【第1章】序論――「∞≒0」の発想とは何か
「∞≒0(無限大はほぼゼロに等しい)」という一見逆説的なアイデアを起点に、宇宙のあり方や人間の認識に関する新しい視点を考察していきます。数理的厳密さというよりは、哲学的・思索的な側面に重きを置いています。なお、文中で登場する仮説や概念は必ずしも定説や証明された理論を示すものではなく、あくまで思考実験の一環としてお読みいただければ幸いです。
人類は古くから「無限大(∞)」という概念に強烈な興味と畏怖を抱いてきました。古代ギリシアのパラドクスから現代数学における無限集合論に至るまで、「無限」とは常に神秘的であり、同時に深遠な思索をかき立てる対象であったのです。一方、「ゼロ(0)」という概念もまた、数学や哲学において特異な位置を占めてきました。何もない「無」を表すはずの0が、現代数学では位取り記数法の核を成し、また量子力学では「ゼロ点エネルギー」といった形で物理的実在とも深く関わっています。
「∞≒0」という表現は、一見すると矛盾を孕んでいるようにも思えます。無限大は限りなく大きい、ゼロは限りなく小さい。両者は対極の概念だからこそ、数学的にも哲学的にも絶対に相容れないはずではないか――と。しかし、本当にそうでしょうか。たとえばトポロジーの世界では、円周上をぐるりと回ると、始点と終点が同一視されることがあります。大きさを表す意味での「∞」と、小ささを表す「0」の概念を、ある種の円環的視点やループ構造のなかで捉えると、「最も大きなもの」と「最も小さなもの」が接合し、結果として「∞≒0」が成立するかもしれないのです。
本書(本論)では、この「∞≒0」をヒントにして、多層的に宇宙像を考察していきます。数理的厳密さを求めるよりは、むしろ思索の跳躍として活用する方針です。なぜ私たちは「無限」に魅了され、「ゼロ」に畏怖を覚え、それらがほぼ同じものとして扱われる可能性を示唆する議論が生まれるのか。そこには、人間の認識論、宇宙論、哲学、さらには宗教的感覚までも含む包括的なテーマが隠されています。




