表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獅子の系譜  作者: 谷下 希
第2章 獅子の娘
10/58

3 王国の夢(3)

 


「ひみつの王国をつくり、王を隠して。わたしたちはいったい何をしているのか? それはね――」

 塔子は耳をそばだてた。


「ゲームをしているの」


「いま、なんて」

「緑の王国の、ゲームをしている」


 落ち着いた声音で詩織はくりかえす。

 塔子は呆気にとられた。いままでの話が物々しかっただけに、その言葉の違和感は大きい。


「驚くでしょうね。でも、ゲームとしか言いようがない代物なのよ。王国は百年間、このゲームを続けている。だから、これこそ王国の真髄しんずい――もっとも重要なしきたりだといえるでしょう。なぜそれをするのか、理由はわからないけれどね。とても奇妙な内容なの」


 彼女は静かに続ける。




「誓約を終えた者が、このゲームの参加権を得るわ。緑の民になった以上、あなたもこれに参加しなければいけないの。だからよく聞いていて」




 ――緑の王国のゲーム。これは、王国を隠しとおす・・・・・・・・・・ゲームである。


 厳密には、仕掛けながら隠す、攻守のゲームだ。そこに王国があることを匂わせながら、それでいてその存在を悟らせないようにする。ある種のいたずらのようなゲームである。

 三つの身分がそれぞれの役割に則り、これをおこなうことになっている。



 獅子。

 緑の民。

 審判。

 ――この三役だ。



「審判?」

 塔子は早々に口を挟んでしまった。今までの話にはまったく出なかった身分だったので、驚いたのだ。

「そう。このゲームの判定者であり、調停者。緑風会執行部がつとめている」

 塔子はぽかんと口をあけた。

「執行部って、あの執行部ですか。榊葉さかきば会長のいる?」

「ええ」

「……判定者?」

「それに調停者。“親”とか、ゲームマスターって言えばいいかしら。もちろん表立っては言わないわ。王国のなかでだけ」

 二の句が継げないとはこのことだった。


 なんて、なんて学校だろう。


 詩織は真面目くさった顔で話を続ける。



 ――ゲームのルールはいたってシンプルである。


 それは“獅子の命令を実行する”こと。それも“絶対に・・・外部の人間に悟らせないようにやりとげる”ことである。


 獅子は命令する。ささいで謎めいたことを。

 緑の民は忠実に命令を実行する。


 これを審判が判定し、すべて秘密裏にやりとげることができれば、“王国”の勝ち。国は守られる。反対に、もし外部の者に見やぶられた場合は、“王国”の負け。審判はただちに伝統の終焉(しゅうえん)を宣言し、百年続いた王国は崩れさる。




「これがしきたりのすべて。外部の者とはもちろん、誓約をしていない人のことよ。教員や学校関係者、親兄弟だって含まれる」

 塔子はじっと黙り、やがてか細い声を発した。

「よく、わかりません」

 うまく想像ができない。

「それなら言いかえましょう」。詩織がうなずいた。



「――わたしたちはいつもどおりの生活を送っている。いつもどおりの朝、いつもどおりの学校、勉強、部活。いつもどおりの夜。そのなかで、たとえば授業中に、食事中に、おしゃべりをしているときに、歯磨きをしているときに。ふと聞こえてくるの」

「何が」

「伝言が」

「誰からの」

「獅子からの」


 塔子は身を縮めた。背筋が粟立った。


「獅子は姿を見せない王。だから命令はいつも伝言なの。独特な言い回しの、意味不明で、ささいな命令。それが生徒の間にひそやかに伝えられる。“校章をさかさまに着けてくること”や、“百葉箱に手紙を入れること”とか、ね」

 ぞくっと、また背筋が震えた。


「獅子の命令を聞いた翌日、わたしたちはそれを実行しなくてはいけない。なにげなく、だれにも気付かれないようにして、校章をさかさまにして、百葉箱を手紙で埋め尽くす。それすらもみんな知らないふりをして、わたしたちはいつもどおりの日常を過ごす。いつもどおりの朝、いつもどおりの学校、勉強、部活。いつもどおりの夜。そして朝が来る」


 すっと、詩織は塔子を見つめた。


「はたして命令は滞りなく遂行されたのか? 翌日の朝、審判がその判定を報告する。執行部の部室――緑の館の玄関扉に、緑の校旗がかかっていたら、わたしたちの勝ち。王国は守られる。けれどもし、赤の校旗がかかっていたら。そのときはわたしたちの負け」


「王国は終わる」

「そのとおり」

 詩織は口の端をあげた。



「これが、こんなしきたりが百年?」

 どっと疲れを感じ、塔子は床に手をやり重心をあずけた。

 対面する彼女はただ首肯している。

「いったいなぜ、こんなことを」


「わからないとはじめに言ったでしょう。緑の王国という伝統が、どうしてつくられたのか。本当のところはまったく定かでない。けれど伝統は引き継がれ、守られてきた。そしてそれを、わたしたちも担わなければならない。そうね……いまの問いには、こう返した方が正しいかしら」



 わたしたちは、松高生だから。



 時計の秒針の音が響く。

 塔子は口に手をやり、しばらく黙り込んだ。困惑の一言に尽きた。考えても謎が深まるばかりだ。


「もし――」。心もとない気持ちで、小さな声を発する。

「獅子の命令が横暴なものだったら? それもしたがわなければならないのですか?」

 詩織は首を振った。

「そのために審判がいる。調停をするわ」


 話を聞いて、塔子はまた困惑を深めるはめになった。

 なんとも奇妙な調停だったからだ。



 ひと通り話し終わると、詩織もさすがに疲れたらしい。コーヒーを飲み干しふうと息をついた。

 塔子のミルクティーはといえば、ほとんど残っているにも関わらず、すっかり冷めきっている。


「――さて、長い話はこれで終わり。ご質問は?」

 濃密な空気をはらうように、詩織は声色をかえた。

 塔子は恨めしい気持ちで彼女を見やる。

「……奇妙なことが多すぎて」

「ええ」

「うまく言えませんが……。わかったことで、さらにわからなくなった気がします。質問したいのに、何を質問したらいいのか……」

「そういうものよ」。あっさりと詩織は返す。


「伝統は複雑でこみ入っているから。話しをしただけではいまいちわからないことが多いでしょう」

 こくりと頷くと、詩織はわずかに目元を和ませた。


「だからね。実践してみましょう」

「実践?」

「あなたにさっそく伝言があるの」

 塔子は目を見開いた。


「緑の王国のゲームへの、初めての参加ね。伝言の主は、もうわかるでしょう? ――とはいえ、これはもはや慣例なのだけど。毎年、入寮式の夜に必ずつたえることになっているの」


 気持ちの整理ができていず、塔子は動揺した。

 詩織は淡々と続ける。


「実際にやってみたらあなたもわかるわ。どんな雰囲気でゲームがおこなわれるか。全校生徒はどんな風にこれを受け止めているか。王国とは何なのか」

「あの、でも……」

「やってみるしかないでしょう? 獅子からの伝言よ。一度しか言わないわ。よく聞いてね」

 途方に暮れた顔をした塔子に、詩織は明瞭に告げた。




「マトエミドリヲ ソノミドリ ミドリノクニヨ サカエアレ」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] なるほど! 視界がぼやけていたような感じからスッと疑問の霧が晴れたような心地がしました。これは面白そうな予感。にしても、どうしてそんなことをするのだろう? という疑問はまだまだ残されているわ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ