわ。翔に少しでも情報を与えないよう声を小さくし、言葉も少なくしているわ。
ただ凛ならばそれで伝わるけれど、明には無理だったみたい。
共に日々学び合ったのは凛なのだし、昔から共に日々を過ごしているのは美咲である。
大切な存在にもうなっているけれど、明とはまだ意思疎通も出来ない関係なんだわ。
性別の違いや、明が馬鹿だから。なんて、そんなところも伝わらなかった理由にはあるのかもしれないけどね。
「翔、貴男のことはよく知っています。父上が天才軍師がいる、と褒め称えていましたから」
この程度で父上を天才と唸らせる軍師を、それほどの存在を惑わせるとは思わないわ。
しかし私の声に惑わされることがないとしても、私の声が耳に入ってさえいれば、明に説明をしている凛の声が聞こえなくなると思ってね。




