可愛い赤ちゃん
新年を迎える。
出産まで、ものすごいハードスケジュールを、こなさなくてはならない。まず音楽院の勉強。
エコールノルマル学院は、入学するとすぐ、担当教授と相談して、卒業時期を決める。
七ヶ月から16ヶ月の間に卒業の時期を決めるんだけど私は、けっこうハードになるけど、七ヶ月で卒業することにした。出産予定日までに、卒業してしまいたかったから。
それから、子供の国籍をどうするかを考えなくてはならなかった。
離婚が成立しない私が子供を産めば、自動的に夫の子供になってしまう。
これから住むことのない日本の国籍より、モナコで育つのなら、モナコの国籍にしてあげたかった。
法律で、モナコ人の母親から生まれた子供じゃないと、モナコ人になれない。だから、私はモナコに帰化した。
ついでにジーザスも、モゲネッティ地区の私の家の隣の邸宅を買い取って、モナコに帰化した。私たちと一緒に、モナコにいれるように。
四月。
パリのエコールノルマル音楽院のコンサーティスト課程を、審査員満場一致の最優秀で卒業した。
出産もパリでする。そして、モナコには、帰らずそのままパリにいて
来年の二月にモスクワで行われるスクリャービンコンクールに出るつもり。
三十代の私は、ショパンコンクールとかチャイコフスキーコンクールとかの年齢制限がある三大コンクールには出られない。
でも、スクリャービンコンクールは、年齢制限があるけど、ギリギリ出られるの。
私は、モスクワで、あのペトリューシュカを弾くの。
そして、認められて一流のオーケストラとコンチェルトするピアニストになるの。
絶対、叶えてみせるわ!
ずっと、夢みることすら忘れてた私。でも、今は夢に向かって日々、努力してる。
あの人の死の報せを聞いて、一度は死んだ私の心。
なんで生きてるんだろうって、いつも思ってた。ポリーニ氏に逢って、恋に落ちても、その問いは止むことがなかった。
絶望と空虚が心に巣くっていた私。
今は、希望に満ちている。
息子たちからの手紙の返事はまだ来ない。実家の跡取り息子なんて、いまだに未開封のまま、送り返してくる。でも、それがなんなの?
愛してるって伝え続けるわ。
ジーザスに愛されて、私は失敗することとか、人から拒否されることが、怖くなくなった。
Non!って言われてもいいじゃない。
人生は、当たって砕けて、当たって砕けて…それでも、絶望に屈したりしない。それが、面白いんじゃない。
そんなふうに思うようになったのよ。
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六月、ジーザスと、屋敷のお庭のバラを見てたら、急にお腹が張って、そのまま病院へ。
次の日、私は可愛い女の子のママンになってた。そして、ジーザスは若いパパに。
赤ちゃんを抱っこしながらジーザスが言った。
「ねえ、僕と婚約してくれる?ずっとファンサイユのままでいいからさ。」
「あら、結婚なんて時代遅れの制度だって、あなた言ってたじゃない。」
「あれ?そんなこと言ったっけ?」
また、とぼけてる。でも、うれしい。
「いいわ。ファンサイユしましょう。今日から、私はあなたのフィアンセよ。」
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赤ちゃんの名前はもう決めてある。ジーザスのママンの名前のエレイン。
特注した紺色のベビーカーには、もうエレインと金の刺繍がしてある。絹の肌着にピンクのベビードレス。
天蓋のついた揺りかごには、小さな肌掛け。
また、こんな可愛い赤ちゃんのママンになったなんて、信じられない。
今度こそ、引き離されたりしないで、ずっと一緒にいられるわ。
次の投稿は、だいたい一週間後くらいになります。書きためてた分が尽きて、自転車操業になっちゃったんで、申し訳ないです。(^_^;)




