談話
しばらくの間、ラグナはただ呆と一点を見つめ続けた。
さっきまで“そこ”にいた、黒衣の男の血溜りを……。
「ちょっと――」
不意に背後から聞こえた声に、ラグナはゆっくりと振り返る。
そこには土埃にまみれたティアの姿があった。スカイブルーの瞳と視線が交わる。その顔をよく見てみると、頬には涙の跡が見て取れた。
けれどそれも仕方のない事だろう。幼い頃から家族同然に一緒にいたファムを、目の前でその姿を失ってしまったのだから。
父を失った自分には、その辛さが身に沁みるほど、よく解る。
奥歯を噛み締めながら、ラグナは聖剣の柄をぎゅっと強く握り締めた。
「あの、なんて言ったらいいか分かんないけどさ、その、元気、出せよな……。ファムは消えてしまったけど、聖剣とともにここにいるから。ちゃんと、いるから」
顔を伏せながら語るラグナへ、ティアは無言のまま手を差し出した。
「……?」
それに気づいたラグナは伏せていた顔を上げる。目線の先にはムッとしているような照れているようなティアの顔があった。
「どうしたんだ?」
「聖剣……」
「え?」
「聖剣、返して」
短い言葉ながら、明確な意思が込められている言葉。それは眼差しからも感じられた。
その心中を察したラグナは聖剣を一瞥すると、納得したように頷きティアのもとへと歩み寄る。
「ほら」
聖剣の刃を寝かせたまま手渡すラグナ。それを表情を変えぬまま受け取ろうと両手を伸ばし、そして受け取ったティアは、カランッ――とそのまま剣を地面に落としてしまった。
「え、なんで……?」
「お、おいどうしたんだよ」
慌ててそれを拾い上げるラグナを、目を瞠り不思議そうな顔をして見つめるティア。
なぜ、どうして? そんな信じられないといった様子がひしひしと伝わってくる。
「なんで、持てるの? 重くないの?」
「重い? このファミュールが」
首を傾げたラグナは、おもむろに蒼碧の聖剣を振ってみた。しかし重いなんてことは感じられず、むしろ武器の大きさとしては軽い部類に入るのではなかろうか? と、今や地面に墓標の如く突き刺さる、装備品である白銀の槍を見やり内心思う。
「どういうことだ?」
「どういうもなにも……重すぎて持てないって言ってるの」
「俺には軽すぎるくらいなんだけど」
「あんたの話は聞いてない!」
「聞いてないって、さっき重くないか訊いたじゃないか」
「いちいちうるさいわね、いつまで聖剣を独占してるのよ。それをさっさと置いてとっとと消えなさい」
剣を地面に突き刺すようにジェスチャーするティア。
肩をすくめ、はいはいと了承の意を口にすると、ラグナは刃を下へと向けてそのまま地面に剣を下ろす。すると聖剣はまるで抵抗なしに、溶けかけのバターにナイフを入れるかのごとく簡単に大地へと突き刺さった。
「まったく、なんなのよこの剣は」
ぷんすか怒りながら、ティアは聖剣を引き抜こうと柄を両手で掴み、力を上方向に強く加える。
「ふんぬーーっ――――はぁ、はぁ……くぅーー、ファムのくせに生意気よ!」
けれど引き抜くこと叶わず。顔を真っ赤にしながら肩で息をし、地団太を踏むティア。
意外と短気なんだなと、傍からその様子を窺っていてラグナは思う。
視線に気づいたのか、ティアは驚いた顔をして彼へ向き直ると、さらに頬を紅く染めた。
「あ、あんたいつまでここにいるのよ、もう帰ったと思って油断したじゃない!」
「油断したくらいじゃ抜けないのは変わらないと思うけどな……」
「そこじゃないわ!」
小首を傾げ、ティアがなにに対して怒っているのかとラグナは疑問を露にする。
彼の無邪気な子供のような純粋な反応があまりに新鮮で、ティアは恥ずかしげに目をそらした。
「……あり、がとう」
「ん?」
小さな呟きは聖域の風に流され、ラグナの耳までは届かなかった。
「なにか言ったか?」
「な、なにもッ!!」
慌てて体裁を取り繕うと、そこへ真横から大きな影が近づいてきた。のしんのしんと大地を揺らすほどの重量を持つもの。それはこの場にはもうただ一つの存在しかない。
『ご主人、ティアはご主人にお礼を言ったみたいだよ』
「なっ!?」
「なんだロンド、寝てたんじゃないのか……。にしても礼なんて、そんなの気を遣わなくていいのに」
「この馬鹿! なに告げ口してんのよ」
『ご主人、馬鹿って言われたよ。なにか反論しないと――』
「それは俺じゃないだろ」
主人に指摘され、諭されたロンドはあんぐりと口を開けて衝撃を受けた。と思ったら次には首を下ろして地面に突っ伏した。
「べ、別に言わなくてもよかったんだけど……、なんだか気持ち悪いじゃない」
「――そっか、ならどういたしましてだ」
「でも勘違いしないでよね! あんな奴、私が本気出せば一瞬で消し炭にしてやれたんだから」
「そうなのか? それにしては随分と膝が笑ってたけどな」
「う、うるさい! それこそ油断したのよ」
今にも噛み付かんばかりの勢いで、うーうーとうなり声を上げるティア。はいはいと、それを宥めようともせずあしらうとラグナは言った。
「でもあの時の召喚ってのは、俺に向けて使ったのと同じやつだろ? たしかあの男は最上級の召喚がどうの言ってたけど、日に連発するもんじゃないのか?」
その問いに、ティアは歯噛みしながら悔しそうに俯くと、静かに口を開いた。
「そうね、一日に撃てて一発。それ以上はキャパを遥かに超えちゃう。四大精霊を呼び出したり光と闇の精霊を呼び出すのとは訳が違うの。そこで寝てるドラゴンなら、どういうものか知ってるでしょ。仮にも竜なんだから」
ティアの目配せにつられ、ラグナはいまだ地面に突っ伏す赤い竜へと目を向けた。
首だけを主人に向けたロンドは、彼が知りたがっていそうな情報を口にする。
『あれは僕ら竜族とはまた違った次元のドラゴンだよ。いや、元は同じだった、と言った方が正しいかな?』
「召喚獣だろ? 元は同じって、なら会話が出来るのか?」
『ご主人、竜と友達になりたいからって、なんでもかんでも話しかけようとする癖は止めた方がいいと思うよ? 僕としては同族を愛してくれるのは嬉しいことだけどさ。……まあ話を戻すけどね。よくある話に、何千年と生きた動物が聖霊や神になるってのがあるんだけど、それと似てるかもしれない』
「じゃあなにか? あの召喚された金色の竜は神なのか? 人が神様を召喚出来るなんて聞いたこともないぞ」
『厳密には違うんだよ。神じゃなくて、神格化された竜だ。存在そのものが限りなく神に近い高次の存在。だから僕らとは次元が違うし、強さも桁が違うんだ』
「そんなものが召喚出来ちまうのか……ドラグナーってやつは――」
感心したようにも畏怖したようにも聞こえるため息を一つ漏らすと、ラグナは改めてティアを見た。
背は少し高めだが線の細い華奢な体、強力な魔法の反動に耐えられそうにない細腕、黙っていれば誰しもが振り返るほどの美女。
「? なにか言った?」
「いんや、なにも」
「そう、いま何か失礼なこと考えてなかった」
「ないない」
危ない、と気づかれていないことを内心安堵しつつ、よくもまあこんな女の子があれだけの技をやってのけられたものだと感心するラグナ。やはり伝説と謳われるだけのことはある、とそこでラグナの脳裏に疑問が浮かび上がってきた。
「そう言えばティアの両親は?」
「……数年前に死んだわ」
「そう、なのか……悪い」
「いいのよ、別に、昔のことだしね。黒竜との大戦に駆り出されていったわ。なんせ対竜族の貴重な切り札なんだからね、どこからも引く手数多よ」
ティアの口からその名が出た時、なにか思う所があるのだろうか。ラグナは物憂げに少しだけ俯いた。
「黒竜……。ファフニールか」
「そ、ファフニール。結局その大戦も人間たちの負け。あなたも知ってるでしょ? 参加した人間が一人も帰ってこなかったって話」
「ああ、聞いたことはある」
「両親も、私にこの聖域守護を任せたまま帰ってこなかった、ずっと待ってたんだけどね。帰ってこなかった」
悲しい過去を打ち明けるティアへかける言葉が見つからず、ラグナは沈黙を押し通すことで同情の意を表した。けれどティアが次に発した言葉で、ラグナは改めて彼女の強さを知ることになる。
「でも、私は一人じゃなかった、だから頑張れた。そのことに気づけた。ううん、気づいてたんだろうけど、それを認めるのが恥ずかしくて、無駄なプライドで着飾って意固地になってただけなんだ」
「それに気づいただけでも、ティアはすごいと思うぞ」
「……ま、あんたに褒められてもぜんっぜん! 嬉しくないけどね」
言葉を言い終えると同時に彼女は体を反転させ、ラグナと真正面から向かい合う。真剣な眼差しに見つめられ、ラグナも真面目にその瞳を見返した。
「改めてお礼を言わせて欲しい。この聖域を、聖剣を護ってくれてありがとう。えーっと……」
「あ、そう言えばまだティアには名乗ってなかったな。俺はラグナだ」
「ありがとう、ラグナ」
少し照れくさそうに傾ぐ可憐な少女。
黙ってれば美人なんて思考していた彼は自分をぶん殴りたくなった。
ラグナはラグナであまり礼を言われ慣れていないのか、気恥ずかしそうに頬をかく。
――と。
「ところで、いつまでここにいるつもり?」
「えっ?」
聞こえた声は妙に棘のある言い方だった。
「だから、いつまで土足で人ん家の庭に上がってるのって言ってるの」
「……。ああ、そういうことか」
ラグナは気づいたようにハッとし納得したように頷くと、急に屈み金属製のブーツを外しはじめた。
「……なにしてんの?」
「なにって、見りゃ分かるだろ。靴脱いでんだ」
顔を上げさも当然のように答えるラグナ。それに対しティアは唖然とし立ち尽くした。
少ししてブーツを脱ぎ終えると、ラグナはブーツを手に提げながら言った。
「ほら、これでいいだろ?」
「あんたって変わってるのね、いいえ変人だわ、変人」
「いや、そこまで変人と連呼されるほど変わってはねえよ」
「開いた口が塞がらない、とは正にこのことを言うのね。変人であることを自覚していないとは……。追い返すのもバカになるくらい、マイペースで馬鹿なのね。薄々気づいてたけど」
はぁ、と小さくため息をこぼすとティアは背を向け、ひとり古屋へと向かって歩き出した。
「あ、おい、どこへ行くんだよ」
声に一度立ち止まり、振り返ることなくティアは言う。
「不本意ながら客人が来てるんだから、お茶くらい出すわよ。ついてらっしゃい」
再び歩きだしたティアの背中をラグナは追った。その後ろをロンドが続く。
やがて階段手前まで来たところで、ティアはバルコニーに備え付けられていた寝台のようなものへと魔力を送ると、それは展開されテーブルのようなものへと形を変える。
ラグナをそこへ座らせた後、ティアはお茶を入れるために小屋へと入っていった。