第8話『恐るべき魔王軍』
夢見心地だった。
明日からの訓練を約束してシフォンさんと別れ、僕はふらふらと夜の街をうろつく。
本当はもっと親交を深めたかったが、あのシチュエーションでは理性がいつ吹き飛んでしまうか分からなかった。紳士の仮面を維持するためにも、涙を呑んでその場を去った形だ。
実際、つい迂闊にも「その洗濯の水を飲ませてもらえませんか?」なんて口走ってしまった。シフォンさんは軽蔑の顔で返してきた。さすがにそういう嫌悪感は世界を越えても共通なようだ。
(個室ビデオ店とか……さすがにないか……)
それから、ムラムラのままに自然と足が向かっていたのは繁華街である。こう見えて僕はピュアな一面もあるので性風俗店のお世話になったことはない。しかし個室ビデオ店にはしょっちゅうお世話になっていた(主に新作をハシゴでエンジョイするため)。
まあ、異世界にそこまで行き届いたサービスは求めていない。
むしろこのムラムラをいい感じに持て余した上で、薄暗い路地裏とかで一人虚しく処理する方がファンタジー世界っぽくていいかもしれない。生々しい冒険者の裏日常という風情がある。侘び寂びに通じるものを感じる。
過ぎていく街並みの看板をふと見上げると、異世界の言葉が自動で意訳されて僕の脳に流れ込んでくる。
『憩いの泉 THE・母性 ~在籍嬢は全員<生命力>50以上を保証~』
『<攻撃力>特化パワーマッサージ 覇王』
『マジカル添い寝塾』
『技巧一筋 匠』
文化が違いすぎて何も股間に響かないが、『覇王』と『匠』はたぶん系列店だろう。
「ちくしょうっ! 詐欺だろ詐欺! さっきの嬢は<生命力>50以上どころか30台だぞ! サバ読むにしたって限度があらぁ!」
と、そこで『THE・母性』から連れだった男性冒険者が出てきた。一人はホクホク顔だが、もう一人は苛立ちを露わにしている。
「まあ、たまにはそんなこともあるだろ。割り切れよ」
「ざっけんな! くそ……俺の勘だと絶対35とかそのあたりだったんだが、生ステNGだから証拠も掴めねえ。しかも無駄に<技巧>の気配もしやがった。<生命力>と<技巧>なんて食い合わせ最悪だろ。二度と来ねえぞここは」
そう愚痴りつつも、どこかそれも楽しそうに見えるのは僕だけだろうか。
この世界の性癖は理解できないが、それでも同じ人間である。根底にあるのはきっと同じ情熱だ。
(ん……?)
そう思って微笑んだ矢先、繁華街の公衆掲示板にびっしりとポスターが貼ってあった。まるで選挙か何かのように。
――すべて僕の顔写真だった。
写真には『不適切ステータス保持者/宿泊施設・公衆浴場等施設への出入り禁止』と併記されている。さらには『※万が一にも宿泊・入浴を許した場合、入念な消毒殺菌清掃処理を施すこと』とまで。
なんてことだ。風呂も男女共用というのがこの世界のいいところの一つだったのに、それを先手で封じられてしまった。僕の心がほんのちょっとダークサイドに傾く。
(魔王もこんな気分だったんだろうな……)
――――――――――……
「よくぞ集まった。我が忠実なる配下どもよ」
泥の鎧に身を包んだ魔王は、玉座に就きながら満足げにそう言った。
魔境の最奥。魔王がその魔力で造り出した難攻不落の迷宮要塞――魔王城の謁見室に、数多くの魔物が集められている。
ただし彼らは、そこらの平原を闊歩しているようなただの魔物ではない。
「御前に見える機会をいただき恐悦至極に存じます」
「魔王様の命とあらば、地の底からでも駆けつけますとも」
「して、緊急招集とはいったいどのような案件で?」
巨大蜘蛛。半人半獣の怪人。岩の巨人。宙をうねるドラゴン。
本来なら人の言葉を解さぬ異形の魔物たちは、流暢に人の言葉を語っている。
「――あの忌まわしい女神がまた性懲りもなく刺客を寄越してきたのだ」
魔王が告げた一言で、理知ある魔物たちは一斉に息を呑む。
女神の刺客。それは魔王にとって最大の脅威だ。これまで幾度も退けてきたが、楽な戦いは一度としてなかった。
特に十年前。最後の刺客は『能力だけでいえば』確実に魔王を上回っていた。それだけ油断ならない相手だ。
「それは……危急の対策を要する事案ですな」
「承知いたしました。まずは我らが捨て石として挑み、新たな刺客の能力を暴き出すこととしましょう」
「覚悟はできております。我らが主のためならば」
普通の魔物は自然の魔力より生まれ、ただ原始的な本能のままに暴れるだけの存在だ。その在り方は生物というよりもむしろ台風や雨雲といった自然災害に近い。
しかし、この場に集った彼らは違う。
「我らの命は主に捧げるためのもの。どうか出撃の命令を」
彼らは魔王より、人間と何ら変わらぬ『心』を与えられた特別な魔物たちだった。
無限大ともいえるまでに膨れ上がった魔王の憎悪を、接ぎ木のように分け与える形で。
「いいや、此度は少し事情が違う」
出撃命令を求める配下に対し、魔王は泥の下で首を振った。
「というのも、今までの連中と違って楽に死なせてやるのが少し癪な男だったのでな。少し弄んでやってから始末することにした。それゆえ――我が許可を出すまで、一切の手出しを禁じる。これがお前たちに与える命令だ」
「魔王様!?」
「危険です!」
魔物たちは動揺して声を上げる。女神の刺客に猶予を与えることは、すなわち主たる魔王の身を危険に晒すことだ。
「そう慌てるな。此度の刺客が授けられたのは<ステータス超成長>……我と同じスキルだ。こちらに長年のアドバンテージがある以上、少しばかり奴が足掻いたところで決して追いつけるものではない」
「魔王様と、同じ……?」
「ああ。それで『このスキルを持っていても世界を楽しんでみせる』などと抜かしおった。愉快とは思わんか? 果たして何日で絶望して音を上げるか、見物してみたいものだろう?」
配下たちは困惑に顔を見合わせる。
「ま。我に泣いて謝って『あなたが正しかったです魔王様』なんて跪いたら、この魔王城に迎えてやらんでもないがな。少しは面白い奴だったからな、うむ」
魔王はうんうんと泥の下で何度も首を頷かせる。
「以上! 召集会議はこれにて終了! 各地の雑魚魔物もしっかり統率を取って、間違ってもあの男を殺さぬように手心を加えろ! いいな!」
「「「「「はっ!」」」」」
魔王の号令に対し、魔物たちはほぼ反射的に敬礼で返す。
泥人形じみた魔王は玉座から降り、黒い空間魔法のゲートを開いて謁見室を去る。
魔物たちはしばし敬礼の姿勢のまま待機し、魔王の気配がなくなったのを確認してから俄かにヒソヒソと喋り始めた。
「なんか魔王様、様子おかしくなかったか?」
「明らかにウキウキしてたよな」
「あんなに楽しそうな魔王様見たの初めてかも」
「もしかしたら道連れができるかもしれなくて嬉しいんだろうな」
過去に例のない事態に、自然と魔物たちが饒舌になっていく中――
「ふざけるなっ!」
一人の……いや、一頭の獣が怒りに壁を殴った。
狼の頭部に、毛むくじゃらの人身。地球上でなら『人狼』と呼ばれたであろう魔物だ。
「魔王様ともあろうお方が、人間などにそのような浮ついた感情を抱くはずがあるまい! あれは……そう! 女神の刺客をどう料理してやろうかという残虐性と嗜虐性の顕れだ! 決してウキウキなどしていたはずがない!」
彼の一喝に謁見室が静まり返る。
そうだ。その通りだ。魔王様を下世話な話題の種にしてはならない。配下の魔物たちは口々にそう呟き、己の軽率な発言を恥じた。
「ありがとうございます。ルーガス様」
「さすがは古株のお方だけあります」
「分かればいい」
ルーガスと呼ばれた人狼は貫録を見せる仕草で深く頷き、それから不自然なくらいに無感情な声でこう続けた。
「しかし――それはそうと、俺はこれから件の刺客を殺しに行く。放置していて不測の事態を招いてはいかんからな。決して私情ではないぞ。決して」
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