クリムゾン・グローリー
朝食を食べたら帰るって言ってたのに、アンナのせいでジーザスは、私の家のゲストルームに、いついてしまった。
ビーチホテルをチェックアウトして、サムソナイトを持って、私の家にやってきたジーザス・クライスト。
家に入れない!って言うと、また、外でポール・アンカ歌うよ!って、私を脅した。
仕方なく、私は彼の滞在を許した。
アンナといえば、私のベッドに意味深な一輪のバラを置いていく。
深紅のクリムゾン・グローリー。恋人達のためのバラを………。
これには、私もキレた。
まったく、何を考えてるのよ!annoy!《いやらしい》そのうえ勝手に庭のバラを切って!もう我慢できないわ!
私は、アンナに文句を言った。
「毎日、ベッドにバラを置くのをやめてよ!彼は愛人じゃないのよ!庭のバラは、勝手に切らないでって言ったでしょう!私のバラよ!」
「でも、マダム。お庭のバラは、あの時私がお世話をしなかったら、どうなってました?それに、ゲストルームとマダムの寝室の二つのベッドメイクをするのが、めんどうなんですよ。早く、二人で一緒のベッドで寝てくれると、楽なのに………。」
「そんな理由で!?ジーザスと私がくっつけばいいと?!冗談じゃないわよ!とにかく、彼が私のベッドで眠ることはないの!ただの年下の友人なのよ!彼が15歳のときから、知ってるのよ。お母さまが亡くなって、すごく落ち込んでたから、優しくしてあげてるだけなの!」
「ハイハイ、そういうことにしときましょうね。マダム、今夜も夕食は二人分用意するんですか?」
「………そうよ。」
本当に憎たらしいメイドだ。でも、アンナは私と私のバラの命の恩人。頭が上がらないのも、仕方がないのよ。
♥*♥*♥*♥*♥
ラウンジの仕事をクビになったので、秋まで私は暇だった。エコール・ノルマル音楽院が、始まるのは10月。それまで、好きにピアノを弾いてのんびりすることにした。
なにしろ、ここは南仏。のんびりするためにあるような国だもの。
一階のリビングから、お庭を眺めているだけで、時間はすぎる。
庭には一年中、咲き乱れるバラとミモザとライラック。
足元には、たくさんのローズマリーが、うすいブルーの花をつけている。壁をつたうジャスミン。オリーブの木陰。庭のすみに植えたレモンの木の上で、どこかの猫がいつもお昼寝をしている。
窓を開け放つと、ローズマリーの清冽な香りと、ジャスミンのうっとりするような甘い香りが、風にのって入ってくる。
とても幸せな気分。
二階からは紺碧の地中海の眺め。たくさんのヨットがつながれてる港が見下ろせる。
ジーザスが来てから、アンナは彼の世話をやくのに忙しく、私にうるさくしない。朝食は豪華だし、最高の夏かも…………。
ジーザスは、私の家からモンテカルロのスポーツクラブへトレーニングに通い始めた。
「テニスやめるって言ってなかったっけ?」と私が聞くと
「あれ?そんなこと言った?」って、しれっとしてる。
本当に心配したのに………私ったらバカみたいだ。でも、良かったわ。
夕食後、私達は思い思いに過ごす。
私は、二階の音楽室でピアノの練習。ジーザスは、一階のリビングで、レコードを聴いたり、新聞を読んだり、画集をみたり………。
突然、ルームメイトができて、とまどっていたけど、なにしろ家は広い。二階にいれば、もう一人誰かがいることなんか忘れてしまう。
音楽室にとじこもり、何度も同じ曲を練習する。
ストラヴィンスキーの難曲「ペトリューシュカ」を。
楽譜のテンポではおさえきれないキーがある。指が回らない。ミスタッチの連続。早く強く正確に!何度も同じ箇所を弾く。
集中していて、音楽室にいつのまにかジーザスが入ってきても気づかない。彼はポルトローナ・フラウの大きな革のソファに寝転んでいる。
会話もなく気配もない。
毎晩、そんなふうに沈黙を共有して、彼は空気になってしまう。
でも、ある時、どうして練習中に入ってくるのか、たずねたら………
「だって、一階のリビングにひとりでいるのが怖いから………。」
ジーザス・クライスト。
彼のスマッシュは、殺人的と恐れられてる。これでも、一度は全仏オープンでチャンピオンになった男。
なのに、一階にひとりでいるのが怖いなんて………本っ当に………情けないわ。




