15 三つの質問(6)
志津香は優雅に小首を傾けた。
ぽかんとして見守る面々に気づくと、くすりとわらう。
「そんなに意外?」
「うん」
一樹が素直にうなずくので、また志津香が笑む。
「わたし――」
彼女はそっとカップをラグに置いた。顔を上げる。
「――みんなが思っているほどいい人間じゃないの。どうしようもないところだって沢山あるわ。“お姉さま”なんて呼ばれることに、いつもひどい違和感を抱いている。当然でしょう? わたしもただの女子高生なんだから」
座が静まった。
「直哉と仲良くなったのは、そんな風にふてくされていたとき。はじめてちゃんと話す機会があってね。似てる、と思ったわ。わらい方が」
「わらい方?」
眉をあげる壮平に、志津香はうなずいた。
「口の端でわらったあと、一瞬真顔になるの。――そういうわらい方」
みなが息を呑む。
塔子が思わず榊葉を見やれば、彼は淡々と紅茶をすすっている。
志津香はさらに笑んだ。
「意外かしら? でも、そういう表情をするときの心境は、わたしも身をもって知っていたから。だから自分と似ているって思った。もしかして、この人ならわたしを分かってくれるのかもしれない、分かり合えるかもしれないって、ふと思ったの。それが、きっかけ……」
やわらかな声が夜のしじまに溶けていく。
志津香はおだやかに皆を見回した。
「暗い話かしら?」
苦笑する。
「でも、ほんとうにそうだったのよ」
ランタンが揺れている。
やおら榊葉がのっそりと体勢を立て直した。
「ずいぶん率直なんだね、今日は」
優しい声音。志津香が肩をすくめる。
「特別なお茶会ですもの」
「つまり?」
「……不公平でしょう。なにもかも秘密ばかりじゃ。答えられることくらい、誠実に答えなくては」
――ね。
ふわりと視線を向けられ、塔子はびくりとした。
「不公平、ね」
榊葉が大きく息をつく。塔子をちらと見て、また彼女に目を戻す。
「……ほんとうに、きみはフェアなひとだよ」
「そうかしら」
「そうだよ。そして、自分を過小評価しがちだ」
きょとんとする志津香に、彼はわらった。笑みを収めたあとも、その顔つきは柔和そのもので、真顔ではなかった。
「……いまはそうでもないよ」
榊葉はさっぱりした顔で、全員を見渡した。
「そんな暗くはないよ。志津香もおれも。みんなもわかるだろう?」
ランタンの橙の明かりが、彼の彫りの深い顔に濃い陰影をつけている。
おっかなびっくりで聞いていた座の面々が、しかししっかりとうなずいた。
「だろう? だから安心して。――ひとは変わる。おれに関して言えば、とても変わったと思う。でも……じつのところ志津香はそうじゃない。変わったというわけじゃない」
困ったようにわらう。
「あの頃の志津香は、ただ弱っていただけだ。だから、おれと似た者同士なんて、そんなことはまったくないんだ」
「でも」
――志津香。
榊葉はわずかに身を乗り出し、明かりの下に出た。やわらかに彼女を見つめる。
「きみはいい人間だ。そんなきみに、おれがすかさず付け込んだ。ただそれだけなんだ」
「直哉」
「――つまり」
志津香と一樹の声が重なった。
彼らは互いの様子を見合い、やがて思いきったように、一樹が先に口をひらいた。
「――つまりさ、榊葉っていう悪党が、いたいけな美少女を籠絡した? それが真相ってこと?」
然りと榊葉が大きくうなずいた。
「そうそう」
「……それなら、おおいに納得だけどさ」
一樹が肩をすくめる。
全員が戸惑ったように顔を見合わせた。
「ちがう」
ため息を吐き出したのは志津香だった。
「悪ぶるのはやめて、直哉」
「本当のことだろ」
榊葉が眉をあげる。
「そうじゃないわ」
「そうだよ」
「そうやって甘やかす」
「そんなことしていない」
「フェアでいたいの」
「公平じゃないか、きみはずっと」
志津香は首をふった。
「……だまされてなんかいないわ。そんなことない」
彼女のまなざしがつよくなる。鳶色の瞳が榊葉を射る。
「あなたを選んだのは」
にらみ据える。
「このわたしだもの」
一拍。
長い間だった。
最初に動いたのは彼方だった。
す、とカメラを手に取り、榊葉と志津香に向ける。そしておもむろにシャッターを切った。間を置かず、三回、四回と切る。
それが現実にもどる合図となった。
壮平がこらえきれなくなったように背をうしろに倒す。
「――それで? 結局どういうこと?」
「……見たまんまだろ」
渋い顔で一樹が応じる。
塔子はおどおどと視線をさまよわせた。頬がみるみるうちに紅潮する。
両隣の良司と柊一が気まずげに身じろぎしている。千歳でさえも頬に朱を散らしている。
史信はといえば、ニヤニヤとわらって指笛まで吹いてみせた。
彼方がまたくすりと笑む。カメラを持ち上げ、断りもなくふたりを撮影する。志津香は自覚して頬を染めたが、榊葉は飄々としたものだった。堂々と笑みまで浮かべる始末である。
彼方がなおもシャッターを切り、それがゴシップ誌の記者のようなので、やがてさざめくようなわらいが起きた。
さらさらと銀杏が鳴る。
ランタンが、ほっこりとあたたかい灯りを落としている。
もう――。と一樹が嘆息した。
「――ただの質問でこんなにあてられるとは。やってらんないよ、まったく」
拗ねた顔をする。そして観念したように、苦笑いを浮かべる。
またみながわらった。安堵を含んだわらい声だった。
さざめきのなか、志津香がそっと榊葉に紅潮した顔を向ける。うつくしい面ざし。彼がそれに気づいて、すぐに微笑む。
たまたま見てしまった塔子は、さらに顔を赤らめることになった。
榊葉の表情は優しくて、胸苦しくなるほどで、塔子がまだ分からない感情に満ち満ちていたから。
【7】荒巻志津香 → 仁科壮平
「仁科壮平くん。三年三組。執行部では準役員ね」
志津香がにこやかに紹介する。
「柔道部主将でね、県大会ではベスト4。とても強いわ」
「坂本のあとに強いって言われてもなあ」
壮平が大らかにわらう。良司は全国級なので、格が違うと言いたいのだろう。
「そう言われてるってだけですよ」
クッキーを口に含んで良司が眉をあげる。
「――ご覧のとおり、仁科くんって体格も大きいし、堂々としてる。その外見のとおり、泰然としてて、どんなときもあたたかく大らかな態度で接してくれるの。信頼できるひとだわ。それってとてもすごいことだと思うのよ」
史信が得心したようにうなずく。
「十代なんて、ゆらゆら揺れ動くもの。不安定で、地に足がつかないものなのに――」
だれの引用なのよ、と千歳が茶々を入れる。彼はそれにふとわらって、話を続ける。
「だれの引用だろうといいじゃない――。本当に先輩はいつでもどっしりと構えて、不安定な姿を見せないんだ。それって本当に安心できるし、頼もしい。だから柔道部の部員だけじゃなく、多くのひとから慕われている。正真正銘の大人物。器が広いんだ。だから――」
笑む。
「おれは仁科先輩を尊敬している。とても尊敬しているんです」
すこし間が空いた。
「驚いた」。壮平がかすかに声をあげる。
「まさか瀬戸がそんなことを言ってくれるなんて……」
「よく言われているでしょ」。史信がまぜっかえす。
刈り上げた頭をがりがりと掻き、壮平ははにかんだ。
おだやかな空気が流れる。
面々の表情は、壮平への好意的な気持ちにあふれている。
――先輩はすごい。
塔子は思った。
わたしは、自分を保つことでいっぱいいっぱいだっていうのに……。
胸がちりちりと痛む。
さやかに風が吹いている。
――入寮式の日、女子のトンネル通過儀式の間、どこにいましたか。
壮平はこともなげに言った。
「通過儀式のときには、ずっとトンネルの出口にいたよ」
――そこで何をしていましたか。
「トンネルから出てくる一年生を迎えて、労っていた」
端的に答える。
塔子は入寮式の光景を思いだした。トンネルの出口、かがり火の向こうに大勢の上級生が待ちかまえていた。そして出てくる一年生に声援や花吹雪をとばして、やんやと騒いでいた。
そこに壮平がいたとなれば、じつにあり得る光景である。
壮平はしばしあごを構い、そして思いだしわらいをした。
「昨年も思ったけど、あれって面白いんだよな……。
トンネルから出てくる一年生の表情を見るだけで、その人その人のひととなりがなんとなくわかる。
なぜか、平然としてるやつには魅力を感じないんだよなあ。どちらかといえば……がまんしている子。こわさや辛さをこらえて、それでも前を向いている子に魅力を感じる。
だからかな、そこで目をつけたやつに、つい部活勧誘をしてしまうな」
――あなたがそうしていたことを証明できるひとはいますか。
「いる」。壮平はうなずいた。
「柔道部の部員と一緒にいた。部の宣伝にと柔道着を着こんで、固まって立っていたよ。部員たちに訊いてみるといい。おれはずっと一緒にいたって、答えるはずだ」
にっかりとわらう。
塔子と良司は目を見合わせた。そっと柊一をうかがえば、彼もこちらを見つめる。無表情で、しかしわずかに首をふる。塔子は小さくうなずいた。
おそらく、壮平のアリバイは成立するだろう。
そう、思えた。




