12 誰かの王国(6)
坂本良司は、シャワー上がりの濡髪のまま、学ランの前開きボタンを全開にし、袖を肘までまくりあげ、相変わらず乱れた格好をしていた。
部活が終わったのだ。彼は目をぱちぱちと瞬かせながら部屋に入ってきて、塔子、柊一とともに、肩をならべてソファに腰かけた。
「……いったい何の話ですか」
勘がするどい。部屋に満ちた妙な雰囲気をすぐに感じ取った彼は、おそるおそるといったように声をあげた。
「まあね」。榊葉がわらい、塔子、柊一を見やる。
「ちょうど話し終わったところなんだよね。くわしくはふたりから聞いてくれ」
「……はあ」
良司はとなりの柊一を飛び越えて、塔子にまなざしをよこした。怪訝な顔つきで小首をかしげる。ハッとした塔子は露骨に目をそらしてしまい、われに返って顔を赤らめた。良司の顔を見ないまま、かすかにうなずいてみせる。あとで話す、という意だが、伝わったかどうかはわからなかった。
榊葉が片眉を跳ね上げる。
「一年生がそろったわね」
おっとりと荒巻志津香が微笑んだ。
「どう、獅子探しは順調かしら?」
ふいに水を向けられ、塔子は一瞬真っ白になった。
「ええと」
「推理はどこまで進んでいるの? 聞かせてちょうだい」
やわらかな笑顔で身をのりだす。ハーフアップにした彼女の長い横髪が、はらりと肩からすべる。
塔子はどきどきしながら志津香を見た。
榊葉がおもむろに立ち上がり、ティーカップを持ってくる。志津香が手にしていたティーポットをそっと引き取ると、そこから紅茶をカップに注いだ。慣れた手つきで良司にさしだす。
良司は恐縮しきりで受け取った。
志津香がにっこりとわらう。
塔子はしばし黙考し、こわごわ口を開いた。
「……“獅子”と疑わしい人は、たぶん、だいぶ絞られたと思います」
獅子候補の七人。
執行部会長・三年、榊葉直哉。
副会長・三年、荒巻志津香。
準役員・三年、今井彼方。
同じく準役員・三年、仁科壮平。
役員書記・二年、佐伯千歳。
役員会計・二年、瀬戸史信。
クラブ連合会総長・三年、高橋一樹。
このうちのだれかが、獅子だ。
「――まず、榊葉会長と、荒巻副会長、そして佐伯先輩の三人は、獅子ではありません」
塔子はくちびるを湿した。
――入寮式。そのトンネル通過儀式のさなか。塔子は闇のなかで、何者かに肩を三回叩かれた。
肩を叩いたのは学園の王――獅子だった。獅子はその行為によって、塔子を次代獅子に指名したのだ。
獅子はだれか? 疑いのある七人のうちから獅子を探すときには、この出来事を逆説的に考えれば良い。
つまり、塔子がトンネルを通過するその時間に、トンネルにひそむことができた人物。塔子の肩を叩き、次代獅子に選ぶことができた人物が獅子だということだ。
執行部会長・榊葉直哉。
副会長・三年、荒巻志津香。
役員書記・二年、佐伯千歳。
この三人はその時間、執行部役員として入寮式の運営にたずさわっていた。塔子はみずからの目で彼らのアリバイを確認している。
獅子としてトンネルに潜み塔子を待ちかまえることが、三人は物理的に不可能だった。
――彼らは獅子ではない。
ゆっくりと志津香がうなずく。
「そうね、このまえのお茶会のときに、そこまでしぼりこめたわね」
塔子が首肯した。
のこる候補者は四人。
準役員・三年、今井彼方。
同じく準役員・三年、仁科壮平。
役員会計・二年、瀬戸史信。
クラブ連合会総長・三年、高橋一樹。
「そこから進展はあったのかしら?」
志津香のやわらかな問いに、塔子は目をあげた。「はい」と、か細い声で返す。
「昨日の部室点検のときに……三人ですこし調べてみたんです」
とたん紗也加の顔が思い出された。胸がぎゅっと痛むが、志津香から目を離さないよう努める。
良司、柊一が黙して聞いている。
「仁科先輩は、アリバイが証明されました。入寮式の夜は、柔道部の部員たちとずっと一緒にいたと……それは本当のことでした」
ほかの柔道部の部員に聞き込みをして、裏を取ることができた。
「仁科先輩は、獅子ではありません」
志津香が微笑んだ。榊葉が口の端をあげる。
「そう。すると……のこるは三人の候補者ね」
準役員・三年、今井彼方。
役員会計・二年、瀬戸史信。
クラブ連合会総長・三年、高橋一樹。
「――三人のアリバイについても、聞き込みをしました」
塔子は声を押しだした。
「今井先輩と瀬戸先輩については、目撃証言はありませんでした」
入寮式の夜。塔子がトンネル通過をしていたその時間。
今井彼方は、校内の中央広場でクスノキの写真を撮影し、じきに宿舎に帰ったという。
瀬戸史信は、一年男子のトンネル通過儀式の立ち合いを終え、緑の館にいたという。
そのふたりを見た者は、いまのところだれもいない。
志津香と榊葉が相槌を打つ。
塔子はふたりの様子をじっと見つめ、そしてまた口を開いた。
「そして、高橋先輩については――」
塔子はふたりの様子をじっと見つめた。
「アリバイが嘘であることがわかりました」
「嘘?」。榊葉だ。
塔子はゆっくりうなずいた。
入寮式の同時刻、高橋一樹は校内にある鷺沢池にいたと打ち明けた。そこで恋人の三年・バスケットボール部所属の相沢奈保と一緒にいたという。
さっそく塔子・良司・柊一は相沢奈保に会いに行き、一樹のアリバイを確認したが、結果は思わぬものだった。
相沢奈保は、鷺沢池にも行っていず、一樹と一緒にいなかったと、そう証言したのだ。
それどころか、彼女は一樹に入寮式を一緒に見学しようと誘ったが、彼は宿舎で過ごすと言って断ったらしい。
一樹のアリバイは、まったくの偽りだった。
「“獅子は一回嘘をつく”。嘘をついて、次代獅子の捜索から逃げる、でしたよね」
柊一は志津香に向かい、念を押した。
「わかりやすい嘘だ。これで獅子はだれか、決まったような気がするけど」
良司が口を挟む。
塔子は両手を握りこんだ。
――本当に、わかりやすい嘘だ。
高橋先輩が獅子?
はたしてそうだろうか?
「篠崎さんの考えは?」
志津香が塔子に顔を向けた。おだやかな薄茶の瞳。
塔子は目をあげて志津香を見返した。手をもみしぼって、小さく口を開く。
「わたしの考えは……」
柊一を見、良司を見、そして榊葉を見やる。三人が塔子にまなざしを注いでいる。
「わたしは」。塔子は姿勢を正した。
「高橋先輩は、獅子じゃないような気がしています」
「え?」
良司が目を丸くした。
「どういうこと、とーこさん」
塔子は肩をすくめる。
「高橋先輩が獅子だって、考えてみたんだけど……どうにもしっくりこなくて」
「つまり?」
柊一だ。意外そうな顔つきで身を乗り出す。
場にいる全員が食い入るようにこちらを見つめている。塔子は顔を赤らめた。
「つまり……高橋先輩は、別の嘘をついている、と」
そう、思うんです。
尻すぼみに声が小さくなる。
座が静まりかえった。ぽかんとした空気が流れる。塔子はいっそう恥ずかしくなってうつむいた。
「……どうしてそう思うの?」
志津香が尋ねる。つとめてゆっくりとした口調。
「そうだよ、どうして?」
良司が加勢した。榊葉と柊一は押し黙り、しかし返答をじっと待っている。
塔子はくちびるを湿した。
「その……」
「お邪魔しまあす」
唐突にのんきな声が玄関から響き渡った。じきにバタバタと大きな足音がこちらに近づき、勢いよく活動室のドアが開かれる。榊葉がやれやれと肩をすくめた。
「やあ、みなさんおそろいで」
話題の人物、だれあろう高橋一樹だった。
遠慮なく部屋に踏み込み、座にいる塔子らを見回してにっかりとわらう。
「なに、深刻そうな顔して。なんの話?」
一瞬、みな言葉に詰まると、一樹は目をぱちぱちと瞬かせた。
「まあいいけど。それより榊葉、階上に行こう」
榊葉の顔つきがかわった。
「……けりはついたんじゃ?」
「まだあるさ。いくらでも」
一樹が口の端をあげ、榊葉が息をつく。
「せっかく、いいところだったんだけど」
榊葉が志津香を向く。志津香は小さく笑んでうなずいた。それを見て取った彼は、今度は塔子に向き直る。
「篠崎さん。いい機会かもね」
「え?」
「おれと一樹は話をしてくるけど、そんなに長くはかからないはずだから――」
耳元に顔を寄せてくる。
「話が終わったら、一樹に問いただしてみるといい」
目を見開いた塔子に、榊葉はうなずいた。
「一樹は獅子じゃないと思うんだろう? そう思う理由を本人にぶつけてみればいい。どんな反応をするか、試してみたらいいさ」
きみの推理ができているのなら。




