大きくなったら…。
一刻を争うことだったので、跡取り息子に借りたパスポートで、その日のうちに、国外へ出た。一卵性双生児なので、空港の理髪店で、髪を切り、ヒゲもそったら見分けがつかないくらい、彼らは似ていた。
ひどい匂いだったので、シャワーも使わせた。
本人のじゃないパスポートを使うなんて、違法行為だけど、そんなことかまってられない。
執事には、屋敷の警備を強化して、息子とメイドの女の子には、SPをつけるように指示してきた。
やはり、翌日には、教団の追っ手が屋敷の周りを徘徊してたらしい。
モナコに息子を連れて来て、まもなく、日本でテロがあったと世界中に、報道された。
教団が、地下鉄に薬品をまいたのだ。
たくさんの死傷者が出て、上九一色村には、やっと警察が入った。空気中の毒を知るための、カナリアのカゴを持った、防護服の警官たちが、何百人も「サティアン」と呼ばれる建物の中を捜索した。
恐ろしいことに、証拠隠滅のために、自動小銃をつくっていた少年たちを、集団自決を装って、皆殺しにする指示が出ていたという。
息子の養父も、実行犯の一人として、逮捕された。
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一連の出来事に、ショックを受けていた私の息子だった。
でも、のんきなジーザスとエレインの取り合いをしたり、私と庭のバラの手入れをしたり、アンナが気まぐれにつくるお菓子作りの手伝いをしたりして、少しづつ気持ちが和んでいる様子だった。
モナコグランプリも、一緒に見た。
養父とあんな施設にいて、中学もろくに行ってない彼。もう少し、フランス語がわかるようになったら、モナコの学校に入れてあげたい。
そうすれば、養父を救えなかったという罪悪感で傷ついてる彼も、未来に思いを馳せるようになるかもしれない。
私は夕食の後、彼にフランス語のレッスンをした。
大きくなったら、何になりたいとか、何かをしたいという希望が、彼には全然なかった。
無理もない。あまりに早い時期にいろんなことを経験し過ぎてしまったのだ。
でも、穏やかな日々は、彼の心を癒した。
いつもの夕食後のフランス語のレッスンの時、私の質問に答えて、彼は言った。
「Qu'est-ce que vous voulez pour devenir si vous devenez un adulte?」
(大きくなったら、何になりたいですか?)
「Je veux devenir coureur du F1.」
(僕はF1のレーサーになりたいです。)
私は、うれしくて彼にキスの雨をふらせた。