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獅子の系譜  作者: 谷下 希
第3章 館の住人
20/58

2 陽春(2)


 銀杏の大木の先に、緑の館がある。

 その玄関先には、いま複数の生徒が集まっていた。



「なんだろう」

 先を行く良司がつぶやく。

 生徒たちの顔ぶれは、見知った同級生もいれば、そうでないひともいた。学年はバラバラで、とくに上級生は、友も連れずひとりで来る者が多かった。

 みな館に入ろうとはせず、なにかを確認すると、すぐに引き返していく。


「坂本」

 日に灼けた男子生徒がふたり、こちらに来る。

 良司は軽く手をあげてみせた。

「おまえも見に来たの?」

「何を?」

「え、ちがうんだ。――ああ、執行部様だもんな」

 塔子を見て、納得したように男子生徒が言う。やめろよ、と良司は簡単にいなした。

「で、なんなの」

「あれ」

 短髪の男子が親指でしめす。

 その先を追い、塔子はあっと小さく声をあげた。

「――なるほど」

 良司が感心した声をだす。


 彼が指し示したのは、緑の館の玄関扉だった。その木製の扉に、取り付けられたものがある。昨日まではなかったもの。今日取り付けたもの。

 風にひらひらと(ひるがえ)る、緑。



 ――緑の校旗がそこにあった。



『はたして伝言は(とどこお)りなく遂行されたのか? ――翌朝、審判がその判定を報告する』


 塔子は詩織の言葉を思い出した。


『緑の館の玄関扉に、緑の校旗がかかっていたら、わたしたち(・・・・・)の勝ち。王国は守られる。けれどもし、赤の校旗がかかっていたら。そのときはわたしたち(・・・・・)の負け』

 王国は終わる――。


 眼前の校旗は、緑。

 塔子は固唾をのんだ。


 ――昨日の伝言は成功したんだ。


「なんかふしぎな感じだな」

 良司があごに手をやる。

「まあ、そうだよな。昨日は生徒全員、緑だらけだったっていうのに、教員だってなにも気づかなかったんだから。成功するわけだよな」

「だな。――ということで、じゃあな」

 男子ふたりはあっさりと背を向けた。

「え、もう行くの」

「見たかっただけだから」

 ひらひらと手をふってみせる。


 さっさと去っていくふたりを見て、良司は苦笑した。塔子に顔を向ける。

「あいつら、同じ部でさ」

「……陸上部?」

「そう」

 仲が良いのだろうな、と塔子は思った。

 言葉少なな会話なのに、ぜんぶ通じている。


「――面白い伝統だよな」

 彼がしみじみとつぶやく。

 塔子はそれに応えることは出来なかった。


 沈んだ気持ちで、周りに集まる生徒へ視線をもどす。

 旗の色をたしかめると、帰っていく生徒たち。

 とくに上級生は、十秒足らずで確認し、そしてすぐに館を背にする。何も言わず表情も変えず、わざわざひとりでやって来て、そして去っていく。

 ぼんやりと眺め、塔子はハタとわれに返った。


「……変だ」

 ぽつりとつぶやく。良司は首をかしげた。

「え、なにが?」

 塔子は腕をかかえた。



 ――この反応、おかしい。



 ゲームの結果がわかったのに、しかも勝ったっていうのに。みんな、なんでこんなに冷静なんだろう。まるで興味がないみたいにみえる。それなのに――。


 

 なんで緑の館に来るんだろう。

 なぜわざわざ、結果を確認しに来るんだろう。


 

 深い濃緑の校旗が、威風堂々と(ひるがえ)る。

 春の風にあおられて、やわらかにはためく。

 その旗の中心に、校章の獅子がいる。しかしよくよく見ると、それは校章の本来のデザイン――向かい合う二頭の獅子――ではなかった。

 そこにいる獅子は、一頭だけだった。



 左向きに踊り上がる、金獅子。



 塔子はふと胸元を見やった。胸ポケットに留めている、校章の獅子。こちらも本来のデザインではない。一頭の獅子がいるだけだ。こちらは――



 右向きに躍り上がる、金獅子。



 ――入寮式の日、ふしぎに思っていた。

『この片割れの獅子は、いったいどこに消えてしまったのだろうか』と。

 うすら寒くなりながら、塔子は答えを得た気がした。




 ああ、そうか――。

 片割れの獅子は、ここにいたのか。







 *





「やあ、来たね」


 榊葉(さかきば)がのんびりと声をあげた。

「きみたちを待っていたんだ」


 白い格子窓から穏やかな陽光が射している。緑の館の一階、瀟洒なリビングルームを思わせるその部屋で、五人の役員が塔子らを待ち受けていた。

 会長である榊葉(さかきば)直哉(なおや)、副会長の荒巻(あらまき)志津香(しづか)鷹宮(たかみや)柊一(しゅういち)

 そして見知らぬ生徒が二人。革張りのソファに座りこちらを窺っている。


 塔子と良司はひっそりと目を見交わした。榊葉、荒巻をのぞく役員たちのまなざしは、けっして温かいものではない。異分子を迎え入れるときに生じる、独特の抵抗感が部屋に満ちていた。


「ようこそ、緑風会執行部へ。きみたちを歓迎する」


 ソファから立ち上がり、榊葉は笑みをつくる。おろおろと目を伏せた塔子に対して、良司は毅然(きぜん)と顔をあげた。

「違うんです」

 そうきっぱりと彼は告げる。


「今日来たのは、役員になるためじゃありません。辞退しに来たんです」


「……おやおや」

 榊葉は眉をはねあげた。

「それは篠崎さんもなの?」

「そうです。おれたちふたりです」

 良司が首肯する。塔子は口を開いては閉じた。何も知らない彼の手前、どう言えばいいかわからなくなる。

 榊葉のまっすぐな視線を感じて、さらに縮こまる。


「ふうん? 篠崎さんには、了解を取っていると思っていたんだけど」


「それは本当に彼女の意志ですか」

「きみは篠崎さんの保護者なの?」

 良司は鼻白んだ。

「他人事じゃないと思うからです。なんでおれや篠崎さんなんですか? 役員をやりたい人は、ほかに沢山いるっていうのに」

「きみたちが適任と思うからだよ」

 鷹揚に榊葉が返す。ソファを離れ、ゆっくりとこちらに近づいてくる。


 榊葉をのぞく役員たちは、なりゆきを静観していた。柊一などは塔子をひややかに見つめてくる。


 “この期に及んで、何を言っているのか。人の影に隠れて恥ずかしくないのか”

 ――いまにも彼の声が聞こえてきそうだった。


 塔子は、頬に血が集まるのを感じた。柊一の視線が、ほかのだれのものよりも突き刺さる。


「適任? だったらもっと穏便に説得すればいいのに――」

「穏便に運ぼうとしたさ。でもきみは逃げたろう」

 良司は少し詰まり、それでも反論した。 

「だからといって、強引に事を進めるのはどうかと思います」

「きみが子どもじみた真似をするから、こちらも同じ対応を取らせてもらっただけだけど」

 ああいえばこう言うとはこのことだった。


 榊葉はすっと前に進み出て、良司を見下ろした。良司も長身だが、榊葉は彼よりも背が高い。威圧され、明らかに良司はいらだった。

「ふざけないでください」

「ふざけてなどいないよ。きみは総司(そうじ)先輩とは違うなと思うだけ」

 良司が目を見開く。塔子はハッとして彼を見た。びり、と空気がふるえた気がした。

「……そうです」。歯を食いしばって良司は返した。



「――おれは兄貴じゃないし、兄貴の代わりもできない。だから嫌だと言っているんです」



 うなるような良司の声。

「わかってるよ」。榊葉が静かに応じた。

「それが問題なんだろう、坂本」

 落ち着き払った態度を見るに、良司を(あお)ったことは明白だった。


 でもね、と彼は続ける。

「きみを選んだのは、総司先輩の弟だからという理由だけじゃない。おれはきみを買っているんだ。きみが思うよりずっとね」

「うそだ」

「うそをつく理由がないだろう」

 良司は押し黙った。しばしの間のあと、低い声をだす。


「……おれのどこが。兄貴より、よっぽど劣っているのに」


 塔子は驚いて良司を見つめた。

 その沈んだ表情を、その感情の名を塔子はよく知っている。



 劣等感。

 良司にも劣等感があるのだ。



 いつも朗らかで自信にあふれている彼だから、そんな感情は抱かないだろうと思っていた。それがうらやましくて仕方がなかった。

 けれど違ったのだ。良司でさえも劣等感を抱くことがある――。それは衝撃の事実だった。


「比べる必要はないさ」

 榊葉が声をあげる。

「きみにはきみの良さがある。ふだんのきみは、それをよくわかっているはずだろう?」

「……」

 榊葉は少しの間彼を見つめ、そしてついとこちらに目をやった。目が合い、塔子はひどくうろたえた。

「――それとね、坂本。きみを選んだ理由はもうひとつあるんだ」

 え、と良司が怪訝(けげん)な顔をする。榊葉はにこりと笑み、塔子を見つめた。


「彼女――篠崎さんを手助けしてほしくてね」


「篠崎さんを?」

 心臓が跳ねる。塔子は呆然として榊葉を見返した。

 良司が眉をひそめる。

「そもそも篠崎さんは、役員になることを望んでいないでしょう」

「いいや、やるよ」

「だから彼女の意志じゃないって――」



「でも、彼女はやる。やらなければいけないから」



 榊葉はすこし寂しそうにわらう。

 良司はさらに顔をしかめ、塔子にふり向いた。



「どういうこと?」






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