己のために 三
「突然、大きな声を出してしまい、申し訳ございません。そろそろ、ボクも部屋に戻ると致します」
震える声で静かに告げると、小さく寂しそうな背中を向けて、とぼとぼと翔は去って行こうとする。
それを私が引き留めて、慰めてあげなくちゃいけないんだと、心で感じた。
そう思えてしまって、仕方がなくて、そうしなくちゃいけないと心が強く叫ぶ度、私は苦しくて堪らなくなった。
だって私にとっては美咲が全てであり、翔はその美咲を傷付けた相手なのだから。
彼を憎まなければならないのだと、何度も私は私に繰り返した。
彼の憎いところを、何度も何度も何度も何度も、私は繰り返し続けたわ。
けれどもどうしても彼を憎みきれず、それどころか、彼の誘いに喜びを感じてしまった。
そんな私が彼を引き留めたところで、反対に彼を傷付けるだけだろう。それに、大切な美咲を、裏切ることにもなりかねない。
どうしたら良いか分からなくて、私は、去り行く翔の後ろ姿を眺めることしか出来なくて……。
「ごめんなさい」
相手が誰かも知れないままに、私は謝罪を零していた。
彼の行為を跳ね除けることしか出来ず、自分が臆病であることを、大切な人のせいにして、完璧だった私の影はもう見えなくなっているようで。
私は謝ることしか出来なくなっていた。
きっと美咲たちならば、すぐに私を助けてくれると思う。
確実にそうしてくれる人たちだし、確実にそうすることが出来る人たちでもあるから。優しさも優秀さも、私は知っている、信じている。
私が心に迷いを抱いてしまったことが、伝わってしまわないかと、不安になるくらいに鋭いこともを知っている。
どうしたら良いの? 私は、どうするべきなの?
自分で考える力もなくなっているのか、私は一人、空に向かって問い掛けてしまっていた。
やはり私の優秀さというのは、井の中の蛙でしかない、自惚れ野郎だったのかな。
ネガティブなのは嫌いだけれども、そんな考えしか湧いてこないのだから、自己嫌悪に陥りそうになる。反対、かもしれないけれど。
自己嫌悪による、ネガティブ志向の芽生えという考え方も出来るからね。
しかしどうして私がこんなにも悩み迷い、ネガティブにならなければならないというのだろう。
それは翔に抱く私の感情の意味が読み取れないからだと思う。
分からない。分からない。何も、何もかもが分からなくて、……怖い。
私をここから救い出してくれるのは誰なのだろうか?
自分で抜け出さなければいけないというのか。それとも、いつものように、愛らしい笑顔で美咲が助けに来てくれるのか。それとも、それとも、翔が新しい世界へと導いてくれるのか。
期待しているものも分からないものだから、訪れるべく未来へ募るのは、どうしても不安ばかりになっているのだった。