一
一
休日。
何日ぶりの休日だろう。この一週間くらい、ずっと働いていたような気がする。世の中には、「何だよ一週間くらいぶっとうしで働いて何なんだよ」みたいなことを言う人がいるかもしれないけれども、俺はもう一週間でギブアップ寸前だった。
机の上に飾ってある、俺の大切なプラモデルを見ても、三日目くらいからなんかあんまり癒されなくなっていた。
いつもは癒されるのに!
いつもだったら、仕事から帰ってきたあとで、そのプラモデルを見ると癒されるんだ。だが今回ばかりは無理だった。三日たったくらいから、こんなプラスティックのものなんかしょうもない、アホか、みたいな感じになってきて、うわあと四日も仕事にいかなければならない、といようなことが頭をよぎり始めた。
そしてあとの四日間は、このプラモデルの定位置はゴミ箱、このプラモデルの正しい位置はゴミ箱、と何度も口に出してつぶやいていた。
多分精神状態がおかしかったのだろう。
プラモデルの定位置はゴミ箱、というのは、きっとこんなプラモデル見ても何にもないから捨ててしまえ、捨ててしまえばいいんだこの野郎、ということだと思う。
ゴミ箱の中に飾るべきだ、とか、そんな何ていうかウェットのきいた? おしゃれな感じの? 言葉ではなかったはずだ。
おしゃれな感じの言葉?
わからないけれども、たとえば友人が自慢げに自分の書いて絵を見せてきて、どうだセンスの塊だろう、みたいなことを言ってきたときに、おもんないんじゃボケ、という代わりに、「ああ確かにね。それはゴミ箱の中に飾るべきだね」みたいなことを言ったらいい返しになるんじゃないかな、ということである。
何を言っているんだ俺は!
まだやはりちょっと精神的におかしいのだろうか。精神的に疲れているのだろうか。
俺にはそんな自分の描いた絵をわざわざ自慢しにくる友達なんていないよ。
そんな気持ちの悪い友達なんていないよ。みんなもういい大人なんだ。みんなもうどこか都会で就職しているか、それとも地元の企業に就職しているか、フリーターをしているかニートをしているかだよ。
クソだ。
俺みたいな人生はクソだ。
結局プラモデルは、なんとか捨てずにまだ机の上に飾られているけれども、今はとてもじゃないけれども見ようといいう気にはなれない。
俺の中であのプラモデルは絶対的なものではなかった。
どんなに気分の沈んでいるときでも、あれさえ手にとれば心の回復するような奇跡のアイテムではなかった。
「あんなに好きだったのにな」
しょせんは俺の気分次第だったというわけだ。俺がつらいとき、あれはそのうち壁に投げつけられて粉々となり、何もないまでも、きっともっと年月が経てば、あれは年末の大掃除の時にゴミ袋にほかのゴミと一緒にまとめられる。俺の人生は一体何なのだ。
何が芯なのだ。
もうふらふらやっていくのはごめんだ。もうしわけないけれども限界だ。俺は何なのだ。俺はずばり何をしている奴で、何をしていれば俺は俺なのだ。
今日は久しぶりの休みなのだから、もうちょっと眠ることにしよう。






