You are my destiny
破けたドレス。腫れた頬で、私は従業員控え室のロッカーに預けた荷物を持って
フェラーリディーノの停めてある駐車場まで歩く。
………ったく、痴話喧嘩のとばっちりで、ひどい目にあったわ!しかも、あの女の肩なんて
抱いて、そそくさと部屋に帰っていったジーザス・ファッキン・クライスト!
本当に面白くない。私が何をしたっていうのよ!もう二度と関わりたくないわ!
いつもより早く帰って来たので、通いのメイドのアンナがまだ家にいた。
「Ouh lala! また派手にやりましたね!」
「フン!名誉の負傷よ!」
アンナは、傷だらけで帰ってきた私にシャワーを浴びてこいって言う。
「サディスト!」
「だって、汚れを落としてからじゃないと、薬がぬれないでしょう。自業自得ですよ。」
ぬるめのお湯にして、シャワーを浴びるけど、傷がしみる!顔は腫れてるけど、氷で
冷やせばましになるはず。夜にはお出かけできるだろう………。
ムシャムシャする時は、ぱーーーっと派手に遊ばなきゃ!
シャワーの水滴を、そうっと拭って、バスローブを羽織る。無傷だった膝の裏に
香水を塗る。パコラヴァンヌのLa nuit…夜、という名の香水を………。
すぐに立ち昇る香りにうっとりする。夜のおでかけの気分を高めてくれる。
アンナに傷の手当をしてもらいながら、私は氷で頬を冷やす。
香水の匂いで、アンナは私が今夜、出かけるつもりだと察する。
「また、エスコートなしでお出かけですか?みっともない!メイド仲間でも、有名ですよ。
レディ・クーデンホフ・カレルギーは、変わり者って………。
ガラ(晩餐会)には出ないし、パーティーも開かない。ホテルのラウンジのピアノ弾きなんか
やって……。しかも、エスコートなしで、夜出歩いてるって。恥ずかしいったら
ありゃしない!」
「なんで、アンナが恥ずかしがるのよ。言わせておけばいいでしょう!私の勝手だわ。」
「御婦人がエスコートなしで、カジノに行くなんて、本当にとんでもないですよ…。」
*モナコのカジノは、女性一人だと普通は断られるらしい*
「私はね、行きたいところへは、どこにでも一人で行くわよ!エスコートなんてうっとうしい。
ここはモナコ。夜中に一人で歩いてたって、会うのは警官だけよ。心配いらないわ。」
「そういう問題じゃないですよ。まともな御婦人は、殿方のエスコートなしで夜に出歩いたり
しないものだって言ってるんです。どうせ、言ったって聞きやしないでしょうけどね…。」
アンナの小言はまだ続く。
「カクテル飲むんなら、フェラーリは置いてくか、帰りはショフォーズ(代行運転)を頼むんです
よ!それから、ヒールを履いて運転しないこと。デッキシューズを持って行くのを忘れないで!
それから………etc………」
「わかってるわよ。ああ、うるさい!」
メイドのアンナはプロヴァンス出身のかなり年輩のマダム。東洋人の私は、すごく幼く見える
らしい。最初は何度もマダムだと訂正しても、私をマドモアゼルと呼んでいた。
すごく子供扱いしてる。私はもう、三十代だというのに、両親のいない家でたった一人で
留守番してる子供みたいに危なっかしく思ってるみたい。自分を保護者代わりだと思ってる
ふしがあり、それでメイドだっていうのに、何かと口うるさい。
本当に今日みたいに、ムシャムシャする日は、アンナには早いとこ帰ってもらいたいけど
これから髪をシニヨンにまとめてもらわなくてはならない。
今夜行く、グランカジノのドレスコードは盛装。シニヨン結って、ソワレを着て行く。
「マダム!カジノに行くなら、スープだけでも飲まないと!夜あんまり遅くならないで!」
「スープもいらない。お腹が空いたら、その辺で、何か食べるから………。」
「ソワレで、外で一人でお食事なさる御婦人なんていませんよ!ああ、やっぱりエスコートが
ないと心配だわ。」
………basta (もーうんざり)!!
「何か言いましたか、マダム?」
アンナがジロリとにらむ。こ…こわい………。
「ううん。何でもないわ♥………スープ飲んでけばいいんでしょう。アイオリ(ニンニク)入って
ないやつにして。」
私がバスローブ姿で、アンナが作ったヴィシーソワーズを飲んでいると、呼び鈴がなった。
アンナがインターホンに出る。
「アロー?………ええっ!………マダム!ジェジュ・クリ(ジーザス・クライストのフランス読み)
が、マダムにあいたいって!ジェジュ・クリが………この家に!アーメン!」
ジェジュ・クリ?………J・G・クライスト(ジ・ジェ・クライスト)をききまちがえたんだわ。
敬虔なカソリックのアンナは、名前に度肝を抜かれてる。キリストが家にくるわけないじゃない!
まったくもう~。
「あんなバカ女と寝てるアホには会いたくないから、帰ってもらって!彼は今日のトラブルの
元凶よ!もう友人じゃないわ。私が侮辱されたのに、ぼさっとつったってた男よ!」
腫れた頬を冷やしながら、そうアンナに伝えた。
「会ってくれるまで、帰らないって言ってます。ジェジュ・クリが………。アーメン!」
「本当のジェジュ・クリなら、私に痴話喧嘩のとばっちり食わせたりしないわよ!
帰ってもらって!」
私にはいつも強気のアンナが、オロオロして役に立たない。仕方なく、私がインターホンに出た。
「悪いけど、帰って!あななたちに関わるの、もうごめんだわ!
ジーザス・クライスト…本当に腹がたってるの。もう顔も見たくないわ。あなたはあのバカ女の
機嫌をとってりゃいいのよ!まさか、彼女と仲直りしてくれって言いにきたんじゃないわよね。
あなたは私が侮辱されても、抗議もなにもしてくれなかった。私だったら、友人が目の前で
侮辱されたら、黙っちゃいないわよ。たとえ、相手が恋人だとしても………。」
「本当にごめん。マダム。僕…彼女に抗議しようとしたんだ。でも、あなたが出て来て
あっという間にキャットファイト始めて……。びっくりして、何にもできなかったんだ。
あなたは上品で、優しくて、おしとやかな大和撫子だとばかり思ってたから…。
気が動転して、彼女を引き離すのが精一杯だった。」
謝罪も言い訳も聞きたくない。私の怒りはおさまらない。
「フン!弱虫の役立たず!世間知らずもいいとこね!あんたみたいなおぼっちゃんには
あの性悪女がお似合いよ!」
「あんまりだよ、マダム。彼女とはもう別れたよ。あなたにあんなこと言うなんて
許せなかったから。彼女を部屋に連れてって、もう付き合えないってはっきり言った。
いやな思いさせて、本当にごめんなさい。」
「知らないわ!あなたが誰とつきあおうと、別れようと私には関係がない。もう友人じゃない
もの。」
「マダム!お願い、僕が悪かった!許してほしい。あなたなしでは生きていけない!」
「それ、今日、私が教えたセリフじゃないの!言う相手を間違えてるわよ!バカ!」
ふと、後ろに殺気を感じて………ふりむくと、アンナがものすごい形相で、私をにらんでた。
「な………なによ………?」
「仮にも、ジェジュ・クリ(イエス・キリスト)を名乗るお方に、これ以上、ひどいことを言ったら
許しませんよ!」
………と、ドスのきいた声で言う。こ………こわい!
「わかったわ♥アンナ。上品に、優しく言えばいいんでしょう?」
私は恐怖でひきつった笑いを浮かべながら、そう言った。まったくジーザス・クライストの
せいで、アンナまで敵にまわしちゃったじゃないの!まったく、まぎらわしい名前だわ!
「………と、とにかくムッシュウ・クライスト。今夜はお引き取りください。
こぼれた水は戻らないって、東洋のことわざがありますの。アデュー、ムッシュウ。」
私は、ダイニングに戻って、スープの残りをたいらげてた。
ん………?外で人の声がする。
「誰か、外で歌をうたってますよ。マダム。」
「いやねえ~。酔っ払いかしら。セキュリティに連絡する?」
「ちょっと、見てきましょうか?」
物見高いアンナが、外の様子を見に行った。
戻ってくると………息を切らしてこう言った。
「マダム!ハンサムなジェジュ・クリが、歌ってる!………アレルヤ!」
「なんですってーーーーーっ!?」
ゆーあーまーいでーすてぃにぃ~~~ゆーあーまーいはーぴいねえーす
あなたは僕の運命あなたは僕の幸福 (You are my destiny ポール・アンカ)
「いやーーーーーーっ!やめてーーーーーーっ!今、開けるからーーーーーっ!!」
私は外で歌ってるジーザス・クライストを、家の中にひっぱりこんだ。
「どういうつもりよ!?近所迷惑な!私の仕事をクビにさせただけじゃ、足りないっていうの?
いいかげんにしてよね!それにポール・アンカ大っ嫌いなのよ!」
「フッ…作戦成功。これ、お詫びです。受け取ってください、マダム。」
目の前に差し出されたバラの花束を見て、言葉を失う。
怒りもいらだちも、うそみたいに消える。
それはプリンセス・ドゥ・モナコの花束。
薄紅色の花びらに濃いピンクのふちどりがある………私が一番好きなバラ。
この家の庭にも咲いているけど、こうして大きな花束でもらうと、やはり、とてもうれしい。
「………メルシー………。」
私は素直に、そう言って、花束を受け取る。
大好きなこの花。
あの人と一緒に育てたバラ。
東京の私の部屋の大きなフランス窓を出ると、中庭にこのプリンセス・ドゥ・モナコが
咲いていた。
「わかったわ………ジーザス・クライスト。仲直りしましょう。」
「良かった!………もうダメかと思ったよ………。」
彼が心底ほっとしたように言って、笑う。
その明るい笑顔を見て、やっと少年時代の彼に再会できたような気がした。
金色の髪。青い瞳。薔薇色の頬の少年時代の彼。
その笑顔は、いつのまにか、私の心にしみこんで
どんな時でも思い出せば心を照らしてくれる………そんな予感がした。
認めたくはなかったけれど………。




